<マンガやアニメ、ゲームの地方都市はなぜ架空なのか>

2010・3・30
一部改訂2014・6・25

 日本のマンガやアニメ、ゲームでは、現実世界を舞台にした場合、(日本の)地方の都市を舞台にするケースもよく見られます。しかし、そうした地方都市の描写は、現実のそれとは異なり、こうした作品ならではの独特の特徴を帯びていることが多いように思われます。この記事では、そんなマンガやアニメ、ゲームにおける特有の地方都市の姿を見ていきたいと思います。


・なぜ美少女ゲームの舞台は「架空の地方都市」なのか。
 マンガやアニメ、ゲームなどでは、現代の日本を舞台に設定した作品も非常に多く、読者にとって最も親しみやすい「今の日本」を舞台にした作品は、マンガやアニメにおいても最もメジャーなジャンルのひとつと言えます。さらに、特に最近では、昔に比べてファンタジー(西洋風ファンタジー)やSF作品の人気が下火となり、代わって現代の日本を舞台にした伝奇バトルものや、あるいは日常そのままを舞台にしたゆるい日常系の作品が、かつてより高い人気を得るようになったこともあり、以前に増してそのような作品は増えていると思われます。

 しかし、そのような作品において、ひとつの大きな傾向があります。それは、現代の日本と言っても、どこか実在の場所を舞台にしている作品は数少なく、とりわけ東京以外の地方を舞台にしたものでは、どこか「架空」の街(時に田舎の村)が舞台になっていることが非常に多いことです。逆に、実在の街、例えば大阪や名古屋のような地方都市の中でも有名な都市を舞台にしたものすらほとんどなく、そういった作品は極めて少数派になります。どこか実在の街をモデルにした作品はいくつか見られますが、その場合でもなぜか名前を変えたりして、架空の街として設定されるケースが非常に多くなります。

 これは、美少女ゲーム、いわゆるギャルゲーやエロゲーと呼ばれるゲームに特に顕著で、なぜかギャルゲーやエロゲーでは、「架空の地方都市」を舞台にした作品が非常に多い。それは一体なぜなのか。
 まず、こういった美少女ゲームのユーザーは、ゲーム内で単にキャラクターに対するエロや萌えを求めるだけでなく(もちろんそれもありますが)、「居心地のいい世界に対する憧れ」のようなものを抱いていると思われます。キャラクターの絵柄だけでなく、ゲーム内の背景に対する評価も重要視する人が多く、つまり、ゲーム内での日常世界を強く求めているところがあるのです。
 それも、この場合、現実の今の日本そのものを再現した世界ではなく、ある程度架空の「ファンタジー」的な世界を求める傾向が強いようです。現代の日本が舞台ではあるけれども、現実そのものではなく、あくまで「非日常的」な世界。現代の日本が舞台でありながら、しかも日常描写を扱っていながら、求めているのは非日常的なファンタジー的な世界なのです。そのため、現実のどこか実在の街を舞台にするのでは、都合がよくない。いきおい、美少女ゲームの世界は、どこか架空の街という設定になるのです。

 それも、大抵の場合、そういった街は、明るく綺麗で過ごしやすい近代的な街並みの地方都市であるケースが多い。都会ほど人が多くなくて住みやすく、明るい公園や商店街(アーケード)、ショッピングセンターなどが中心部には揃っていて、周囲には豊かな自然、綺麗な海や山や湖などが存在する近代的な地方都市。主人公たちが通う学校も、近代的な設備の整った綺麗で瀟洒な学園、そういったケースがよく目立ちます。現実の地方の衰退ぶりはこのところ著しいですが、そんな現実の日本の地方都市の劣っている描写はほとんどなく、プレイヤーにとって過ごしやすい、心地のよい日常が送れる近代的な街並みが決まって舞台となっている。それが美少女ゲームの定番であると言えるでしょう。わたしは、ああいったゲームに見られるほど綺麗で発展した地方都市は、正直あまり見たことがないのですが(笑)、結局のところ美少女ゲームは、プレイヤーの過ごしやすい理想的な舞台を用意した、限りなくファンタジーに近い作品だと言えるのです。これが、美少女ゲームの舞台の多くが、「架空の地方都市」である理由ではないかと思います。


