<徒爾少々>

2011・7・28

 「徒爾少々」は、少年ガンガンの1999年9月号に掲載された読み切り作品で、「第9回エニックス21世紀マンガ大賞」で入選を受賞した作品でした。このマンガ賞、他にも大賞や入選を受賞した作品はいくつもあり、その多くは前号の8月号に掲載されました。この「徒爾少々」だけが、一カ月遅れて掲載されたわけですが、これも決して劣らない極めて優秀な作品となっていました。

 作者は山祇晶緋呂(やまぎしあきひろ)。このマンガ賞受賞作がデビュー作となる純粋な新人作家でした。それも、この作品が初めて描いたマンガだったようです。当時は、他にも優秀な新人作家が幾人もいましたが、この山祇さんは、他の新人に比べると技術的にはまだ今一歩劣るところは感じられましたが、反面新人らしいみずみずしい感性と、他の作家にはない個性的な世界観を有していて、ひときわ目立つ存在だったと思います。無名の人物が、初めてのマンガで、いきなりこれだけの作品を残したことがまず驚きでした。当時のガンガンの新人のレベルの高さを思い出します。

 さて、作品の内容ですが、「タイムトラベルファンタジー」とも言える独特の世界観を有しています。中学生の小豆秋(こまめしゅう)という女の子が、森に住む不思議な青年・舎苫古(やどとまこ)の元に足しげく通うようになり、あることがきっかけで彼と共に時間旅行の旅に出るというもの。実在の歴史やオカルト知識、ひいては哲学的な要素も感じられる奥深い設定に満ち、さらには意外性のあるストーリーも楽しめ、本当に読める作品になっていました。作画はまだまだぎこちなく、マンガの技術面ではまだまだ高いとは言えない作品でしたが、それもかえって新人らしいみずみずしさを感じる一因ともなっていて、それほど悪い欠点とはなりませんでした。むしろ、これもまた中性的とも言える作画となっていて、当時の読者には非常に評判がよかったのを思い出します。

 しかし、これほどの作品をデビュー作で残したにもかかわらず、これ以後の山祇さんの商業誌での活動は完全に途絶えてしまいます。同時期の他の新人たちの多くが、ガンガン系雑誌で連載を始めていったのに対して、この山祇さんだけが消えてしまったのは、あまりにも惜しかったと言わざるを得ません。作者自身の都合だと聞いていますが、非常に残念だったと思います。なお、その後の山祇さんは、同人で活動を続け、この「徒爾少々」の続編とも言える作品を残しているようですが、残念ながらわたしは目にしたことがありません。ここでは、ガンガンで掲載された読み切り版のみを扱います。


・ガンガン読み切りの大豊作時代。
 この「徒爾少々」が掲載された1999年前後のガンガンは、連載マンガも好調で全盛期のひとつを築いていましたが、同時に読み切りマンガでもこれはと思える良作が非常に多く、当時のエニックスに集まる新人作家のレベルの高さをうかがい知ることが出来ました。

 まず、前年の1998年には「水辺の物語」(MINAMO)という読み切りがありました。第7回エニックス21世紀マンガ大賞の準大賞受賞作品で、作者の初めてのマンガだったようですが、とても初めて描いたものとは思えないほどの完成度の作品で、水上都市の緻密で美しい作画に素晴らしいものがありました。

 この読み切りを皮切りに、以後様々な良作が続きます。まず、1999年初頭には「ワガママ天使の育て方」(黒乃奈々絵)が掲載されます。これは、のちに「新撰組異聞PEACEMAKER」を連載することになる黒乃さんのデビュー作で、この第一作からすでに心温まるファンタジー作品を見せてくれました。

 翌2000年には、「DOME CHILDREN」(山崎風愛)というこれも素晴らしい読み切りがあります。第1回新世紀マンガ大賞の大賞受賞作品で、核戦争後の未来にたくましく生きる子供たちの姿を描いたメッセージ性の強い作品となっていました。これは、この読み切りから素晴らしいストーリーを見せてくれましたが、のちに連載化され、そちらでも極めて優秀な作品となります。

