<ぶっしのぶっしん>

2010・4・6

ガンガン戦(IXA)二〇〇九冬の陣 171ページ  「ぶっしのぶっしん」は、スクウェア・エニックスより2009年に創刊された新雑誌「ガンガン戦(IXA)」に掲載された作品で、同誌の中では異色の、鎌倉時代の仏師(仏像を作る職人)を扱った読み切り作品となっています。

 作者は、鎌谷悠希。Gファンタジーで「隠の王」を現在も連載中の人気作家で、スクエニでも知られた実力派作家のひとりと言えます。「隠の王」 は、Gファンタジーで2004年から開始された長期連載で、アニメ化もされて好評を博し、現在単行本も10巻以上の巻数を重ねながら、今でもその勢いは落ちていない名作と言えます。そんな名作「隠の王」の作者である鎌谷さんは、連載以前はこちらも面白い読み切りをいくつも残していましたが、連載を持って以降は読み切りを描く機会はぐっと少なくなり、今回の「ぶっしのぶっしん」が、久々に登場した読み切りとなりました。

 掲載誌の「ガンガン戦(IXA)」は、昨今「歴女」と呼ばれる歴史好きのマニア女性に人気の高い「戦国」「三国志」「幕末」等の時代を舞台にした作品を主に集めて出来た新雑誌で、全体的に女性好みの作風も感じられ、はっきりと歴女をメインターゲットに出版されたことの分かる雑誌でした。しかし、掲載作品の多くが「戦国」「三国志」「幕末」を舞台にした作品で占められ、中でも戦国時代の戦争・戦闘・バトルをモチーフにした作品が非常に多い中で、この「ぶっしのぶっしん」は、それらとはまったく離れた鎌倉時代を舞台に、仏像の制作に励む仏師たちが主役と、戦闘やバトルともまるで縁のない人々の物語を描いたという点で、大きな意義がありました。このような、雑誌では異色の作品が掲載されることで、雑誌の多様性が高まり、雑誌の価値を高めたような気がします。

 しかも、この雑誌でも最大の異色とも言えた作品が、実はこの雑誌で1、2を争うほど面白かったのです。これと、現在ヤングガンガンで好評連載中の「アサギ」の外伝が、おそらくは最も面白い2つのマンガだと思いましたし、中でもこの雑誌から登場したオリジナルの読み切りだったこの「ぶっしのぶっしん」は、この新雑誌最大の成果ではなかったかと思うのです。


・新雑誌「ガンガン戦(IXA)」でベテラン作家が本領を発揮。
 この「ガンガン戦(IXA)」という雑誌、「戦国」「三国志」「幕末」を中心に、昨今の「歴女」に好まれるタイプの作画とキャラクター、内容を持つ作品で固められた感が強く、とりわけ戦国時代のバトル(合戦)を扱った作品が数多くを占め、中でも人気キャラクターである伊達政宗や伊達家にスポットを当てた作品が、いくつも見られるような雑誌でした。加えて、スクエニ系のほかの雑誌から人気作品を引っ張ってきて「外伝」として掲載された作品も多く、前述の「アサギ」外伝のほか、現在JOKERで連載中の「戦国ストレイズ」の外伝や、Gファンタジーで連載中の「呂布子ちゃん」の外伝なども、雑誌の大きな売りとなっていました。

 それ以外の作品としては、いわゆる「伝奇バトル」に近い作品もいくつか見られ、こちらは、異能力を持ったキャラクターが化け物を退治する系統の作品で、この雑誌以外にも普通に少年マンガ系で見られるタイプで、こちらにはさほど目新しいものはなかったと思います。

 そんな作品群の中で、この「ぶっしのぶっしん」だけは、それらのいずれにも属さず、鎌倉時代の仏師の心の機微を繊細なタッチで描くという、極めて落ち着いた情感のこもった作品となっていて、これは非常に新鮮な驚きがありました。この雑誌の中ではこれだけが際立っており、しかも読者の心に切々と訴える抜群の内容を持っていたのです。

 しかも、Gファンタジーではいまやベテラン作家とも言える、鎌谷悠希による久々の読み切りです。この「ガンガン戦(IXA)」、他にもスクエニ雑誌で連載を抱えている(いた)ベテラン作家の読み切りはいくつも見られましたが、その中でも最も優れていたのは、紛れもなくこの鎌谷さんの読み切りでした。雑誌最大の異色作が、雑誌で最大の成果を挙げた。「隠の王」でも散々見せ付けてくれた鎌谷さんの実力が、新雑誌の読み切りでも存分に発揮されることになりました。


・母を想う少年仏師の心情を丹念に描く。
 このマンガの主人公は、運慶の末弟子の想運(そううん)。運慶の長男で大仏師である湛慶(たんけい)の工房で、先輩(兄弟子)の仏師たちと共に日々仏像の制作に励んでいます。しかし、何年も仏師として努力しているにもかかわらず、その技術はいまだに未熟で、先輩の仏師たちからはなかば呆れられ、自分自身も技術が向上しないことを気に病んでいます。

 そんな彼が、ある日、どこかの女の人の夢を見始めたことがきっかけで、「母仏」という、依頼者の母の面影に瓜二つの仏像を彫ることが出来るようになり、その噂をききつけて多数の人が押しかけるようになります。多くの人々に喜ばれる想運ですが、しかし、そんな不思議な能力を得た彼の心情は複雑で、世間の評価とは裏腹に様々に思い悩むようになります。そして、ある時期に、うまく母の姿を彫れなくなる不調に陥り、そんな時に訪問してきた武家の娘・古都音(ことね)の依頼も断ってしまいます。

