<少年ガンガン20年史(8)2004年〜2006年のガンガン>

2010・6・30

 2004年以降のガンガンも、基本的にはそれまでの少年マンガ中心の路線を踏襲しています。この当時(2004年末)に行われた松崎編集長のインタビューで、彼は、

 「01年、編集部一丸となって方向転換しました。目標はメジャーな少年マンガ雑誌です。」
 「『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』のマンガ化というカラーを守りながら、スポーツや料理など一般的なジャンルを増やそうと模索中です。」

という発言を残しており、明確に少年マンガ雑誌を目指していることが分かります。

 この時期に登場して成功したマンガとしては、まず2004年の「ソウルイーター」(大久保篤)でしょう。2001年に始まった作者の前作「B壱」も相当な秀作でしたが、こちらの方は意外に早い時期に終了し、その後この「ソウルイーター」につながる読み切り連作が始まったところを見ると、この作品のために前作を終了させたとも考えられます。実際、ガンガン編集部は、当初からこのマンガにはひどく力を入れていて、ガンガンの主力作品にしようと考えていたことは明白でした。そして、これは見事にその期待に応え、TVアニメ化まで達成した長期連載作品となり、のちにスピンオフ作品(「ソウルイーターノット!」)が開始されるなど、今現在(2011年現在)でもガンガンの看板作品のひとつとなっています。

 もうひとつ、2005年に始まった成功作として、「屍姫」(赤人義一)があります。伝奇ホラー+美少女ガンアクションといった作風で、同時期に人気を得ていたTYPE-MOONの作品(「月姫」「空の境界」など)の影響を明らかに受けており、少年マンガ路線に入ったガンガンの中では比較的マニアックな読者を想定した作品でした。しかし、これも無事に読者の好評を得て、やはりTVアニメ化まで達成した長期連載作品となりました。

 しかし、こうしていくつかの成功作は出てきたものの、編集長の発言した「スポーツや料理など一般的なジャンルを増やそうと模索中」とした試みは、成功することはありませんでした。料理マンガとしては、2005年から「王様の耳はオコノミミ」(夏海ケイ)という連載を開始、これはそこそこの作品にはなっていたと思いますが、大きな人気を得ることはなく、比較的短期間で終了し、その後ガンガンで料理マンガが出ることはなくなりました。スポーツマンガに関しても、2004年以降盛んに読み切りを掲載し、2006年には「新体操舞技 -TUMBLING BOYS-」(宍戸道子)という短期連載のマンガも打ち出しますが、いずれも読者の反応は芳しくなかったようで、以後スポーツマンガを推し進めようという動きは途絶えていきます。結局、「スポーツや料理など一般的なジャンルを増やす」試みは失敗したと見てよさそうです。元々、ガンガンは、ファンタジーやSF、ゲームマンガなどが人気を得てスタートした雑誌であり、そういったマンガを求める読者が多いことは明白でしょう。上で挙げた「ソウルイーター」や「屍姫」も広い意味でそこに属する作品です。そういった、ガンガン読者の需要にあった作品なら成功するでしょうが、最初から読者の需要のない料理マンガやスポーツマンガを強引に打ち出しても、成功するのは難しいと考えるのが自然ではないでしょうか。


 しかし、この時期(2004年〜2006年)のガンガンは、そうした普通の連載マンガの動向以上に、雑誌全体の姿を変えるような、激変とも言える非常に大きな動きがありました。この時期のガンガンでは、むしろこちらの出来事を語る方がはるかに重要でしょう。

 そのひとつは、なんといっても「鋼の錬金術師」のTVアニメ化による大成功にあります。元々、連載開始時から雑誌読者には非常に人気の高かったこの作品ですが、一般にも浸透した大人気作品となるのは、このアニメ化によるところが非常に大きいものがありました。
 「鋼の錬金術師」のTVアニメ(一回目)が開始されたのは、2003年10月ですが、この時の反響は非常に大きく、アニメ化直後に発売されたガンガンは、一気に42万部という部数を記録します。それまでが約16万部でしたので、一気に3倍へと跳ね上がったことになります。この時のガンガンは店頭から瞬く間に消え、再発売されるという異例の事態となります。増えた読者の大半は女性読者だったようで、以後ガンガンはこのような女性読者を意識した雑誌作りを考える契機となります。
 その後、さすがにやや部数は下がりますが、それでも1年間のアニメ化放映中は安定した部数を維持し(2004年のガンガンの平均部数は35万部)、売り上げの面では一気に活気付いてきます。そして、この予想以上の大成功が、ガンガン編集部、ひいてはスクエニ上層部の経営陣をも動かしたようで、以後のガンガンはそちらからの方針の影響を強く受けるようになるのです。

