<FRONT MISSON DOG LIFE & DOG STYLE(前編)>

2008・12・9

*後編はこちらです。

 「FRONT MISSON DOG LIFE & DOG STYLE」は、ヤングガンガンで2008年6号から開始された連載で、タイトル通りスクエニの人気ゲームシリーズ「フロントミッション」シリーズを原作に置く作品となっています。その内容は、一個の戦争を舞台に、短編を重ねて様々な戦争の側面を切り取っていくというオムニバスストーリーとなっており、その毎回のエピソードの凝縮された面白さには見るべきものがあります。作者は、原作を「MOONLIGHT MILE」などの著作で有名な太田垣康男、そして作画担当にC.H.LINEなる名前が挙がっています。原作者は有名な存在ですが、作画担当は聞き慣れない名前で、もしかすると複数名によるユニット名なのかもしれません。

 元々、この「DOG LIFE & DOG STYLE」の連載が始まるほぼ1年ほど前に、同じく「FRONT MISSON」の名を冠する作品「THE DRIVE」が連載されていました。この作品も非常に出来のいい快作だと思ったのですが、しかし意外にも短期連載で終了となり、その後サブタイトルを変更する形で、新たなシリーズであるこの「DOG LIFE & DOG STYLE」の連載が開始されました。「THE DRIVE」の原作も太田垣康男が担当しており、その重厚な脚本のイメージはまったく変わっていません。作画担当は変更されているようですが、どちらも精細で緻密極まる圧倒的な作画であり、そのレベルの高さには驚くべきものがあります。

 そして、この太田垣康男が手がける「FRONT MISSON」のコミック作品は、どちらも非常にオリジナル色が強く、原作であるゲーム「フロントミッション」とはかなりの部分で異なるイメージの作品となっています。特に、後発の作品であるこの「DOG LIFE & DOG STYLE」の方がより顕著にその傾向を示し、基本的な設定や世界観でも相当な違いがあるようで、かつ作品のテーマも「戦争の過酷で悲惨な側面を仮借なく描く」という、原作とは方向性の異なる、しかし極めて重厚な奥深いものとなっており、「フロントミッション」のコミック化作品というよりも、むしろ原作者の太田垣康男の色が非常に強く出た作品となっているようです。はっきり言って「ゲームコミック」と言う言葉はあまり当てはまらない作品となっており、むしろ「オリジナルの戦争もの作品」として見る方が適切ではないかと思われます。

 ヤングガンガンではあまり売れ線とは言えない、渋い作品ではありますが、しかし実はこのマンガは非常に面白く、しかも回を追うごとに優れたさらにエピソードが見られるようになり、その完成度は極限にまで達してきた感があります。ヤングガンガンでは、実に影のトップクラスと言える素晴らしい実力派作品ではないでしょうか。


・戦争の周辺事情を描いている点が大きなポイント。
 とはいえ、完全にオリジナルの設定というわけではなく、大きな世界情勢や、「ヴァンツァー」と呼ばれる巨大装甲ロボットが戦争の主戦力となっている点など、基本的な設定ではオリジナルのゲームを踏襲しています。

 時代は21世紀末。ふたつの超国家連合が世界を二分する時代において、その超大国同士が唯一国境を接する「ハフマン島」という東太平洋の小さな島で起こった新たなる紛争、それを舞台にしている点では、原作ゲームと変わりありません。二つの超大国─具体的には、アメリカを中心とする国家連合「U.S.N」が東半分を、アジア・オセアニアを中心とする国家連合「O.C.U」が西半分を支配するこの小さな島は、豊富な地下資源に富み、これまでもその利権を巡る争いが耐えませんでしたが、今は長い間停戦状態にあり、致命的な衝突は避けられていました。しかし、「O.C.U」に新たに超タカ派の総督が就任したことを機に、一気に緊張が高まり、ついに新たな紛争が勃発してしまいます。

 このような基本的な設定だけは、ほぼ原作ゲームからの引用なのですが、マンガでの紛争(戦争)の描かれ方は、ゲームとは大きく異なります。戦場でのヴァンツァー(ロボット)での戦闘シーンよりも、むしろ、この戦争に何らかの形で関与する、もしくは巻き込まれた人々の事情、いわば戦争の周辺事情を丹念に描いている点が、最大のポイントでしょう。
 これは、コミック版の前作「THE DRIVE」との最大の違いでもあり、前作がヴァンツァー小部隊の活躍を描く物語となっていて、戦場での光景、ロボット同士の戦闘シーンがメインだったのに対して、今回はそのような描写も要所で見られるものの、それ以上によりマクロな視点で「戦争」そのものを様々な角度から描いている点が、非常に特徴的な作品となっています。その点において、従来の戦争もの以上に多層的で奥の深い物語になっていると感じます。

