<少年ガンガン20年史(6)路線変更から混乱、そしてお家騒動へ>

2010・6・17

 前章で書いたとおり、この当時のガンガン、具体的には98年の再月刊化〜2000年初頭までのガンガンは非常に充実していました。連載ラインナップの質が非常に高く、粒が揃っていて、明らかにつまらないと思えるマンガは非常に少ないところが特長で、理想的な状態とも言えました。看板と言えるような絶対的な作品はなかったものの、それぞれのマンガに固定ファンがつき、あるいはそんなガンガン全体を支持する読者も大勢いました。この時期のガンガンの発行部数は、およそ25万〜30万部を維持しており、月2回刊末期の落ち込みからは回復し、安定した状態を保っていました。95年当時の最大50万部の部数には及ばないものの、雑誌としての充実度では勝るとも劣らないところがあり、おそらくはこの時期がガンガン第二の最盛期だったと思います。何よりコミックスの売り上げがとても安定していて、人気マンガがオリコンのランキング上位に入ることがよくありました(2000年代のガンガンの作品よりもずっと多い状態でした)。

 しかし、そんなガンガンの優れた誌面は、長続きしませんでした。しかも、雑誌が不振に陥ったわけではなく、雑誌を作っている編集部自身が、その状態を壊してしまったと言える事態に陥ってしまいます。雑誌の一部の編集者が、この当時のガンガンの誌面を良しとせず、自分たちの求めるガンガンへと路線の変更を行ってしまうのです。人気のあったマンガを他誌へと移籍させ、変わって今までとは異なるタイプの新連載を次々と打ち出します。しかし、これらの作品の多くは奮わず、ガンガンの連載ラインナップの質は大きく揺らぎ始めます。
 一部の編集者が求めたガンガンの姿とはどんなものか。それは、ひとつには、創刊初期の頃のガンガンへの回帰であり、より具体的には”少年マンガ”中心の雑誌への回帰とも言えます。ここでの少年マンガとは、いわば少年ジャンプに載っているような、王道バトル路線の作品を指します。
 この時期のガンガンは、実際に確かな人気もあり、売り上げも実に安定していたのですが、その一方で、創刊初期の頃とは誌面の構成は大きく変わっており、初期の頃の少年マンガテイストの作品は少数派になっていました。このことに対して、一部の読者の間には反発する傾向もあり、特にネットの一部ではそのような声が盛んに聞かれるようになっていました。ガンガン初期の頃に見られたような、王道・バトル路線の少年マンガを特に強く愛好するような読者は、当時確かにまとまって存在していました。ガンガンの編集部としても、やがてそのような声を無視することは出来なくなったのではないかと推測されます。
 また、それと同時に、編集部の間でも、そのような少年マンガを好む編集者がいたのではないかと思われます。お家騒動後にガンガンの編集長に就任する松崎さんがその代表ですが、彼らがガンガンを自らの求める少年マンガ中心の雑誌にしたかったのではないでしょうか。すなわち、このガンガンの路線変更は、少年マンガを求める外からの一部読者の声と、同じく少年マンガを求める内側の一部編集者の要望と、そのふたつが合わさって大きな決定への力になったのではないかと推測されます。

 また、さらなるいくつか理由として、まずは「ガンガンの読者層の高年齢化への危惧」もあったのではないかと考えられます。創刊当時は少年マンガ中心で低年齢の読者が中心だったガンガンですが、元から高年齢のマニア層への支持も高く、その後中性的なエニックスマンガが誌面の中心を占めるようになると、そちらの方へと読者層が大きくシフトしていきました。そして、このことに関して、ガンガンの編集部内で「このまま低年齢の読者がガンガンから離れていけば、近い将来ガンガンを読む読者がいなくなる」という漠然とした不安があったらしいのです。これも、ガンガンが少年マンガ路線へと梶を切った一つの理由と言えそうです。
 そしてもうひとつ、先ほども書いたとおり、この当時のガンガンは25万〜30万部の安定した部数を維持していましたが、しかし初期ガンガンの最盛期の50万部にはまだ及ばないわけで、そうした初期ガンガンのより大きな人気、圧倒的な人気を求めた可能性もあります。「今の部数ではまだ満足できない。初期ガンガンのような誌面に戻して、あの頃の部数を今一度達成しよう」と考えたとしてもおかしくはありません。

 ただ、いずれの理由にせよ、初期の頃のガンガンの姿を求めての路線変更だったことは間違いないところで、しかもその改革の方法があまりにも急で強引なものだったため、誌面は徹底的に混乱し、最後にはお家騒動による編集部・作家の分裂という致命的な状態にまで発展することになりました。これまでのガンガンも、初期の頃から少しずつ変わってはきましたが、それは少しずつ自然に変わってきたものでした。しかし、この当時の路線変更はそんなものではなく、あまりにも強引で性急なやり方に、読者や作者まで大いに振り回されることになります。

