<戦線スパイクヒルズ>

2009・12・19

 「戦線スパイクヒルズ」は、ヤングガンガンで創刊号である2004年1号から開始された連載で、2007年17号まで続く連載となりました。コミックスは全7巻まで刊行され、長期連載といっていい作品でしたが、しかしヤングガンガンでは、他にも創刊号からさらに長く続く長期連載が数多くあり(「黒神」「ユーベルブラット」「BAMBOO BLADE」「セキレイ」「荒川アンダーザブリッジ」他多数)、それらより一歩先に終わってしまったこの連載は、相対的にやや注目度が低くなってしまったかもしれません。しかし、それでもヤングガンガンを創刊から支え続けた優良連載だったことに変わりありません。

 作者は、原作が原田宗典、作画が井田ヒロト。原作は小説であり、原題は「平成トム・ソーヤー」。原作からはタイトルが変わっており、ストーリーも若干アレンジされているようですが、それでもよく原作の魅力を再現していると思います。原作者にもこのコミック化は好評であり、高く評価するコメントが何度か寄せられています。

 作品の内容ですが、1991年の日本社会を舞台に、高校生たちが活躍する青春冒険ストーリー、でしょうか。普段は恵まれない状態で鬱屈している高校生たち3人が、協力してある犯罪的行為に手を染めて目的を達しようとする、その緊張感・高揚感の表現、若者たちの微細な心理描写に見るべきものがあり、非常に面白い青春ものになっています。作者の井田さんは、青年の心理を描くのが非常に巧みで、この連載でその才能が一気に開花したと言えるでしょう。加えて、そんな高校生たちを描く作画能力でも安定したものがあり、原作のキャラクターたちをさらに魅力ある存在へと昇華しているようです。

 ストーリーもきっちりと完結し、最後まで優秀だったこのマンガですが、その後の井田ヒロトさんは、スクエニを半ば離れて他誌でさらに良作を手がけるようになり、そちらでも評価されています。この「戦線スパイクヒルズ」こそが、彼の出世作と言えるでしょう。


・ガンガンからヤングガンガンへ−井田ヒロトが真価を発揮。
 作画担当の井田ヒロトさんは、元々はガンガンで連載デビューした作家です。2002年のガンガンパワードで掲載された「期末前夜」が読み切りでのデビュー作で、その後2003年に少年ガンガンで「Full Auto」という、あのバトルロワイヤルを想起させる学生バトルものを手がけ、これが素晴らしい良作として評価されました。

 その後、2004年のガンガン7月号から、初の連載である「ドラゴンリバイブ」を連載開始。これは、登場人物たちのハイテンションなノリが異様な印象を残す、バトルファンタジー少年マンガだったのですが、内容はいまいち奮わず、1年も経たないうちにあっさりと打ち切りで終わってしまいます。この当時から、どちらかといえば年齢高めの青年キャラクターの心理描写に見るべきところがある作風だったのですが、それと低年齢向けに描かれた少年マンガとの相性が悪かったように思われました。キャラクターたちが手足をバタバタとせわしなく動かすようなハイなアクションシーンが、読者を選ぶものになってしまったことも否定できません。

 そうして、最初の連載は失敗に終わった井田さんですが、その後に創刊されたヤングガンガンに掲載の場所を移し、この「戦線スパイクヒルズ」を開始。こちらは、青年誌掲載の青年マンガということで、作者の得意ジャンルである青年キャラクターの心理描写が存分に生きた作品となり、ここにきてようやく本領を発揮した形となりました。やはり、青年誌の方が彼の作風には合っていたようです。この時期にヤングガンガンが創刊されたのは、彼にとって幸運だったと言えます。


・一昔前の喧騒に満ちた日本を舞台に高校生の活躍を描く。
 「戦線スパイクヒルズ」は、1991年の日本を舞台にしていますが、この時期の日本は、バブル期の最終期であり、まだまだ社会は活気と喧騒に満ちていました。ソビエト連邦が解体、湾岸戦争と国際情勢も不安定で、どんどん歴史が移り変わっていくアクティブな時代でもありました。ジュリアナ東京が一世を風靡したのもこの頃で、そして大学受験もこの時期が最も熾烈なものとなりました。ちょうど団塊ジュニア世代が大学へと進学する真っ最中で、受験者数が毎年増えて競争率がどこも高い状態でした。受験生にとっては受難の時代だったと言えます。

 そして、そんな時代にまさに受験を控える高校生3人が、この物語の主人公です。彼らは、いずれも家庭環境で不遇をかこっており、日々鬱積しつつ将来も不安な状態で過ごしています。そんな彼らが、とあるきっかけで一流大学の入試問題が裏ルートで流されようとしていることを知り、それを横取りして自分たちが合格しようと奔走する、そんな背徳的な目的に向かって突き進む高校生の屈折した姿がよく描かれています。