 まず、その「鋼の錬金術師」の扱いが非常に大きくなります。毎号のようにアニメやゲーム、ノベル、劇場版映画などの関連作品の情報ページに誌面を大きく割き、付録や応募者全員サービスも必ず毎号行い、そして毎号表紙は「鋼の錬金術師」と、まさに雑誌全体が鋼ページのオンパレードといった状態で、この当時のガンガンを指して、「月刊鋼の錬金術師」と揶揄する言葉も一部で聞かれるようになりました。
 そして、この言葉は、決して単なる揶揄ではなく、実際にもかなり当たっているところがあり、この当時は確かに「鋼の錬金術師」の存在感だけが圧倒的で、それ以外の連載陣は、まず数自体が少なく(これについては後で述べます)、一部をのぞいて平凡な作品が多数を占め、その存在感が明らかに低下していました。アニメで入ってきた読者も、その大半は「鋼の錬金術師」のみを目当てに雑誌を読む状態が続いており、「月刊鋼の錬金術師」と呼ばれても仕方のない状態であったことは否定できません。
 そして、この「鋼の錬金術師」の大きな扱いは、単にガンガン編集部によるものだけでなく、次第にスクエニ上層部の経営陣の意向も入ってくるようになります。アニメが圧倒的にヒットし、コミックスの売り上げも1巻で百万部を超えるようになったこの作品を見て、スクエニはこれをドラクエやFFに並ぶキラータイトルとして、非常に大きな扱いをするようになるのです。

 さらにスクエニ本社からの影響を受けたと思われる方針としては、まず旧スクウェアゲームのコミック化があります。これまでのガンガンは、ゲームコミックと言えば旧エニックスのゲーム、ドラクエやトライエースのRPG(スターオーシャンやヴァルキリープロファイル)が中心でした。しかし、2003年4月にスクウェアとエニックスが合併したことで、「ファイナルファンタジー(FF)」を始めとするスクウェア側の人気ゲームも、ガンガンやその姉妹誌で次々とコミック化されるようになるのです。
 この時期のガンガンでは、2004年に「ファイナルファンタジークリスタルクロニクル」(壱川柳乃助)、「『ロマンシングサガ ミンストレルソング』ビジュアルストーリー」(小林智美)(コミックではなく、カラーのイメージイラスト+ショートストーリーのコンテンツ)、2005年には「キングダムハーツ チェインオブメモリーズ」(天野シロ)が始まっています。特に「キングダムハーツ チェインオブメモリーズ」は、元はエンターブレインのファミ通ブロスに連載されていた作品の続編で、スクウェアがエニックスと合併したことを契機にガンガンへと移籍した形となり、合併の影響を強く感じる連載開始となっています。

 しかし、この時期のガンガンは、こうした既存のスクウェアゲームのコミック化だけでなく、オリジナルのゲーム企画の採用、それも、スクエニ自身が「ポリモーフィック・コンテンツ」と名付けた一連の企画の一角を担うようになり、この影響に非常に大きなものがありました。
 「ポリモーフィック・コンテンツ」とは何か? 冒頭の松崎編集長のインタビューで、編集長は次のように語っています。

 「また、スクウェア・エニックスでしかできない「ポリモーフィック・コンテンツ」という戦略を考えています。普通はマンガがヒットするとゲーム化、アニメ化につながる。それを初期の段階から適切な形で展開しようというものです。」

 つまり、作品を立ち上げる最初の段階から、マンガ化・ゲーム化・アニメ化などを同時に推し進めようという戦略で、いわゆるメディアミックスに他なりません。スクエニ流のメディアミックスの言い換えとも言えます。この時期、どういうわけか、スクエニ上層部の経営陣から、この聞きなれない言葉がとび出し、ビジネスのプレゼンテーションの現場でも盛んに宣伝されるなど、異様に力を入れていたことがうかがえます。
 元々、この「ポリモーフィック・コンテンツ」とは、「鋼の錬金術師」で最初に企画されたものに他なりません。最初期の頃から見るべき面白さを持っていた「鋼の錬金術師」は、スクエニの各所からすでに注目を集めていたらしく、早くからアニメ化・ゲーム化等の企画が同時並行的に進行していたようです。そして、中でもテレビアニメは空前のヒットを果たし、ゲーム化やノベル化でも大きな成果を挙げることになります。この「鋼の錬金術師」の大きすぎる成功を受けて、スクエニは「ポリモーフィック・コンテンツ」を本格的に他のタイトルでも進めようと考えるようになったようです。

 そして、そのポリモーフィック・コンテンツの最たる企画として、2005年に「コード・エイジ」と呼ばれる一連のオリジナルコンテンツを立ち上げます。これは、同一の世界観・設定の下に、PS2ソフト・携帯ゲーム・そしてガンガンでの連載マンガという3つの作品を同時期に連動してリリースするというもの。ゲームを中心にして各コンテンツを同時に進めるという点では、角川書店の「.hack(ドットハック)」シリーズに近いものがありますし、実際にそれと同じような企画をスクエニが推し進めた形となりました。PS2では「コード・エイジ・コマンダーズ」というゲームを発売し、携帯では「コード・エイジ・ブロウルズ」というゲームを配信、そしてガンガンでは「コード・エイジ・アーカイヴス」(WARHEAD・AIYAH-BALL)という連載マンガを開始します。
 スクエニは、この企画に相当な力を入れていたようですが、しかし結果はまったくの失敗に終わります。企画の中心だったPS2ゲーム「コマンダーズ」の評価は全く芳しくなかったのが決定的で、売り上げ的にも完全に失敗に終わります。そして、ガンガンでの連載マンガだった「アーカイヴス」は、当初から1年間の連載と期間は決まっていたようですが、こちらも内容的にはいまひとつで、最後までこれといった反応はありませんでした。特殊な技術を使ってゲームのグラフィックスをマンガに落とし込んだということをひとつの売りとしたようですが、マンガの絵としては大きく特に目立ったところはなく、ストーリーもいまひとつ盛り上がらずに、1年間の連載を終えることになりました。