 そして、この「徒爾少々」が掲載された1999年後半には、この「徒爾少々」を含む第9回エニックス21世紀マンガ大賞の受賞作が一気に掲載され、そのすべてが実に素晴らしい出来栄えとなっていました。そのほとんどは1999年8月号に掲載されます。
 まず、何と言っても、大賞を受賞したのが、あの荒川弘の「STRAYDOG」。のちに「鋼の錬金術師」を手がける作者のデビュー作にして、すでに骨太なテーマを持つ圧倒的な完成度のファンタジー作品となっていました。これが、この当時の読み切りマンガの中でも、最大の成果でしょう。そして、同じくのちにガンガンで連載することになる神田晶の「ぼくらのポストマン」が入選。切れのあるギャグと濃い絵柄のミスマッチが面白い、最高に笑えるギャグマンガでした。さらには、のちに他社で「がうがうわー太」を連載することになる宇夢和実(梅川和実)による奨励賞受賞作品「時間ですよ」。これもまたのちの連載の萌芽を感じさせる心温まるファンタジーとなっています。
 そして最後に、一年前に「水辺の物語」を掲載したMINAMOによる新作「コウノトリの仕事」があります。これは、マンガ賞受賞作ではなく、受賞後の第2作という形ですが、これがまた映画のように素晴らしい作画と卓越したエピソードを見せてくれました。これは、8月号と次の9月号の前後編で掲載され、読み切りとしては大ボリュームの作品となっています。

 このように、どれひとつとっても抜群の面白さを誇る読み切りが相次ぐ中、一カ月遅れて掲載されたのがこの「徒爾少々」でした。そして、これがまた先行する傑作たちに負けるとも劣らない良作となっていて、この「第9回エニックス21世紀マンガ大賞」の受賞者のレベルの高さをまざまざと見せ付ける形となったのです。しかも、この「徒爾少々」、他の受賞作とは一線を画する極めて独創的で異色の作品となっていました。当時、この読み切りに注目した読者は多く、同時期の幾多の傑作読み切り群の中でも、ひときわ鮮烈な印象を残しているのです。


・作者の趣味・興味が全面に出たマンガとなっているところに惹かれる。
 そして、このマンガは、他の新人作家の読み切り作品とは、大きく異なる方向性を感じます。他の作品が、基本的にはオーソドックスに「ストーリーを読ませる」マンガとなっているのに対して、この「徒爾少々」、確かにストーリーもよく出来ているのですが、それ以上に作者の趣味というか、興味を持っているものをマンガの中で語ることに、大きな比重が払われているようです。その興味というのは、ひとつには独特の世界観。不思議な青年・苫古を中心に繰り広げられるファンタジックなロマンに溢れる世界に惹かれます。そしてもうひとつは、純粋な学問的興味であり、歴史・科学・哲学に属する事物や知識が、作中で頻繁に登場し、それが作品の根幹のひとつを成しているようなのです。

 主人公の女の子・小豆は、森の中にたった一人で住んでいる青年・苫古の噂を聞き、森で迷って彼に助けられたことをきっかけに、彼の元に足繁く通うようになります。彼は、小豆の興味を非常に惹き付ける存在でした。
 まず、なんといっても、森の中の樹の上の小さな小屋、たくさんの本や幾多の小物が置かれたその空間の表現がいい。こういった現世とはかけ離れた森の中の木の上で、こんな知的な生活を送っているという姿にまず惹かれるのです。小豆が何度も苫古の元に通うようになったのも、ひとつにはこの雰囲気に惹かれてという理由がありそうです。そして、そんな苫古は、歴史上の遺物を小屋に持ち込んできては戻すという行為を何度も行っていて、今日も小屋の中の不思議な扉から知らない空間へと出て行ってしまいます。あの扉の向こう、まるで広大な宇宙の気配すら感じる空間には何があるのか。そういったロマン溢れる世界観が、このマンガの第一の魅力です。

