<夢空界〜天野こずえ短編集〜>

2013・6・22

 「夢空界〜天野こずえ短編集〜」は、「ARIA」や「浪漫倶楽部」で知られる天野こずえの短編集で、デビュー当時の初期の読み切りを5作ほど集めたコミックスとなっています。天野こずえの短編集としては、他に「浪漫倶楽部」連載終了後のガンガンでの読み切りを集めた「空の謳」や、ステンシルでの読み切りを集めた「おひさま笑顔」などよりも、さらに古い最初期のものとなっています。いずれも1994年〜1995年の期間に描かれたもので、これは最初の連載である「浪漫倶楽部」以前、もしくは連載初期に当たります。中でも、コミックスで最初に収録されている「前夜祭」という作品が、天野さんのデビュー作となっています。

 作者の最初期の作品ということで、作画が若干クセが強く、まだ荒い箇所も散見されますが、それを差し引いても絵はかなり上手く、当初から絵のレベルが高かったことが窺えます。のちの作品で人気を得ることになる、かわいいキャラクターの作画もこのころからそのままで、中にはのちのキャラクターの原型となったと思われる絵のキャラクターが見られるのも、興味深いところだと思います。

 5つある収録作の中には、純粋なコメディもありますが、その多くは切ない出会いや別れを描いた作品で、このころから感動を呼び起こす秀逸なストーリー作りが感じられます。作者の熱心なファンの中には、今でもこの当時の読み切りを愛する人も多いのではないでしょうか。

 また、コミックス巻末に掲載されている「ものぐさ倶楽部〜番外編〜」という後書きマンガが非常に面白く、面白い製作の逸話を垣間見ることが出来ます。天野さんの後書きマンガは、ほかもどれも面白いのですが、特にこのコミックスの後書きは、各短編の制作の裏話が面白おかしく紹介されていて、とても楽しく仕上がっています。

 では、以下、個々の収録作について見ていきます。


・文化祭前夜を舞台にした楽しくも切ない物語「前夜祭」。
 最初に収録されているこの「前夜祭」、前述のようにこれが天野こずえのデビュー作となっています。掲載はフレッシュガンガン1994年春季号。「浪漫倶楽部」連載開始から1年と少し前でしょうか。

 「前夜祭」とは、主人公が通う中学校の文化祭の前日のこと。とはいえ、実際に前夜祭のようなイベントが開かれるわけではなく、文化祭の準備で追い込みに入り、夜の学校で活動している生徒たちの姿を描いた作品となっています。この、祭りの直前の何かわくわくした空気、普段いることのない夜の学校の非日常の楽しさを存分に描いている点が、このマンガの第一の魅力です。

 主人公の木村は、校舎の中でその開放的な空気を存分に味わっていましたが、たどり着いた自分の教室で、見慣れないふたりの女生徒に出会います。そのうちのひとり、黒髪の少女(美夜)は、自分のことを幽霊と名乗り、ここからは出られない、ずっと文化祭の前日のままだと告げます。本当に閉じ込められそうになった木村ですが、もうひとり、リボンの少女(詩織)に助けられる形で、教室から出ることになります。
 しかし、このふたりがずっとこの教室にいることを案じた木村は、意を決してもう一度教室の扉を開き、ふたたびふたりと邂逅することになります。このふたりは、いずれも過去に悲しい出来事を抱え、成仏できずにこの場にとどまっている存在なのでした。

 その幽霊の少女たちの過去の悲しいエピソード、そして木村に会うことでその未練がついに晴れて消えていくシーンが、とても切なくも感動できるストーリーにになっています。また、美夜の過去に出てくる、唯一彼女に優しくしてくれた先生の姿が印象的で、最後に現実に帰った木村が、その先生にかつての少女の思い出を聞くという印象深いシーンで、物語は締めくくられています。


・夏の真っ青な空が印象的な「刹那の夏」。
 次に収録されているこの「刹那の夏」。「前夜祭」の主人公の木村らしき人物が冒頭で出ていることから、どうも前回と同じ学校のようです。掲載は前回から約半年後のフレッシュガンガン1994年秋季号。主人公はその木村の友達の八ッ橋という生徒になっています。

 舞台は夏休みの人気の無い学校。八ッ橋は、来年の春の高校入試を控え、夏休みも勉強に励んでいます。取り立てて成績は悪くないようですが、そこそこの成績ではあり、さらに上の成績を親や教師に求められるものの伸び悩み、苦しい精神状態で過ごしていました。
 そんな中、数学のノートを学校に忘れたことに気づき、夏休みの学校にやってきます。そこで出会ったのは、真っ白いセーラー服を着た見知らぬ少女。その女の子は、八ッ橋のノートをいたずらっぽく取り上げ語りかけてきます。その真っ白い姿を見て幽霊だと思った彼は、恐れつつもノートを取り返そうと近づきますが、「なぜそこまで必死に勉強しているのか」と彼女は問いかけ、八ッ橋が答えられないと見るや、彼女は身を翻して走って逃げてしまうのです。