 このように、オリジナルでの「ポリモーフィック・コンテンツ」は完全に失敗に終わりますが、スクエニはさらにこの企画を続けます。その際たるものが、「コンピレーション・オブ・FF7」と銘打たれた一連の企画で、これは、スクウェアが抱える大人気ゲーム「ファイナルファンタジー7」の関連作品を同時並行的に出すというものでした。中でも、その中でも中心的な存在だったDVD映像作品「FF7 アドベントチルドレン」は、DVDソフトとしては突出した売り上げを達成し、当時非常に大きな話題を呼びました。そして、この「アドベントチルドレン」の紹介記事や連動企画が、ガンガンでもものすごい勢いで行われることになったのです。

 そもそも、この時期のガンガンは、スクエニゲームの情報記事が極端に増加しており、スクエニが発売するゲームをひとつひとつ、全部で数十ページにも及ぶカラーページで紹介する記事が、毎号のように掲載されるようになりました。どうも、スクエニの上層部は、このガンガンという雑誌をスクエニゲームの情報誌にしようと試みていた形跡があり、「鋼の錬金術師」の力で大きく部数を伸ばしたガンガンで、スクエニゲームの宣伝を行おうという企みを強く感じることが出来ました。ガンガンを、言わばVジャンプやコロコロコミックのような雑誌にしようと考えていたようなのです。

 中でも、スクエニゲームの中でも最大の話題となった「アドベントチルドレン」の扱いは凄まじいもので、一時期は毎号のようにカラーでの情報ページに制作者インタビュー、有名マンガ家を招いてのイラストギャラリー、付録や読者プレゼントなどの企画が、怒涛のように押し寄せることになりました。表紙までも「アドベントチルドレン」や、関連作品だった「ダージュオブケルベロス」のキャラクターで占められる有様で、一瞬ガンガンはゲーム雑誌になってしまったのかと勘違いしたほどです。

 その一方で、肝心のマンガにかける力が相対的に小さくなり、この時期のガンガンは、新連載も連載本数も非常に少なくなっています。特に、オリジナルの新連載が極端に少なく、2004年には前述の「ソウルイーター」1本のみ、2005年も「屍姫」と「王様の耳はオコノミミ」の2本のみで、本当にそれだけしかありません。新連載が少なくなったために、連載本数自体も少なくなっており、この時期のガンガンは、平均して14本程度の連載本数しかありませんでした。これは、ガンガンのようなページ数の多い雑誌では、かなり珍しい状態だと言えます。その分、誌面の構成が、「鋼の錬金術師」やスクエニゲームの情報・宣伝に大きくシフトしていたわけです。

 このように、この2004〜2006年当時のガンガンは、このような「スクエニゲーム」とそして「鋼の錬金術師」情報ページや様々な企画で誌面の多くが占められ、雑誌の姿が大きく変わってしまったと言えます。これは、「鋼の錬金術師」の成功に端を発したスクエニ本社の経営陣の意向によるところが大きいもので、ガンガンはスクエニ本社の経営陣の意向に振り回されたと言っても過言ではないでしょう。

 従って、この当時のガンガンは、マンガにおいて見るべきものがあまりありません。マンガよりもむしろスクエニの有力コンテンツの情報・宣伝に大きく依存しており、肝心のマンガは新連載も連載本数も極端に少なく、「鋼の錬金術師」の存在感ばかりが目立つような状態でした。「ソウルイーター」や「屍姫」のような新連載の成功作品や、以前から安定した人気を維持していた継続連載もあるにはあったのですが、それらよりも「鋼の錬金術師」とスクエニゲームコンテンツの情報が前面に出た雑誌に変わっていたのです。そのため、マンガでの成果に乏しく、むしろこの時期のスクエニでは、新創刊された青年誌「ヤングガンガン」や、マイペースに雑誌運営を続ける「ガンガンWING」「Gファンタジー」の方が、より大きな成果を挙げていたように思えます。特に、ヤングガンガンの奮闘ぶりは非常に大きく、これ以降「スクエニで一番面白いのはヤングガンガン」という評価が定評ともなります。スクエニ本社の経営陣の影響も受けずに、実直に運営を続けた雑誌の方が、よい成果を残すのも当然だったと言えるでしょう。

 このようなガンガンの状態は、2006年後半になって急速に変化し、また元のマンガ中心の雑誌へと戻っていきます。これにより、辛くもガンガンはマンガ誌としての姿を取り戻すことになります。次回は、それ以降のガンガンの動向を、現在(2011年)に至るまで見ていくことにします。


 少年ガンガン20年史(9)2007年以降のガンガン


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