 その夜、思いつめている想運の元に、湛慶がやってきて、彼の切々とした悩みを聞くことになります。想運は、自分が母仏を彫れるのは、依頼者が心に描く「母を想う姿」を感じるからだと言います。しかし、いくらそんな風に母仏に向かっていっても、自分の方のこころは寂しくなるばかりだと。なぜなら、自分の両親は生まれてすぐの僕の前で亡くなり、自分は母の面影を知らないからだと。自分には、自身の「母を想う心」はこれっぽっちもないのだと切々と訴えます。

 それを聞いた湛慶は、「心月輪」という、仏像の内の心臓の位置にあり、仏の魂となる宝玉の話をします。晩年の運慶は、この心月輪をなによりも大切にして、まるで己の心そのものを注ぐように像に心を込めていたと。そして、

 「仏心は万物のうちにあり 己が仏心を他と比べ貶む(おとしむ)ことなかれ」

という言葉を、何度も子の湛慶に聞かせていたと言います。偉大すぎる父と己を比較してくさる湛慶に、何度もそう言い聞かせたと。つまり、人にはそれぞれ己が心である仏心を持っていて、それを他と比較して恥じることはないと言うのです。最後に「あなたの中の仏心を信じなさい」という言葉を想運にかけ、それを聞いた想運は、自分の中の仏心を信じてみようと思い直し、立ち直るきっかけをつかむことになるのです。


・想運を気遣う先輩たちの、気のいいキャラクターの姿が好印象。
 その後、想運は、一度は断った古都音の依頼を再びやろうと心に決め、半日だけ工房にとどまって、古都音と対面して必死に仏像を彫ることになります。己の中の仏心を信じて、ひたむきに仏像を彫る想運。仏像を彫りながらも、彼は、自身の見る夢を古都音に切々と語ります。夢の中に決まって現れる女の人、あなたを見てすぐに夢の中のあの人だと気付いたと。もしかしたら、この力はあなたに母仏を彫るために授かったのかもしれない・・・。そんな風に語る想運に対して、意外にも古都音も同じようなことを語り始めます。わたしも同じような夢を見た。遠い記憶の中のあの子に、会わなければならないと。あなたに母の顔を見せなければならないと・・・。

 そんな風に二人の世界に没入した想運は、思わず自分のことばかりを想って、自分の顔で仏を彫ってしまいます。これはやり直さなければならない、すみませんと謝る彼に、古都音はそっと告げます。いえ、これこそまさに私の母の顔であると。実は、彼女は、想運の実の姉であり、想運は母親によく似た子供であったのです。

 そんな風に、自分のための大仕事を終えた彼は、すがすがしい気持ちで再び前に向かって歩くことになります。そして、そんな彼を支えたのは、想運を気遣う気のいい先輩たちであり、たとえ母がいなくとも、同じくらい大切な彼らがそばにいることも見逃せません。
 ひとりひとり個性的な兄弟子たちは、想運の技術の拙さ、成長の遅さをなんども咎める者もいますが、彼らも決して心のそこから悪意を抱いているわけではなく、出来の悪い後輩を気遣う優しいこころを全員が抱き、みなが想運を見守っているのです。特に、最もガタイの大きく、普段は無口な兄弟子が好印象で、つい想運を攻めがちになる他の弟子たちをたしなめ、「おめえがやりたいと思うなら思うだけやればいい」と声をかけ、想運の意志を尊重します。このような度量の広い先輩たちと共に、ひとつの工房で仏像の制作に励む姿が、和気あいあいとした明るい空間を作り上げていて、これには大いに好感が持てました。


・実在の仏師が出てくるのも魅力、鎌倉時代の仏師を扱った異色にして珠玉の作品。
 このように、この「ぶっしのぶっしん」、鎌倉時代の仏師という、およそ歴史もののマンガ、それも少年誌ではほとんど見られないだろう「渋い」モチーフを採り上げた異色作でありながら、主人公の少年仏師の繊細な心情を丹念に描き、読者の心にも切々と訴える優れた作品となっています。少年仏師を周囲で支える兄弟子の仏師たちの気のいい姿も好印象で、これほど気持ちのいいマンガが読めるとは思いませんでした。

 また、運慶や湛慶など、実在の仏師が登場するのも、この作品の魅力でしょう。湛慶は、大仏師として弟子たちを暖かく見守り、想運にも彼の迷いを晴らす貴重な言葉をかける、落ち着いた僧侶姿の老人として描かれています。彼の存在感は、この作品にどっしりとした核を与えています。
 そして、湛慶に増して大きな存在感を見せるのが、歴史でも知られた運慶の姿です。彼自身は、既に故人として画面には登場しないのですが、彼の残した素晴らしい仏像や、今に伝わる己の心を仏像に込める姿、含蓄の残る名言等によって、その偉大な姿を間接的に知ることができるのです。運慶や湛慶という有名な仏師でも、実際の歴史ではその詳細はあまり知られておらず、このマンガで描かれる姿も、作者の想像が多分に含まれてはいるわけですが、これはこれでひとつの解釈として面白いのではないでしょうか。

 それにしても、「ガンガン戦(IXA)」という新雑誌の1号において、いきなりこのようなレベルの高い読み切りが読めるとは、これは予想外の成果だったと思います。それも、戦国ものでも三国志でも幕末でもない、雑誌や出版社が想定する売れ線とはまったく関係ない(笑)、鎌倉時代の仏師というあまりに渋いモチーフのマンガから、このような珠玉の作品が生まれた。今後、このような読み切り作品が、続けて出ることはまずないでしょう。おそらくは、このような読み切りは、2号以降はもうほとんど見られないはずです。それゆえに、雑誌の創刊1号で見られたこの作品を、忘れずに記憶に残しておきたいのです。


掲載画像:ガンガン戦(IXA)二〇〇九冬の陣 171ページ


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