<少年ガンガン20年史(2)創刊初期のガンガン>

2011・5・18

 さて、そんな前準備を経て、見事1991年の3月に創刊されたガンガンですが、当初から看板扱いされていたマンガがありました。創刊号で表紙にもなっている「ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章」(藤原カムイ)です。あの大人気ソフトで、エニックスが出版事業を立ち上げるきっかけとなった「ドラゴンクエスト3」のストーリーのその後を描く物語で、作画担当にこれ以前から実力派作家として知られていた藤原カムイを担当。他にも多くのスタッフを送り込んで大々的に立ち上げました。そして、これが見事に期待に応えて大ヒット。特に藤原カムイの圧倒的な画力によるところは大きく、見栄えのする壮大なビジュアルも手伝って、まさに雑誌の表看板を飾るにふさわしい作品となります。

 この「ロト紋」に匹敵するヒット作となったのが、ドラクエ4コマ作家・柴田亜美による初オリジナル連載「南国少年パプワくん」。そのシュールなギャグと魅力的なキャラクターでこちらも大人気を博し、エニックスで最初にアニメ化を達成した作品ともなりました。初期の頃に関して言えば、「ロトの紋章」を凌ぐ人気だったかもしれません。
 さらに、前述の「エニックスファンタジーコミック大賞」受賞作家による作品が続きます。「ハーメルンのバイオリン弾き」(渡辺道明)・「Z MAN」(西川秀明)・「突撃!パッパラ隊」(松沢夏樹)の3作品は、いずれ劣らぬ大人気作品となり、この3人の作家は、のちに長くガンガン、エニックスを支えることになりました。
 そしてもうひとつ、「ドラゴンクエスト4コママンガ劇場」を忘れてはなりません。ガンガン以前から大人気だったこのマンガ、ガンガンから創刊号から毎号掲載され、これも最大の人気コーナーとなります。
 これ以外の作品で人気を博したものとして、「輝竜戦鬼ナーガス」(増田晴彦)があります。元は「怪物絵師」としてマニアックな支持を受けていた作家でしたが、この作品は幅広く楽しめる少年マンガ作品にうまく昇華されており、初期ガンガンを支える名作となりました。

 これらの作品に共通して言えることは、そのすべてが「ドラクエ・ゲーム・ファンタジー」もしくは「ギャグ」であることでしょう。これが、まさにガンガンという雑誌のカラーになります。「ゲームやファンタジーに関しては、元々ドラクエ4コマから発祥した雑誌という側面があり、さらにはゲーム会社のエニックスが出したということで、当初からドラクエ的・ゲーム的・ファンタジー的なマンガ雑誌を求めていた読者は多かったのではないでしょうか。加えて、「パプワくん」や「パッパラ隊」という優れたギャグマンガを初期の頃から輩出したことで、「ガンガン=ギャグが面白い」というカラーも定着します。最初期の頃からしっかりとカラーが決まっていたことが、ガンガンの大きな長所となったと言えるでしょう。

 創刊2年目のヒット作も、この流れに準じたものが登場します。「魔法陣グルグル」(衛藤ヒロユキ)は、RPGをパロディ化したギャグと独特のファンタ ー設定、キャラクターで一躍大人気を博し、アニメも大ヒットを記録します。初期ガンガンで最大のヒット作となったのは、間違いなくこの「グルグル」でしょう。この、「ゲーム」「ファンタジー」「ギャグ」というグルグルの持つ要素は、まさに初期ガンガンのイメージそのままではないでしょうか。
 もうひとつ、2年目のヒット作として「TWIN SIGNAL」(大清水さち)があります。この作品に関しては、作者の大清水さんが、エニックスが新しく創刊した新人読み切り掲載雑誌「フレッシュガンガン」からのデビュー作家である点に注目すべきでしょう。ガンガン創刊以前からもドラクエ4コマやエニックスファンタジーコミック大賞で新人を積極的に発掘してきたエニックスですが、その後も巧みな新人発掘・育成は継続し、「エニックスは新人の発掘がうまい」という評価が定番となります。この大清水さんは、その最初期の成功作家だと言えるでしょう。また、2年目の新人作家の作品としては、こちらはギャグマンガで「電撃ドクターモアイくん」(岩村俊哉)も見逃せません。

