<少年ガンガン20年史(1)創刊前夜>

2011・5・11

 少年ガンガンが創刊されたのは、1991年の3月。ゲーム会社だったエニックスが出版事業を立ち上げ、新しく創刊したマンガ雑誌として、そしてそんな新興の出版社のマンガ誌としては最も成功した存在として、のちに大きく知られることになります。しかし、エニックスは、いきなりマンガ雑誌を作って成功したわけではありません。ガンガン創刊以前に、それにつながる出版事業の成功があり、そんな経緯があってこそ雑誌も成功したと言えるのです。ここでは、ガンガン創刊以前の、とりわけその創刊につながるエニックス出版の動向をまず書いてみようと思います。

 エニックスという会社は、元はいろいろな事業を行う子会社を多数抱えるグループ会社だったようですが、子会社のうちのひとつであるゲーム事業の会社が、親会社を吸収する形で、以降はゲーム事業に専念することになったようです(それ以前のエニックスは、一時なんと寿司屋を経営していたことでも知られています)。そのゲーム事業に専念し始め、エニックスのゲーム会社としての形が出来たのが1982年。この時、第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストを開催、ゲーム開発の人材を外部に求めるという、当時としては異例の企画を実施、これによって有力な新人を発掘し、優秀なゲームを次々と手がけることになります。「ドラクエ」の開発陣としても有名な、堀井雄二や中村光一も、このコンテストで賞を受賞してエニックスに抜擢された者の一人です。

 このように、当初からゲームでも意欲的な展開を見せていたエニックスですが、のちに出版事業にも参入、こちらでもやはり当初から積極的な行動に出ます。ただ、エニックスの出版事業の参入には、そのきっかけとなる大きな出来事がありました。1988年のドラクエ3の大ヒットです。
 当時はファミコンソフトだった「ドラゴンクエスト」シリーズは、1作目から大人気を獲得しますが、3作目である「ドラゴンクエスト3」が、前2作をもはるかに超える空前のヒットとなり、社会現象ともなりました。そして、そんな爆発的なヒットを受けて、エニックスは、そのドラクエの関連本を多数出版するようになります。これが、エニックス出版の始まりとなります。

 当時はさまざまなドラクエ関連本を出していたエニックスですが、その中でもとりわけ高いヒットを記録した出版物が2つありました。ひとつは公式ガイドブック、もう一つがドラクエ4コマ(ドラゴンクエスト4コママンガ劇場)です。

 公式ガイドブックとは、いわゆる攻略本の一種ですが、それ以前に出されていたゲームクリアのための解法中心の攻略本とは異なり、データ重視・ビジュアル重視の方向性で編集されたもので、これが大ヒット。特にドラクエ3の攻略本は、100万冊以上の大ヒットとなります。このヒットを受けて、以後はドラクエの新作が出るたびに、公式ガイドブックの発売も定番となります。また、エニックス以外の攻略本業界にも多大な影響を及ぼし、これ以後「公式」「ガイドブック」と名の付く攻略本が、他社からも多数出版されることになりました。

 そしてもうひとつ、ドラクエ4コマ(ドラゴンクエスト4コママンガ劇場)ですが、これはドラクエのキャラクター・ストーリー・世界観などをネタにして軽快なギャグ・コメディ4コマにしたもので、複数の作家のアンソロジー形式を採用していました。そして、こちらも読者の圧倒的な支持を受け、やはり大ヒットとなります。そして、このドラクエ4コマで人気を得て、マンガ家としてデビューする作家が多数登場します。柴田亜美・衛藤ヒロユキらがその代表と言えるでしょう。また、読者からも投稿4コマを大々的に募集し、そちらからものちにマンガ家としてデビューするものが何人も登場します。そして、これらの作家が、のちにガンガンを始めとするエニックスのマンガ雑誌で活躍することになるのです。また、このドラクエ4コマ自体も、のちにガンガンで毎号連載されて人気作品となるなど、ドラクエ4コマが、ガンガンを生む母体のひとつとなったと見て間違いないでしょう。
 なお、このドラクエ4コマもまた、エニックス以外の出版業界に多大な影響を与え、類似の形式のゲームネタの4コママンガ、その類型であるストーリー形式のアンソロジーコミックが他社からも多数登場。この手の4コマ、アンソロジーはいまだに出版され続けています。

 そしてもうひとつ、ガンガンを生み出す母体となった企画があります。エニックスが1990年に募集したマンガ賞・「エニックスファンタジーコミック大賞」 です。ここでもまた、のちにガンガンで活躍する作家が多数生まれることになります。この賞で入選を受賞したのが渡辺道明、佳作を受賞したのが西川英明、奨励賞を受賞したのが松沢夏樹です。このマンガ賞、審査員に松本零士を始めとする大物作家を多数起用していましたが、受賞作への彼らの評価は芳しくなかったようです。しかし、実際には、このマンガ賞で受賞した作家が、のちのガンガンで人気作を手がけ、雑誌を支える中心的な存在となるのです。

 こうして、「ドラクエ4コマ」と「エニックスファンタジーコミック大賞」という、ふたつの大きな母体から、ガンガンが創刊されることになります。エニックスファンタジーコミック大賞の募集時には、ガンガンの創刊は視野に入っていたようで、その後ほどなくして実際に91年に創刊されることになりました。88年のドラクエ3の成功で、エニックスが出版事業を始めてから3年目。ついにエニックスは、マンガ雑誌の世界へも進出することになるのです。

 このガンガンの創刊が、最近のマンガ雑誌の創刊と異なるのは、あらかじめ事前にきっちりと有力な作家を揃えていたことが挙げられると思います。大抵の創刊マンガ誌では、まず雑誌の創刊を告知してから、その雑誌で連載を目指す新人作家を募集しています。しかし、ガンガンの場合、創刊する前からマンガ賞で有力な新人を集めていたのです。さらには、既に数年の間出版が続いていたドラクエ4コマからも、実力のある作家が多数出てきており、創刊前から既に有力な作家が揃っていたと言えるでしょう。新興のゲーム会社が打ち出したガンガンの成功は、当時は各所で驚きをもって受け止められたようですが、実際には創刊前からこうしてきっちりと下準備を進めていたところを見ると、元々成功の可能性は高かったのではないでしょうか。「成功するべくして成功した雑誌」だったのではないかと思います。


 なお、公式ガイドブックとドラクエ4コマ以外のドラクエ関連本としては、小説やサブストーリー本(「アイテム物語」や「モンスター物語」など、ドラクエのアイテムやモンスターにまつわるエピソードを集めたもの)があり、いずれも当時は盛況でした。さらには、ドラクエ1の製作秘話を単行本1巻のストーリーにした「ドラゴンクエストへの道」というメイキング本も出され、これはのちにガンガンコミックスとしても再刊行されます。また、ドラクエ4コマ自体も、ガンガンが創刊される以前の方が発行頻度が高かったなど(ガンガン創刊以後は、ガンガン連載分を「ガンガン編」として新たに編集したため、本編の発行頻度が大きく減ってしまった)、この「ガンガン以前」のエニックス出版には、いろいろと面白いことが多く、いずれ独立して語ってみたいところです。


 少年ガンガン20年史(2)創刊初期のガンガン


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