 これは、原作の小説「平成トム・ソーヤー」でも時代設定は同じで、こちらは1992年というリアルタイムな時期に描かれています。それを、2004年のヤングガンガンで連載することになって、その連載と同時期に設定を合わせようとも考えたらしいのですが、最終的にはやはり原作に忠実に、あえて1991年を舞台にコミック化することになったようです。

 あえて今の読者にとってやや縁の薄い、1991年を舞台にした理由は何か。作者のインタビューによれば、「ノスタルジックな雰囲気を出したかったのと、携帯電話やインターネットが普及している現代だとつじつまが合わなくなってしまうところが出てくるので」と回答しており、そしてこれは実によく成功していると思います。1991年という、バブル期の最終期、まだ日本が活気と喧騒に満ちていた時代、もしかしたら今よりもずっと豊かだった時代・・・そんな今となっては懐かしいとも言える時代の雰囲気、それを肌で感じるほどに本当によく再現しているのです。当時の資料と照らし合わせて街の背景も描いているようで、そんな作者の努力も窺える内容となっています。

 ところで、1991年と言えば、エニックスの少年ガンガンが創刊された年でもあります。今当時のガンガン作品を読むと、当時の時代を感じるものも少なからずあるのですが、それも今となってはずっと前のものとなってしまい、今のマンガで「一昔前」と描かれるようなものとなってしまいました。思えばエニックス(スクエニ)の歴史も思った以上に長くなってしまったものです。


・三者三様のキャラクターが絶妙に協力し合う姿に共感。
 そして、そんな時代に生きる高校生、それも間近に受験を控える高校生たちが、日常を抜け出して背徳的な冒険を繰り広げ、自分たちの目指す目的に向かって奔走する姿に、非常な共感を覚えます。思わず応援したくなるような青年の必死の姿、それがよく描かれているのです。

 主人公のノムラノブオは、天才的なスリの能力を持っており、この計画の中枢を成しています。家では新興宗教に洗脳された親に受験勉強をひたすら強制され、それに恐ろしいまでの嫌悪感を覚えている状態で、家に身の置き所がなく、気晴らしにスリを行うことで「自分は選ばれた人間で、これさえあれば何でもできる」と思い込むことで、鬱屈した日々を過ごしています。そんな彼が、自分のスリの能力で流出した入試問題をヤクザから奪う、そんな計画に乗ることで、生きる目的を見出すようになるのです。彼が、単なる気晴らしとしてのスリ行為から、目的を達するためにスリの達人のチサト婆さんの元で必死になってスリの技術を磨いていく。その成長していく姿、最終的には驚異的な能力まで身に着けた姿には、一皮向けた以上のものを感じます。

 スウガク(蕪木次郎)は、この計画の首謀者です。家では父親と再婚した母親の両方を無くしており、血の繋がっている人のいない赤の他人の家族と暮らしている上に、その家族からは疎まれ虐げられている状態で、こちらも家に身の置き所がない状態です。しかし、彼は「スウガク」とあだ名されるほど数学の成績はよく、その卓越した頭脳で入試問題の横領計画を綿密に練り上げます。このキャラクターは、原作の普通のイメージの少年から、どこか凄みと影のある切れ者的なキャラクターへとアレンジされており、より印象的で魅力的なキャラクターになっています。

 最後のひとり、キクチは、面白い存在です。彼女は、スウガクの中学時代からの知り合いで、今回の入試問題の流出を知り、スウガクにそれを教えたことで、この計画が動き出します。このキクチもまた親からひどい扱いを受けており、かつ同性の女の子からいろいろと疎まれている境遇でもあります。そんな彼女もまた、この計画に加担することで大いに変わっていくのです。
 彼女は、機転を利かせて計画に邪魔な人物の気をそらせるなどの活躍をすることもありますが、しかし他のふたりほど突出した能力はありません。ノムラノブオのように超越的なスリの能力を持っているわけでもなければ、スウガクのように緻密な計画を練り上げる頭脳があるわけでもない。しかし、このキクチには、他の二人にはない力があるのです。
 それは、場の空気を整えてメンバーをまとめ、うまく計画を進める能力です。ノムラノブオとスウガクは、必ずしも常に馬が合うわけではなく、時に意見の違いから対立して険悪な雰囲気になることも少なくありません。しかし、そんな時にキクチが、明るい笑顔と快活な態度で場の空気を和らげ、ふたりの仲たがいを阻止して逆にうまくまとめあげ、計画を円滑に進める役割を果たすのです。このキクチという少女の存在は、本当に侮れません。ストーリーが進むとノムラノブオとの仲を進展させ、そちらでも2人の姿に応援したくなります。また、今回は井田さんの作画がひどくかわいく描けており、外見的にも魅力的なキャラクターになっています。