 以上のように、創刊最初期から「ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章」「南国少年パプワくん」「ハーメルンのバイオリン弾き」「Z MAN」「突撃!パッパラ隊」「輝竜戦鬼ナーガス」「ドラゴンクエスト4コママンガ劇場」、2年目からも「魔法陣グルグル」「TWIN SIGNAL」と、いずれ劣らぬ人気作に恵まれたガンガンは、スタート直後から非常に順調であり、既にこの時点で大きな成功を収めていたと考えていいでしょう。完全な新興出版社だったエニックスが出した雑誌が、ここまで数多くのヒット作を出すとは、誰も思わなかったのではないか。また、「ドラクエ・ゲーム・ファンタジー」「ギャグ」という、同じカラーを持つ作品がいずれもヒットしたことで、「ガンガン」という雑誌のイメージがきっちりと定まり、これが雑誌の熱心な固定読者を多数生んだと見てよさそうです。


 これ以外の初期ガンガンの作品では、とにかく少年マンガ作品が目立ちました。当時「ガンガンの創刊に当たって少年ジャンプの編集者のアドバイスを受けた」という噂があったほどで、ジャンプ掲載作品のような、熱血・バトル要素を中心としたマンガを数多く打ち出していました。創刊一年目の新連載を見ても、格闘バトルものの「激闘!!一番」(峰岸とおる)、「タケルの誓い」(高橋三千綱・のだしげる)、「密竜の門」(牛二郎・高橋わたる)、スポーツもので「ドッジファイター翔」(西岡たかし)、「決めるぜ修太!」(小林一雄)、ドライブバトルもの「ザ・ドリフトガール」(飯島ゆうすけ)、破天荒な学園バトルもの「最強無敵!!ド根性一家」(神崎将臣・一本木蛮)、などがありました。2年目まで見渡すとさらに同系の作品がいくつか追加されています。また、上記の成功作品の中でも、「ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章」「ハーメルンのバイオリン弾き」「Z MAN」「輝竜戦鬼ナーガス」なども、少年マンガ色の強い作品であり、創刊当初のガンガンは、こうした少年マンガ系の作品が誌面の中心となっていました。

 しかし、これらの少年マンガ、そのほとんどが成功しませんでした。これらの作品のほとんどは、短いもので半年、長くても1年程度の連載で終了していき、最初の2年間でほとんどがなくなってしまいました。これ以降の数年も、ガンガンは同系の作品を継続して打ち出してきますが、やはり同じように短期間で終了してしまい、雑誌に定着することはありませんでした。
 なぜこれらの少年マンガが、ガンガンでは不成功に終わったのか。はっきりした理由は分かりませんが、ひとつ考えられることとしては、上記に挙げた「ロト紋」を始めとする成功作に比べると、「相対的な人気・注目度が低かった」点が否定できません。前述のように、ガンガンという雑誌は、エニックスというゲーム会社が出した雑誌であり、「ロト紋」や「ドラクエ4コマ」のようなドラクエマンガや、それと近い方向性のゲーム・ファンタジー・SF系のマンガを、当初から最大の「売り」としていました。そして、読者の方も、最初からそういったマンガを求めて読み始めた人が多かったのではないでしょうか。そのために、最初からそれ以外のマンガへの注目度は低く、あまり目立たないうちに消えていったいうことは十分に考えられます。