 まず、路線変更の端緒として、編集部が最初に起こした行動は、2000年5月号に行われた「TWIN SIGNAL」のGファンタジー移籍です。「TWIN SIGNAL」は、ガンガン初期の頃からの長期連載ですが、連載中期以降にシリアスなSF路線に移行してからは、高年齢のコアな読者が中心となり、初期の頃の低年齢の読者はもう少なくなっている状態でした。そんな連載を、おそらくはこれからのガンガンの路線には合わないという理由で、なんの前触れもなくいきなり姉妹誌のGファンタジーへと移籍させてしまうのです。
 当時の「TWIN SIGNAL」は、全盛期の盛り上がりは過ぎていたものの、それでも根強いファンを多数抱える、ガンガンでも最も人気のある作品のひとつでした。紛れもなくガンガンの中心作品のひとつだったのですが、そんなマンガを、なんの落ち度もないのにいきなり他誌へと飛ばしてしまったのです。これは、当時の読者に非常な衝撃を与えたようで、ほとんどの読者はガンガン編集部の意図を測りかね、以後ガンガンに対して不信を抱くきっかけとなってしまいます。

 そしてもうひとつ、さらに読者に衝撃を与えた方針がありました。2000年9月号における「刻の大地」のGファンタジー移籍です。「刻の大地」もまた、ガンガンで最も人気のある作品として、多くの読者に絶大な支持を受けていました。当時の人気では、「TWIN SIGNAL」以上のものがあったと言っても過言ではありません。まぎれもなくガンガンでトップクラスの人気を誇る中心作品でした。しかし、この作品もまた、独特の設定と人気の高いキャラクターで、高年齢の読者の支持が中心で、やはり低年齢の読者は少ないコアな作品となっていました。そして、編集部は、これもまたこれからのガンガンの路線には合わないとして、この作品までGファンタジーへと飛ばしてしまいます。
 これは「TWIN SIGNAL」の移籍以上の衝撃を読者に与え、雑誌の中で最も人気のあるふたつの連載を、何の前触れもなく次々と他誌へ飛ばした編集部への不信は一気に高まります。このふたつの決定だけで、ガンガンへの読者の信頼は一気に揺らいだと見てよいでしょう。

 さらにもうひとつ。これは編集部の決定ではなかったようですが、2000年2月号における「まもって守護月天!」の連載中断もありました。これは、まだ路線変更前の出来事であり、しかも作者個人の都合によるものだったようですが、しかしこれもまたガンガンの中心作品がいきなり消えたことの読者の動揺は大きく、ガンガンの連載ラインナップに与えた影響は計り知れないものがありました。
 こうして、「TWIN SIGNAL」「刻の大地」「まもって守護月天!」と、ガンガンの中でも最も人気を高かった作品が、一度に3つも消えてしまうことになります。ここまで、ガンガンを純粋に楽しんでいた読者も、人気作品の立て続けの移籍・中断には大きく動揺し、ガンガンへの熱が冷め、一部には雑誌から離れていく傾向が見られるようになります。そして、次にやってきた編集部によるさらなる路線変更の方針によって、それはさらに決定的なものとなります。

 こうして、人気作品の一部を移籍させたガンガン編集部ですが、次に今までとは路線の異なる新連載作品を大量に投入します。これは、2000年後半から1年近くに渡って長く行われ、これによってガンガンの雰囲気は大きく変わることになります。
 この時期の新連載の具体的なラインナップは、「清村くんと杉小路くんと」(土塚理弘)、「マジック・マスター」(黒沢哲哉・阿白宗可)、「スサノオ」(増田晴彦)、「爆裂機甲天使クロスレンジャー」(松沢夏樹)、「ARTIFACT;RED」(木村太彦)、「ドラゴンクエスト エデンの戦士たち」(藤原カムイ)、「パンツァークライン」(神田晶)、「High球!いんぷれっしょん」(真三月司)などなど。これらの作品の中には、爆笑ギャグで一世を風靡した「清村くんと杉小路くんと」、マジックブームを巻き起こすきっかけとなった「マジック・マスター」など、これはと思える良作もあるにはありましたが、それ以上にどうにもいまひとつの作品の方が多く、そういった質の低い連載が大量に投入されることで、ガンガンのラインナップの質は大きく揺らぐことになりました。中でも、スポーツ(バレー)マンガの「High球!いんぷれっしょん」あたりがその代表で、レベルの低い絵柄とスポーツ描写で体を成しておらず、すぐに打ち切りとなってしまいます。さらには、これらの作品の多くが、ガンガンの編集部が路線変更で求めた少年マンガ志向の作品であったため、これまで中性的なエニックスマンガを愛読していた多くの読者には好みに合わなかったこともあり、決して多くの支持を得ることは出来ず、これが決定的な読者離れを呼ぶことになりました。この時点ではまだお家騒動にまでは発展していませんが、しかしこの時期に既にガンガンから離れていった読者も少なくありませんでした。