 加えて、原作者の太田垣康男の思想だとも思えるテーマ(人間の生き方)が、幾度か登場するのも目に付きます。具体的には、「戦争が起これば戦場に赴き、戦争が終われば故郷に帰ってまたいつもの営みを繰り返すという生き方が、人類が長い間繰り返してきたものだ」とする思想が、作品の端々で見られるのです。戦争の悲惨さ、残酷さも強く表現された作品なのですが、しかし単なる戦争批判にはとどまらない独特の思想が、この作品には込められているような気がします。


・戦場に放り込まれた特派員の過酷な運命を描く冒頭のエピソードが秀逸。
 そんな「戦争の周辺事情」を描く話の典型として、まず連載開始直後に登場した第一のエピソードが秀逸でした。
 このエピソードの主人公は、東京のテレビ局の報道記者である松田晃という男。彼は、前任の特派員と入れ替わりになる形で、ハフマン島へと派遣され、そこで報道活動を行うことになります。赴任が決まった直後から、紛争の懸念と不安に襲われる松田でしたが、現地に入ってものものしいヴァンツアーの姿を目の当たりにし、さらに紛争が起こりそうな政治情勢を聞くにつれ、さらに不安は増大します。
 そんな彼を現地で迎えたのは、前任者である女性特派員の栗原と、現地採用のコーディネーター(カメラマン)だった犬塚という男。栗原は、松田同様に紛争の勃発に脅えており、松田と入れ替わりに島から帰れることを喜んでいます。その一方で、犬塚は能天気な軍事オタクで、紛争の最前線であるこの地で数々の兵器を見ることに喜びを感じるだけで、好奇心が上回りまったく脅える気配を見せません。この犬塚が、のちにこの物語の重要な位置づけとなります。

 そして、松田が現地入りしてすぐに、紛争の不安は現実のものとなります。O.C.U最大の都市であるフリーダム市にミサイルが撃ち込まれたのを発端に、一気に本格的な軍事衝突に発展、苛烈な攻撃は後を絶たず、市内は瞬く間に瓦礫の山とおびただしい死傷者で地獄の様相を呈してきます。そんな中で辛くも運良く生き延びた松田と栗原は、悲惨な光景が続出する戦場という異常な場所に放り込まれ、正常な精神を保つことも出来ず、ただここを脱出することだけを願うことになります。ようやく確保した最後のチケットを手にして、空港へと装甲車に乗せられて移動しますが、その途中で流れ弾に遭って栗原はあっけない最期を遂げてしまいます。

 そんな「戦争に巻き込まれた一般人」の戦場体験の恐怖が描かれる一方で、現地のカメラマンだった犬塚は、まったく別の行動を採り始めます。戦争が始まるまでは一介の軍事オタクに過ぎなかった彼ですが、現実の戦争を目の当たりにした時、彼の中で何かが弾け、憑かれたかのように戦場に出て過激で悲惨なシーンを撮り続けるようになります。しかも、その時に人間離れした異常な能力まで発揮し始めるのです。
 彼は、昔から存在感の薄い男で、誰にも気づかれないような地味な存在として生きてきました。それが戦場においては、兵士の目にもまるで意識されず、銃弾もミサイルもすべて脇をすり抜けていくという、特殊な能力を持つ人間となったのです。まるでステルスのように誰にも気づかれない戦場の透明人間・・・その幽霊のような異様な存在感には、作中の松田ならずとも圧倒させられます。

 (*ちなみに、奇しくも同ヤングガンガンで連載中の「咲 -saki-」にも、まったく同じような能力をもつキャラクターがいますが(笑)、この犬塚の方が登場は早いです。)

 また、そんな犬塚を表現した松田の言葉として、「冷徹なまでに静かな目で現実を凝視すればいい。そこから何を感じ取るかは見た人間に委ねる。ジャーナリストはただ伝えるだけ。」というものがあります。これは、これこそがジャーナリストのあるべき姿だという主張になっているだけでなく、このマンガのあり方そのものも示唆しているように思えます。このマンガ、確かに戦争の悲惨さや残酷さを克明に描いてはいますが、かといって単純な戦争批判にはなっておらず、もちろん戦争を肯定しているわけでもなく、「ただ淡々と戦争の現実を伝え、判断は読者に委ねる。」というスタンスを貫いているように思えるのです。