 小豆や苫古たちキャラクターもいい。小豆は純粋な少女として描かれていますし、苫古はよく出来た落ち着いた青年として描かれている。そして、その苫古のパートナーとして「サタケ」という人語を喋る猫の存在も見逃せません。いつもえらそうな態度で、苫古も敬語で話しかけるその猫は、実は本当にえらい物知りの猫なのかもしれません(時間をつかさどる「時の翁」というキャラクターからも「様」付けで呼ばれています)。

 そしてもうひとつ、そんな苫古が扱う歴史上の遺物や、あるいは彼の口から語られる時間や空間の概念、そういった学問的な事物の紹介に、多くの箇所が使われています。冒頭ではあの「ミロのヴィーナス」や「ロゼッタストーン」が登場、さらには、苫古が出ていく扉の向こうは、いわゆる「アカシックレコード」につながっていて、そこから多くの場所へと飛んでいくという設定になっています。アカシックレコードとは、一般的には「宇宙の始まりから終わりまで全ての情報が蓄積された膨大なデータベース」という概念で、オカルト分野で使われる用語なのですが、この作者は、どうも科学的な理論と組み合わせてオリジナルの設定を作り出しているようで、「時間の渦」といった描かれ方をされています。
 そして、そのアカシックレコードを抜けて、作品の舞台はペルーへと移るのですが、この国の人々や風景もとてもよく描けていて、どうも作者はペルーの歴史・文化に大きな興味を持っているようです。

 そして、このような設定の解説ページが、読み切りのあとに追加されているのです。おそらくは、掲載にあたって作者が新たに書き起こしたのだと思われますが、新人の読み切り作品において、このような解説ページが付くことは異例です。編集部が、この作品を大いに気に入って、作者に依頼してページを追加したのではないでしょうか。これは、非常に有意義な試みだったと思います。
 なお、このページでは、作者が読んでいた参考文献も紹介されていて、

の4つの本が紹介されています。なるほど、作中に描かれた歴史や科学に対する興味の源泉がよく分かります。とりわけ、時間や空間の概念に興味を持っていることが、このような魅力的な雰囲気溢れる世界観のマンガを描くことにつながったのではないでしょうか。このマンガに興味を持ったなら、これらの参考文献を手に取ってみるのも面白そうです。


・心温まるストーリーも素晴らしい。
 しかし、このマンガは、そんな作者の興味が描かれているだけでなく、肝心のストーリーもよく描けています。それも、ちょっと寂しい結末ながらも、それでもハッピーエンドだったと言い切れる心地よい物語になっています。登場人物の切ない心情もよく伝わってくるいい話でした。

 小豆は、ある日の新聞で、8000年も前の縄文時代の遺跡から「KOMAME」「TOMAKO」と彫られた指輪が発見されたというニュースを知ります。これは、苫古の不思議な力に関係したものに違いないと感じた彼女は、苫古の家に急いでやってきて、ちょうど出かけようとしていた苫古に強引に付いて行こうと決心します。苫古は、最初危険だと感じて連れて行くことに難色を示しますが、小豆の強い願いを断りきれず、ついには了承、共に時間の渦に飛び込み指輪の探索の旅に出ます。

 渦に飛び込んで着いた先は、どうやらペルーのようでした。それも、とある壮年の男性の家の庭のよう。突然現れたふたりは、男性に不審がられますが、苫古が流暢なケチュア語(*インディオの話す言葉。ペルーの公用語のひとつ)で「指輪を見せてください」と話しかけると、「なんだ客かい」と破顔一笑、彼の警戒心は一気に解け、親しく話をすることに成功します。
 男性はウェタリスという名前で、指輪など金物を作る職人のようでした。しかも、彼が今まさに彫っていた指輪、それがあの新聞の写真に載っていた指輪と同じ型だったのです。何か関係があると意気込んでみたふたりでしたが、ウェタリスは「これは売り物ではない」と言います。それは、彼が敬愛を抱いていたカルミラという娘に送るために、長い間心を込めて刻んでいた指輪でした。
 しかし、そのカルミラは、意中の男性と結婚してしまいます。そのことを悲しんだウェタリスを気づかい、優しい言葉をかける苫古。これによってウェタリスは救われ、ふたりの門出をすがすがしい気持ちで見送るまでになります。ふたりへのお礼へと指輪を送りますが、それにはあの「KOMAME」「TOMAKO」の文字の刻印が・・・。

