<少年ガンガンの歴史(8)補足説明>

2005・1・20

 さて、前回まで7回に渡って、少年ガンガンの創刊時(あるいはそれ以前)から、現在に至るまでの「歴史」を記述してきたわけですが、これらは必ずしも完全に確信できる事実ではありません。わたしは、エニックスの内部事情を知ることの出来る人間でもなく、ただ単にネット上で得られたわずかな知識と、自分なりの推測によって記事を書き上げたに過ぎません。
 まあ、それでもガンガンの歴史全体の流れについては、おおむね妥当な記述であり、大きな間違いはないだろうと思っています。しかし、その一方で、個々の出来事に関しては、大部分を推測に頼らざるを得ない部分も多く、必ずしも事実を合っているとは言い切れません。そして、その中でも、特に自信が持てないままで記述した部分がいくつかあります。このページでは、それらの記述に対して、「それが本当に正しいのか」という観点から補足説明を行なってみることにします。


(1)2001年後期における新連載陣の連載理由。
 「歴史(7)」において、わたしは「2001年後期、ブレイド騒動の真っ最中に始まった新連載群」についての記述を行ないました。これらの新連載は、当時のガンガンの改革路線(少年マンガ路線)とはかなり離れており、これらがあの時期に連載された理由として、「これらの新連載群は、ブレイドに移籍していった編集者グループの『置き土産』である」と記述しました。
 しかし、この記述にはかなりの疑問があり、実際には別の理由もいくつか考えられます。

 まず、妥当に考えられる理由として、「これらの連載は、ブレイド騒動で抜けた穴を埋めるために、残った編集者たちが急遽企画した」という理由が挙げられます。これらの新連載の開始時期は、ブレイド離脱騒動と完全に同時期に重なっており(具体的には2001年8月)、普通に考えれば、騒動が起きた直後にいきなり連載企画を組むことは(時間的に)不可能です。しかし、「実は、ブレイドへの離脱は数ヵ月前から決まっており、既に編集部内部では離脱後に向けた企画が組まれていた」と考えれば事情は変わってきます。編集部内の派閥争いはかなり前から表面化しており、ブレイドへの離脱も急に決まったわけではなく、数ヶ月前(2001年6月)には既に、離脱グループの中心人物である保坂氏によって新会社「マッグガーデン」が設立されていることからも、この「数ヶ月前から離脱は規定路線だった」と言う推測には根拠があります。
 ただ、この場合、「なぜ、残った編集者たちが、あえて改革路線とは異なる新連載を開始したのか」という新たな疑問が浮上します。この疑問の答えとしては、「ブレイド組の離脱が決定してから、穴埋めの新連載を開始するまでに数ヵ月の期間しかなく、当時最も有力だった、少し前に優れた読み切りを掲載したばかりの作家陣をあえて起用した(ほかの新人を発掘するひまが無かった)」という理由が考えられます。

 さらに、もうひとつ考えられる理由として、「この当時はまだ、ある程度多彩な新連載を受け入れる余地がガンガン編集部にあった」という推測もできます。事実、この新連載攻勢が終わった直後、2002年冒頭にも、ガンガンは冬目景氏のシリーズ連載を載せています。冬目景氏は、決して王道少年マンガを描く作家ではなく、むしろマンガマニアの評価の高い実力派の作家です。このような連載が載る余地があったということは、まだ当時のガンガンは、多少はいろいろなマンガを受け入れる姿勢が残っていたのかも知れません。
 しかし、こののちに、編集部は再び少年マンガ路線を先鋭化させ、そのためにこれらの連載は長続きせず、打ち切りもしくは移転となった・・・と推測できます。

 以上のように、この当時に改革路線とは異なる新規連載陣が登場した理由として、

  1. 「歴史(7)」に記述したとおり、ブレイドに移籍した編集者たちが企画したものである。
  2. ブレイド騒動で抜ける穴を埋めるために、残った編集者たちが急遽企画した。
  3. この当時はまだ、ある程度多彩な作品を受け入れる姿勢がガンガン編集部に残っていた。
の3つの理由が考えられます。


(2)土方悠氏の「ヴァルキリープロファイル」が終わった理由。
 これは、掲示板で指摘があったのですが、「歴史(6)」で書いたような編集部による打ち切りではなく、作者個人の都合によるものだと言うことです。これは、土方さん自身が、「ヴァルキリープロファイル」の連載企画にあまり乗り気ではなく、自らが連載終了を望んだとするものです。

 わたし個人は、このマンガの途中からの連載ペースがあまりにも不自然に変わったことで、完全な編集部ベースによる路線の変更→打ち切りだと考えていたんですが、今思えば、作者の志願による路線の変更と考えることも可能でした(割と珍しいケースだと思いますが)。

 ただ、作者の志願による打ち切りがなかったとしても、このような高年齢層向けのイメージの連載が、少年マンガ路線を取る当時のガンガンではどのみち長続きしなかったとも考えられます。ある意味、少年マンガ路線を採る当時のガンガン編集部にとって、作者の志願による打ち切りは望ましいことだったのかも知れません。


(3)月2回刊から月刊に戻った理由。
 「歴史(4)」で記述したとおり、当時のガンガンが月2回刊から月刊に戻った主原因は「『ロトの紋章』連載終了による売り上げの不振」であると書きました。しかし、実際には、「ロトの紋章」が終了してから、ガンガンが月刊に戻るまでに、1年近い年月が経過しています。となると、「ロトの紋章」終了が直接再月刊化のきっかけになったとは言えない可能性が高いと思われます。「ロトの紋章」終了によってガンガンの売り上げが大幅に落ちたことは確かな事実ですが、それにより即月刊に戻ったのではなく、その後もしばらくはガンガンの編集部は月2回刊維持の努力を続けたが、その努力の成果は出ずに、最終的に月刊に戻らざるを得なかったという見方が、より正確なところでしょう。
 さらには、これも「歴史(4)」に記述したとおり、月2回刊時代のガンガンは、連載ペースの高速化による作品の質の低下や、月2回刊のペースについていけない読者の購読離れなど、様々な問題を抱えており、それら複数の問題が同時並行的に起こった結果として、再月刊化という選択を選ばざるを得なかったと考えられるのです。つまり「『ロトの紋章』の終了による売り上げ不振は、数ある再月刊化の理由のひとつに過ぎない」とする見方が、より正確な事実だと思われます。


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