・背徳的な計画に手を染める高校生たちの緊張感・高揚感が素晴らしい。
 そして、そんな三者三様のキャラクターたちが、「ヤクザからの入試問題の奪取」という、明らかに犯罪的な行為に手を染め、日々奔走するところに、「高校生が非日常的な冒険を繰り広げる」ことへの緊張感・高揚感がよく表現され、このマンガ最大の魅力となっています。これまでは、受験に追われる日常、それも決して恵まれているとは言えない境遇にあった凡庸な高校生たちが、それぞれの持てるわずかな力を発揮して、普段は知ることのない裏の社会、その非日常的空間で自らの目的に向かって邁進していく。それも、これを達成して入試問題を獲得し、大学に入学できれば先の明るい未来も見えてくるかもしれない。そんな、鬱屈した日常の中で現れた希望の光、それに向かって疾走する若者たちの姿、彼らが心に抱く背徳的で危険な行為に手を染める緊張感と、自分が非日常的な計画に挑んでいるという高揚感、それらが実によく表現されているのです。

 わたしは、決してスリや横領などの犯罪行為を肯定するわけではありません。しかし、このマンガに描かれる若者たちの姿には、純粋に非日常的な冒険に真剣になって取り組むドキドキする緊張感と、わくわくする高揚感、その若者らしい感情が本当によく表れていて、これには本気で応援してしまいます。高校生による青春冒険ストーリーとして、純粋に評価できるものがあるのです。

 また、そんな彼らの冒険を後押しする協力者として、チサト婆さんの存在も見逃せません。若い頃はスリとしてならし、決して人様には自慢できないような人生を送ってきたチサトでしたが、ここで高校生3人と出会い、彼らの純粋な冒険に協力することで、今になって自分の能力がほんの少しでも役に立てる時が来たのかもしれないと思い始め、彼らに親身になって協力することになります。3人の方でも、裏の世界に精通し、スリの能力にたけ、度胸も据わったチサト婆さんの存在は、またとない強力無比な協力者となり、特にノムラノブオにとっては、尊敬すべきスリの師匠として日々彼女の指導の下で厳しい訓練に励むことになります。その一方で、彼女の存在は、まるで家族のように親しめる保護者ともなり、そんなチサト婆さんの住む部屋は、3人が計画のたびに集うかけがえのない憩いの場となったのです。

 それゆえに、後半になってチサトがヤクザに追い詰められて殺される展開、それは最も衝撃的なストーリーの転機となりました。部屋からいなくなり、親身になって彼らを気遣う置手紙を残し、消えた彼女の死を体感した彼らは、彼女からの教えを受け継いでやがてその死を乗り越え、今度こそ自分たちだけで困難な計画に立ち向かうことになるのです。


・井田ヒロトがその実力を存分に発揮した出世作。
 以上のように、この「戦線スパイクヒルズ」、かつてバブル期に描かれた小説を、今の時代にあえて良く再現し、当時の時代の雰囲気と、そこで疾走する高校生たちの姿を描いた、実に優れた青春ストーリーとなっています。ヤングガンガンの創刊時に「青春ものを1本やりたい」ということで企画された連載らしいのですが、それは見事に成功したと言えるでしょう。

 ただ、ヤングガンガンで創刊から2年以上続いた長期連載にもかかわらず、他の連載よりもやや早めに終了してしまったことで、メディアミックス展開にも恵まなかったことは残念でした。今のヤングガンガンは、スクエニのアニメ化重視路線の最先鋒として、アニメ化が相次いでいますが、このマンガももし今連載されていたら、十分にアニメ化候補の一角になったのではないでしょうか。それくらいの面白さがこのマンガにはあり、当時はネットを見渡しても読者の評価は一様に高かったと思います。

 さて、このマンガの連載を円満に終了した井田さんは、その後何度かヤングガンガンで読み切りを残すものの、活動の主軸は他の出版社に移し、とりわけ竹書房の近代麻雀で連載を開始した「東大を出たけれど」は、この「戦線スパイクヒルズ」をも上回る高い評価を獲得しました。東大出身ながらなお麻雀に没入した実在の人物をモデルにした麻雀漫画で、ストーリー・麻雀の描写ともに卓越した名作となったと思います。
 さらには、角川書店の青年誌「コミックチャージ」においても、あの伊坂幸太郎の小説「グラスホッパー」のコミック化作品を連載。これらの作品も、青年の姿・心理を丹念に描く井田ヒロト得意の作品となっており、このような作風で完全に真価を発揮するようになったと見てよいでしょう。

 そして、この「戦線スパイクヒルズ」は、そんな井田ヒロトが最初に実力を発揮した、出世作となったと見てよさそうです。ガンガンでは成功しなかった新人作家でしたが、新天地となったヤングガンガンで見事に花開いた。ヤングガンガンは、優れた原作(原作者)と作画担当者を組み合わせて良作を生み出す企画の優秀さが顕著ですが、創刊号からの連載だったこれは、その先駆けとなったと言えそうです。


「連載終了・移転作品」にもどります
トップにもどります