 このくだりは、実に心温まるお話となっていて、読者に心地よい読後感をもたらしてくれます。単に作者の趣味を全面に出しただけのマンガにとどまらず、こうして優れた物語も見せてくれる、実に素晴らしい作品になっていました。一見してまだ技術的には拙い作画からは、意外なほどに読ませるマンガとなっているこの作品、これを受賞させた当時のエニックスの編集部の眼力は大したものです。

 さて、こうして物語は気持ちのいい終わり方をするのですが、『ふたりが今もらった指輪が、なぜ8000年前の縄文時代の遺跡から出てきたのか』、それだけは謎のままでした。その謎解きは・・・、実際にマンガを読んでみてのお楽しみにします。


・中性的なマンガとは何か。
 そしてもうひとつ、同時期のエニックスのマンガの例に洩れず、このマンガも中性的と言える特徴を非常に強く持っています。それも、絵柄から内容まで、その多くの箇所において、まさに「この時期のエニックスならでは」のマンガになっていたと思います。

 まず、作画、それもキャラクターの作画ですね。「初めて描いたマンガ」というだけあって、まだまだ拙さが残る作画ではありますが、それでもこのマンガのメインキャラクター・小豆と苫古の外見は、男性・女性の双方の読者に受け入れられる、この時期のエニックスならではの特徴を有しています。当時の連載マンガのように、強く萌えを感じる絵柄ではなく、むしろ非常に素朴なところが残る絵柄ですが、それでもこの絵には強い魅力を感じます。当時の読者にもこのマンガが高い人気を獲得したのも、ひとつにはこの親しみを持てるビジュアルにあったのではないでしょうか。
 そして、小豆と苫古のふたりの関係が、男女とは言え恋愛のような要素はなく、まるで生徒と先生のような関係として描かれているのもポイントでしょう。小豆の方が一方的に興味を持って通っている関係ですが、苫古の方も決して悪からず思っているようで、この二人の関係性は心地よいものがありますね。

 そして、ここからがさらに重要なことですが、単に作画やキャラクターが中性的というだけではありません。このようなエニックスのマンガの場合、その内容においても中性的であり、男女どちらの読者でもまったく同じ視点でストーリーやテーマを受け入れられる、楽しめるところがあると思うのです。
 しかも、この「徒爾少々」の場合、作者の提示するテーマが、学問的な興味というところが大きなポイントです。歴史や文化、宇宙や時間などの科学概念など、こういった人間が求める普遍的なテーマならば、どんな人でも受け入れられる素地があります。作中に男性ならでは、女性ならではの行動が出てくる少年マンガや少女マンガ、ラブコメや萌えマンガなどとは異なり、すべての人に対して完全に同じテーマを提示している。これは非常に重要なことで、「少年マンガ」とか「少女マンガ」とか、そういった商業でのくくり、マンガジャンルとはまったく異なる方法論で、このマンガは描かれていることになります。ある意味では非常に素人的な、まさに「初めてマンガを描いた」ならではの作品になっていて、ターゲットとなる読者というものをほとんど想定していない。しかし、だからこそこのマンガは非常に独創的で、まさにエニックスならではの中性的で読者を選ばないマンガになっていたと思うのです。おそらく、このマンガは、この時期のエニックス以外では、まずマンガ賞を受賞することはありえなかっただろうと思っています。