 では、逆に、少年マンガを求める読者たちの支持は得られたのか? 本来、これらの連載の多くは、少年マンガを愛好する読者の声に応えた側面がありました。しかし、これが意外に芳しい反応を得ることが出来なかったのです。全体的に雑多で質の低い連載が多く、素直に面白いとは言えない作品ばかりでした。ガンガン初期の「ロトの紋章」や「ハーメルンのバイオリン弾き」などの優秀な連載に比べれば、その面白さには決定的な差がありました。結局、いくら少年マンガテイストな作品をそろえても、肝心の質の低い作品ばかりでは、誰の支持も得られなかったというのが正直なところでしょう。

 これらの新連載の中では、特に藤原カムイと増田晴彦の連載に注目です。このふたりは、いずれもガンガン初期の人気作家であり、そんな作家を今復帰させることで、初期の頃の少年マンガ中心の誌面を取り戻そうとしたことは明白でした。このガンガン初期作家の復帰では、少し遅れて2002年に柴田亜美も復活させています。
 藤原カムイの「ドラゴンクエスト エデンの戦士たち」は、ドラクエ7のコミカライズ作品で、神崎まさおみの「ドラゴンクエスト 幻の大地」の終了を受けた、新しいドラクエマンガの連載という側面もありました。さらには、かつての大人気マンガ「ロトの紋章」の作者を復帰させ、昔のようなドラクエマンガの人気を復活させようという意図もあったと思われます。そして、こちらの方が「幻の大地」よりも安定したクオリティを確保し、「やはりガンガンでドラクエは藤原カムイに限る」という声を聞くことになりました。ただ、安定したマンガではありましたが、反面どうにも地味な展開に終始し、最後まで「ロトの紋章」のような大きな人気を得ることはありませんでした。この点では、ガンガン編集部の期待は半ば外れた形になったと言えるでしょう。
 増田晴彦の「スサノオ」は、それ以上に極端に目立つ作品でした。増田さんの無骨なモンスターキャラクターに満ちた連載は、これまでの中性的なエニックスマンガとは正反対の雰囲気の作品であり、最も少年マンガ志向の強く表れたマンガとなっていました。そして、このマンガの担当となった編集者・松崎さんの活動が異様で、雑誌掲載時に異常に太く巨大な書き文字の煽り文を多数盛り込み、肝心のマンガの絵が見えないような状態まで散見されました。これには、作者の増田さんも苦笑せざるを得なかったようです。
 のちにガンガンの編集長に就任したことからも分かるように、編集部の中でも最も強く少年マンガを求めた松崎さんでしたが、その意向が最も露骨に反映された作品だったと言えます。しかし、肝心のマンガの内容はいまいちで、最後まで人気はまったく奮わず、わずか8ヶ月で打ち切りとなってしまいます。路線変更による失敗の典型的な例だったと言えるでしょう。このように、この時期に投入された新連載は、その多くは読者の支持を得ることが出来ませんでした。

 さらに、こういった大量の新連載攻勢に加えて、同時期に大きく進められた企画がありました。数十ページに及ぶ大量のゲーム紹介ページの投入です。元々、ガンガンには、巻頭のでゲームを紹介するページがいくつかありました。しかし、それらはあくまで数ページ程度の規模で、自社であるエニックスの作品をいくつか扱う程度でした。しかし、この時期になって、いきなりその量が数十ページへと膨大なものとなり、他社のゲームまで多数のタイトルを扱うようになるのです。さらには、ゲームを紹介する文章の語り口が、いかにも小学生などの低年齢をターゲットにしたような口調で、やはり低年齢向けの誌面を意識していたことはよく表れていました。編集部としては、あのコロコロコミックのように、子供向けのホビーの紹介を取り入れることで、低年齢読者を確保しようとしたのではないでしょうか。
 しかし、このゲーム紹介ページ、当時の読者には徹底的に不評で、ネット上では「ページの無駄だ」「マンガとは関係のない大量のページでまったくの無意味だ」「こんなものを載せるくらいなら、ひとつでもマンガの掲載を増やした方がいい」などという意見が相次ぎ、編集部もあまりの不評ぶりを目の当たりにしてか、わずか半年程度でこの企画ページは打ち切りになってしまいます。

 以上のように、このガンガンの路線変更は、大量に投入された少年マンガ路線の新連載に、極端に大量に増えたゲーム紹介ページなど、明らかに低年齢向けの志向を強くしていました。しかし、これは当時の読者の好みにはまったく合わない上に、マンガに関してはおしなべて質も低く、ほとんど芳しい人気も評価も得ることは出来ませんでした。そして、このような不安定な雑誌の状態を見て、この時点で多くの読者がガンガンから離れていきました。
 そして、このような路線変更の方針は、編集部の内部でも相当な反発を生んだようで、ついには編集者間の対立は決定的なものとなり、一部の編集者が出版社を離反、多数の作家を引き連れて新雑誌を立ち上げる事態にまで発展してしまいます。これが、のちに「エニックスお家騒動」と呼ばれる大きな出来事となります。次回は、このお家騒動について詳しく採り上げることにします。


 少年ガンガン20年史(7)お家騒動とその後のガンガン


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