 ここからは、ふたりの追いかけっこの始まりです。真夏の暑い暑い校舎の中で、汗だくになりながら少女を追いかける八ッ橋。「なんでこんな苦しい思いをしているのか」八ッ橋の脳裏に、受験勉強を進めてくる教師や母親の姿が浮かび、それに応えるためだけに勉強していた自分の姿が浮かびます。疲労困憊でついに屋上でばったり大の字になった彼に、少女は再び「なぜ勉強しているのか」問いかけます。ここに来て、ようやく彼は、すべて人任せで自分からは何もやってなかったことに気づかされるのです。このとき、「こんなに走ったのは何年ぶりだろう」と、疲れきった彼が見せる表情が、なにかが吹っ切れたような爽快感に満ちたシーンとなっています。

 八ッ橋は、少女のことを最後まで幽霊だと思っていたようですが、実はただの転校生で、のちに二学期の始業時にばったりと出会うオチとなっています。このあたりが、本当に幽霊が出てくる前作「前夜祭」とは異なる物語となっていて、ひとつの対比となっているようです。少女は、かつて体調を崩して受験できずに留年していて、八ッ橋と同じような思いを抱いていたのでした。最後に、「これから勉強会してそのあと遊びに行こうぜ」とふたりで駆け出していくところで、物語は爽やかな終わりを見せます。

 このようにストーリーも素晴らしい本作ですが、加えて作中で盛んに出てくる夏の空、その黒いベタで鮮やかに描かれた青空が非常に印象的です。これはコミックスの後書きでも書かれていて、これが初挑戦だったようです。


・表題作ともなった傑作「夢空界」。
 そして3作目が、コミックスの表題作ともなっている「夢空界」。名前が大きく出ているだけあって、これが最大の傑作となっているようです。舞台はおそらくは再び同じ学校で、前作の主人公の八ッ橋が、演劇部の部長となって登場しています。こちらは少年ガンガン1994年11月号に掲載。ガンガンでの掲載ということで、他の作品よりも覚えている人は多いかもしれません。

 主人公は、その演劇部の一部員である開夢(はるむ)。ここでも文化祭が舞台となっていて、それに向けて演劇の練習に励む部員たちが今回の主役。演劇の主役に向けて頑張ろうとする主人公・開夢らの下に、部員だと名乗る三年生の少女・華音(かのん)がやってきます。ずっと休んでいたという彼女ですが、しかし部長の八ッ橋が、自分の考えるシナリオのイメージにぴったりだと主張して、いきなりヒロインに抜擢、晴れて主役となった開夢とともに、演劇本番に向けて練習に励むことになります。

 この時の、演劇部の練習風景がとてもよく描けていて、時に雑務にもいそしむ開夢や、特に仲のいい開夢と華音をはやす部員たち、きれいな衣装が出来て本番さながらの迫真の台詞での予行演習など、学生ならではの楽しい雰囲気がよく出ています。「前夜祭」もそうですが、天野さんは、楽しい学校の放課後を描くのが非常に巧みですね。
 しかし、普段は茶目っ気もあって明るい華音は、時に開夢に向けて「私のこと覚えてる?」と聞いてきます。入学したばかりのころに何かあったらしいのですが・・・開夢はどうしてもそれを思い出せません。これが物語の大きな伏線になっています。

 そしてついに文化祭本番。部長のシナリオと生徒たちの迫真の演技もあって、舞台は大成功に終わります。さらには、劇のクライマックスで、華音から手帳を渡されることで、かつての入学時の出来事をようやく思い出します。それは、舞台よりもシナリオを書くほうが好きという彼女に対して、ならこの手帳にシナリオを書いてくれ、自分がそれを演じる舞台に立とうと開夢が力強く応えたという出来事でした。
 しかし、その華音は、最後のシーンで舞台から飛び降りたあとで姿が消えてしまいます。どこを探しても見当たらない。思い立った開夢は、学校の名簿を当たることにしますが、そこで衝撃の事実が発覚。彼女は、もうずっと前から入院したままだったのです。病院に駆けつける開夢でしたが、その直前にもう彼女は亡くなっていたのです。

 このように、この短編集の中でも最も悲しい結末を迎える「夢空界」ですが、それが本作を最大の傑作にしている最大の理由でしょうか。最後に、彼女の死を乗り越えた開夢が、高校の演劇部に入って、自己紹介の場で彼女の手帳を取り出し「このシナリオで舞台を大成功させたいです」と力強く宣言する、悲しいながらも希望の残るラストとなっています。

・猫の活躍を描く感動物語「小さな聖夜(イブ)」、底抜けに明るいコメディ「いちごちゃんパニック!」
 ここまで現代の日本の学校舞台の短編が続きましたが(しかも同じ学校が舞台と推測される)、最後の2つは異なっていて、特に「小さな聖夜(イブ)」は、西欧のどこかの街が舞台の物語となっています。 それも、猫が主役となっていて、彼らが擬人化されて描かれているのが最大の特徴です。さらには、その猫の一匹の名前が「アリア」となっているのも印象的。これは、天野さんが当時飼っていた猫の名前で、のちの連載「ARIA」のタイトルの原点になっていることは、今さら言うまでもないでしょう。作者の猫好きが感じられる一作となっています。フレッシュガンガン1995年冬季号掲載。