・エニックスの読み切りの中でも異色中の異色。これと同じような受賞作は今後まず出ないだろう。
 このように、数あるエニックス(スクエニ)の読み切り、数あるのマンガ賞受賞作の中でも、この「徒爾少々」の独創性は抜きん出ていて、まさに異色中の異色作品になっています。作者の趣味・興味が全面に出た内容となっているのがその最たるところで、例えば「アカシックレコード」とか「ペルーの歴史・文化」とか、作中で採り上げるモチーフが完全に自分の趣味まるだしで、そこにはマンガ誌の読者を想定したようなところがまったく見られないのです。
 どんな新人でも、マンガを描いて賞に出すとなると、多かれ少なかれある程度は「その雑誌の読者に読まれること」を想定して描くと思います。デビューに向けて何度も作品を投稿し、編集者の意見を何度も聞いた新人ならなおさらで、どうしても商業誌ならではの作品作りが、自分のマンガの中に入ってしまう。どんなに「自分の好きなことを描きました」と言っても、やっぱりそこには読者を想定した部分が入ってくると思います。

 しかし、この「徒爾少々」には、そのようなところがほとんど見られない。まさに「初めて描いたマンガ」と言ったとおりの内容となっていて、本当に「初めて描いてみたマンガをエニックスに投稿してみました」というようなマンガになっているのです(笑)。奇跡的にストーリーもよく出来ていて、確かに入選に値する作品だったとは思いますが、それ以上に完全に自分の趣味を投影した作品世界や、まだまだマンガとしては稚拙といえる作画レベルなど、雑誌に普通に載るようなマンガからは随分とかけ離れていて、よくこれがマンガ賞を受賞したものだと、今読んでも感心してしまいます。

 そして、エニックスの編集部の方も、よくこのマンガを受賞させたなと思います。それも、雑誌で作品本編を掲載した後に、作者による描き下ろしの作品解説のページまで加えています。そこまでやっているということは、本当にこの作品を評価し切った上で受賞させ、雑誌に掲載したのでしょう。それも、作者が「初めて描いたマンガ」そのものの内容で、作画を中心に決して完成度は高くない、まさに素人の描いたような作風が強く感じられる作品です。同じく「初めて描いた」マンガでの受賞作では、この1年ほど前に「水辺の物語」(MINAMO)という作品がありました。しかし、こちらは、とても初めて描いたとは思えないほど作画も内容も超ハイレベルで、こちらの受賞は完全に納得できるものでした。しかし、この「徒爾少々」は、決してそうではありません。

 おそらく、このマンガ、この時期のエニックス以外では、マンガ賞を受賞する可能性は非常に低かったと思います。まず、このような中性的な作風は、この時期のエニックスならではで、ここ以外では「この雑誌には合わない」という理由で、容易に選外になってしまいそうです。
 さらには、同じエニックス(スクエニ)でも、ここ最近の時代となると、少年マンガや青年マンガ、女性向けファンタジーなど、特定の読者層に向けた作品を強く求めるようになったため、マンガ賞の受賞作も、そのような作品が主流を占めるようになりました。これでは、この「徒爾少々」のようなマンガが、受賞する可能性はやはり低いのではないか。今、このようなマンガをスクエニの編集部に持ち込んでも、「もっと読者層のことを考えてマンガを描こう」というようなアドバイスしか返ってこず、没になってしまうのではないでしょうか。

 そんなわけで、この「徒爾少々」、エニックスの読み切りマンガの中でも、作者の趣味が存分に出た独創性において異色中の異色の作品であり、もう同じような受賞作は二度と出ないのではないかと考えています。このマンガを高く評価し、マンガ賞を受賞して雑誌に掲載した、当時の編集部は本当に優れていたと思いますね。当時相次いで掲載された幾多のの良作読み切り群の中でも、ひときわ印象的な作品であり、わたしは、今でもこのマンガが、エニックス(スクエニ)の全読み切り作品の中でも最も好きなものとなっています。そんな珠玉の作品の存在を、今ここにしっかりと書きとめておきたいと思うのです。


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