 そして、この犬塚は、のちのエピソードでも要所要所で頻繁に登場し、物語に微妙なアクセントを加える存在となり、時には重要な役割を果たしてキャラクターをサポートするなど、この作品を象徴するキーキャラクターとなっています。


・田舎の不良がエースとなって戦場に赴く第二エピソードも秀逸。
 「戦争に巻き込まれた一般人」という点では、その後に続く第二エピソードでも共通するものがあるかもしれません。
 前回の主人公・松田が東京の人間だったのに対して、今回の主役・加納少尉は、青森の片田舎の出身です。10代は不良として過ごしていた彼は、家庭の経済環境に恵まれず、中卒で入った建設会社も二年で倒産して失業、父親のガンによる入院も追い打ちをかけ、やむをえず地元の日防軍(この世界での自衛隊)に入隊することになります。友人で相棒だったマサも同じような境遇で、ふたりで日防軍で厳しい訓練を受けることになります。
 しかし、彼らは奮闘しました。1000人に1人という難関を制覇して、ついにエリート中のエリートと呼ばれるヴァンツァーのパイロットにまで成り上がったのです。ただの田舎の失業者が軍のエースになった・・・。それは5年目の夏のことでした。

 そして、そんな彼らの元に、ついにハフマン紛争への出撃命令がくだります。軍に入ってからある程度覚悟していたものの、ついにその時が来た・・・。出撃の前に、2日間の休暇をもらって田舎の故郷へと帰省することになります。
 そこでふたりを出迎えた光景・・・それは、出征を盛大に祝う地元の人たちの派手な出迎えでした。役場にも呼ばれて花束を贈呈され、「国際貢献と〜」とかいうテーマで講演まで開くなどの歓待ぶりで、しばらくの間余韻に浸る暇もありません。わたしは、このシーンこそ、なにげにこのエピソードの肝に当たる部分ではないかと思っています。元は田舎の不良で失業者が、軍のパイロットになっただけで一転して英雄になる。しかも「国際貢献」をつかさどる地元の代表、あるいは日本の代表として扱われる。元は職がなくて他に道がなく、仕方なく軍に入っただけなのに、あたかも最初から国際貢献のために軍務に尽くしていた人間のような扱われ方をされる。これは、大いなる日本社会への皮肉だと思うのですが、どうでしょうか。

 その一方で、父の看病に訪れた病院で出会った若い看護師に、なにか一抹の想い出を感じた彼は、ふたりで語り合い、これからの出征に涙を流します。「大変なお仕事ですね・・・」というその女性の言葉どおり、実際に赴いた戦場は過酷に過ぎるものでした。大規模な反攻作戦でヴァンツァーを駆り、歩兵の盾役を任命された彼は、敵ミサイルの直撃を受け再起不能、相棒のマサは無残にも戦死してしまいます。直撃の直前に、かの看護師の女性とかつて自転車に乗った思い出が脳裏をよぎり、懐かしい田舎の光景がオーバーラップします。

 その後、両腕を失った加納大尉・・は、傷痍軍人手当てをもらって田舎に帰還することになり、こうして多大な犠牲を払いつつも、あの懐かしい金色の穂波と美しい青空が広がる田舎へと帰っていきます。このエンディングは非常に美しいものであると同時に、戦争の持つ悲惨な側面と、それにあえて赴かざるを得なかった人間の哀しさをも感じる素晴らしいものになっていたと思います。

 ところで、このような「職がなくて仕方なく軍に入る」という話は、なにもこの物語の中だけのものではありません。ここ最近、アメリカ軍基地があるグァム島では、観光業の衰退で若者の失業者が多く、軍に志願せざるを得ない者がかなりの数にのぼっているようです。長い戦争に反対の機運が強く、志願兵が集まらないアメリカ本土よりもはるかに多くの志願兵が集まり、そんな兵士の多くがイラク戦争へと出征し、本土より5倍も多い戦死者を出しているとの報道がありました。このようなことは、おそらくはこれまでの歴史でもたびたび起こっていたことであり、まさにこの今でも日本からすぐ近い場所で実際に起こっている、極めて現実的な物語だと思うのです。


 続きは後編でどうぞ。こちらです。


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