 さらには、これらの少年マンガが、全体的にオーソドックスでこれといった特徴がなく、純粋に面白さという点でもあまり見栄えがしなかったという点もあるでしょう。同じ少年マンガ系の作品でも、成功した「ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章」「ハーメルンのバイオリン弾き」「Z MAN」「輝竜戦鬼ナーガス」などの方が、明らかに光るものがありました。読者の求めるドラクエ・ゲーム・ファンタジーという強みがある上に、さらに純粋な面白さでもこれらの作品の方が勝っていた。それが、成否の要因を分けたのだと思っています。


 ただ、この初期のガンガンにおいては、そういった正統派の作品以外に、異色の作品の存在も否定できません。まず、上で少年マンガ作品として挙げた「激闘!!一番」(峰岸とおる)。これは、始まった頃こそごく普通の格闘バトルマンガだったのですが、連載途中から異様なノリのギャグマンガに転向していき、異様な姿・性格のキャラクターやシュールなギャグ全開で最後まで驀進していき、のちのちまで語られるネタマンガとなりました。
 また、ここに属すると思われるマンガとしては、EBE(矢追純一・こやま拓)も見逃せません。これは、あの日本テレビでのUFO特番で著名な矢追純一を原作に招き、その矢追氏のUFO取材の成果をそのままマンガ化したコンセプトの、初期ガンガンの中でも異色中の異色と言える作品となりました。ストーリー自体は真面目でシリアスなものだったと思いますが、そもそもあの矢追純一を招いてUFOマンガを掲載するという企画自体、あまりにも不可解なものだったと言えます。初期ガンガンの、新興の出版社の編集部による、型に捕らわれない自由な雑誌作りをよく表した一作となりました。

 これ以外では、「密竜の門」(牛二郎・高橋わたる)もある種ここに属するマンガかもしれません。このマンガ、始まった頃から異様に速い展開でストーリーが進んでいき、わずか5回で終了(おそらくは打ち切り?)となりました。これは、「ガンガン初の打ち切りマンガ」として、のちのちまで笑いと共に語られる貴重な(?)作品となりました。こういった一連の作品は、まだ創刊したばかりで、混沌とした時代のガンガンを象徴したものであると言えるでしょう。


 そしてもうひとつ、創刊初期のガンガンには、あまり語られていない意外な特徴があります。それは、青年誌系、それも劇画系の作家が多かったという点です。まず「ロトの紋章」の藤原カムイからして、元々は青年向けのマニア誌で活躍していた作家であり、増田晴彦にもそれは言えています。少年マンガ系の作品にはもっと多く、「激闘!!一番」の峰岸とおるを始め、多くの作家が青年誌を中心に活動し、それも劇画調の作画を特徴としています。矢追純一のEBEの作画を担当したこやま拓もまた、典型的な劇画作家です。

 この青年誌系・劇画系作家を招聘する傾向は、のちのガンガンまで数年に渡って継続していき、さらに様々な作家が登場し、中にはいがらしみきおのように成功する作家まで登場します。なぜ、このように、少年誌からは外れた存在とも言える青年誌系・劇画系の作家を数多く採用しているのか。この理由はいまだよく分からないところで、もしかすると編集者の中にそういった作家とつながりを持つ者がいたのかもしれません。

 さらに、このようなガンガン初期の特徴は、今に至るまであまり多くの人に知られないままになっています。創刊初期のガンガンについては、ほとんどの人が「ロトの紋章」や「魔法陣グルグル」「ハーメルンのバイオリン弾き」などの作品を思い出す一方で、こういった劇画調の作品群が存在は印象が薄く、あまり語られてこなかったという事情があるようです。しかし、初期の頃の、「パプワくん」や「グルグル」のアニメ等の影響で、今よりもずっと子供向け、低年齢向けだと思われていたガンガンで、こういった傾向があったことはしっかりと覚えておくべきだと思います。実際には、高年齢の大人の読者も指向した雑誌だったのではないでしょうか。


 少年ガンガン20年史(3)1993〜95年の動向


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