 クリスマス・イブでにぎわいを見せる街の一角。しかし、毎日を必死に生きる野良猫・グリムにとっては、人間どものばかげたお祭りでしかないと感じていました。そんな彼は、飼い主からはぐれた一匹の子猫・アリアと出会います。飼い主のロニ君を信頼して、「いつか迎えにきてくれる」と信じるアリアに対して、グリムの反応は冷たいものでした。彼もまた、かつての飼い主から見放され、帰らぬ家でひとり暮らす身の上だったのです。

 そんな折、アリアが保健所の人間に捕まってしまいます。危ないから手を出すなと連れの猫に言われるグリムでしたが、「しかしここでアリアを見放したら、かつて自分を見捨てた飼い主と同じになってしまう」と 思い込み、意を決して救出に向かうことになります。自分はアリアの兄になると約束したのだと。危険を潜り抜けて見事にアリアを救出、そればかりかほかの捕まっていた猫たちもすべて解放したグリムは、猫たちに感謝の言葉を受け、そして夜の街に元気よく飛び出すことになります。クリスマスには信じていれば奇跡が起こるのだと。この爽快感溢れる場面が、まずひとつの大きな名シーンになっていると思います。

 そして、飼い主に捨てられていたと思われていたアリアは、実は本当にはぐれただけで、無事飼い主だった子供に引き取られて去っていきます。さらには、グリムの方も、かつて引越しで去った飼い主の家族が、猫をとりわけ愛していた子供にせがまれて帰ってきて、こちらでも再開することになるのです。「信じていれば奇跡が起こる」という言葉に象徴される、見事なハッピーエンド。この短編集の中では、珍しく完全なハッピーエンドになっていて、読後感は素晴らしいものがあると思います。

 一方で、最後に収録されている「いちごちゃんパニック!」、これは、最初から完全なコメディ、それも底抜けに明るいスラップスティックコメディとなっています。自然豊かな学校に転校してきた男の子・バニラくんが、同級生のいちごちゃんという破天荒な女の子に振り回されるというもの。感動するストーリーで知られる天野さんの作品で、こうした純粋なギャグコメディは珍しいかもしれません。終始に賑やかなどたばたで、しかも主人公の「・・・・・・いかん!これ以上あの女にかかわると・・・殺される!」なんてセリフが出てくるのは、このマンガくらいではないでしょうか(笑)。

 掲載先はフレッシュガンガン1996年冬季号で、これのみ「浪漫倶楽部」連載中に描かれた作品となっています。ページ数もほかの短編より短く、本連載の合間に描かれた息抜き的作品と見てもいいかもしれません。


・コミックス後書きの「ものぐさ倶楽部〜番外編〜」が面白すぎる。是非オリジナルのコミックスで読んでほしい。
 と、このように収録5作どれをとっても面白い、まさに珠玉の短編集ではないかと思います。作者のデビュー作を含む最初期の作品でありながら、すでに感動できるストーリーをコンスタントに作り上げ、さらには絵もこのころから非常にレベルが高いものがありました。今となってはこれでもまだ荒いところが見られますが、それでも十分すぎるほど魅力的な作画だったのです。

 さらに、このコミックスでは、最後に収録されている4ページの後書きページ「ものぐさ倶楽部〜番外編〜」も、また非常に面白いものとなっています。「ものぐさ倶楽部」は、天野さんのコミックスでは恒例の後書きページのタイトルで、これが「番外編」となっているのは、普段は猫の姿で登場する作者が、珍しく人間の姿で登場するからとなっています(笑)。さらには、この当時から名物担当編集者だった萩原氏ももちろん登場。ふたりで作品の製作秘話を紹介する内容となっています。

 そして、このふたりの掛け合いが最高に面白い。「『前夜祭』について一言お願いします」と萩原さんが尋ねると、「『永遠』です」と即答する天野さん。何か深遠なテーマが聞けるかと思いきや、「永遠に終わることがないと思えたネーム直し地獄」という話が出てきて、その苦労話に思わず笑ってしまうくだりとなっています。他にも、萩原さんが「刹那の夏」がお気に入りであるとか、「夢空界」が通常の三分の一の作画時間で描いて締め切りを破りまくったとか(笑)、とにかく笑える話ばかりで、それでいて製作の苦労も偲ばれるエピソードになっていると思います。天野さんの「ものぐさ倶楽部」は、ほかの巻のどれも面白いのですが、このコミックスのそれは特におすすめです。

 のちにマッグガーデンから刊行された新装版のコミックスには、この「ものぐさ倶楽部」が収録されていないので、出来ればオリジナルのエニックス版を読んでほしいと思います。今ではさすがに手に入れづらくなっている一作ですが、「ARIA」の作者の貴重な最初期の作品として、そのころからすでに驚くほど高い完成度を示していた点も踏まえて、是非とも読む価値があると思います。


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