・「架空の地方都市」か「東京」という設定。
 そして、これは美少女ゲームだけでなく、他のゲームやマンガ、アニメでも同じようなことは言えます。美少女ゲームほど極端に非現実性を求める作品ばかりではありませんが、それでもこういった作品の多くは、あまりに泥臭い現実的な設定を避けるものは多いですし、架空の舞台の方がやはり好まれるようです。

 和製RPGで、日本を舞台にした世界観が特徴の人気シリーズとして、「女神転生(メガテン)」シリーズがあります。このメガテン、初期の頃の作品(「女神転生」「真・女神転生」)は、決まって東京が舞台でしたが、その後の派生シリーズ(「ペルソナ」「デビルサマナー」「ソウルハッカーズ」など)では東京以外の地方の都市が舞台になることが多くなり、しかしその舞台は決まって架空の地方都市なのです。具体的な街の名前は忘れましたが、確かほとんどが架空で、現実の都市がモデルになることはあっても、その都市そのものが舞台になることはありません。(*今調べたところ、「ペルソナ1」が御影町、「ペルソナ2」が珠阯レ市(すまるし)、「3」は月光館学園という学園都市、「4」は八十稲羽市(やそいなばし)、「デビルサマナー」が平崎市、「ソウルハッカーズ」が天海市ということのようです。この中には、どこか現実の街をモデルにしたものもいくつかあるようですが(天海市のモデルが幕張など)、しかし現実の都市そのものの名前が付いて舞台になることはないようです)。

 つまり、東京が舞台の場合、そのまま東京という現実の都市が採用されるのに、地方が舞台になると架空の都市になるのです。なぜか。しかもこの場合、上に挙げた美少女ゲームの例とは、ちょっと異なる複雑な傾向が見られます。架空の地方都市が舞台になるという点では共通しているのですが、しかし唯一「東京」が舞台になったときだけ、現実に存在する場所が舞台になることが許されるのです。例えば、「真・女神転生」では、物語の出発点で主人公の家があるのは吉祥寺ですし、その後都心の新宿に出て、以後は渋谷や池袋、品川といった現実の場所がそのまま登場します。

 そして、これは他のゲームやマンガ作品にも、概して共通する傾向でもあります。メガテンシリーズは極端な一例ですが、それ以外の作品でも、東京だけはそのまま現実が舞台となることが多いように思われます。オタクの聖地として秋葉原がブームになって以降、オタク向け作品でも秋葉原が舞台の一端となるものはいくつも出てきましたし、同じく池袋も似たような扱いがよく見られます。他にも新宿や渋谷、六本木やお台場のような有名どころが舞台になることも珍しくありません。地方が舞台の場合はほとんど架空で、モデルがある場合でも地名を変えて架空の場所扱いされるケースが非常に多いのに、東京だけはそのままの場所が舞台になる傾向にあります。これはいったいなぜなのか。


・東京以外では現代日本の代表になれない。
 この疑問については、様々な答えをわたしも考えていたのですが、そんな時にある方から非常に有力な回答が寄せられました。
 それは、ヴェネツィアビエンナーレでオタクと建築と造形をテーマに企画をやった森川嘉一郎さんの書いた、「ラブコメ都市東京」という小論で、今から約10年前の1998年に書かれたもののようです。

 ラブコメ都市東京 ― マンガが描く現代の〈華の都〉

 この中で、あの押井守が、アニメで描く街並みについて、次のように鋭く指摘しています。

「アニメーションというのは不思議なもので、「ここはどこだ」とはっきり言わないと、大体「そこは東京である」と思っちゃうんです。」

 これは一体どういうことか。
 平たく言えば、今の現代の日本を象徴する場所が、いつの間にか東京に限定されてしまったということでしょう。現代日本的な街並み、風景を思い浮かべると、どうしても誰もが東京的な街並みを思い浮かべてしまう。その方から「○○銀座っていうじゃないですか、地方都市は「東京」になりたいんですよ。大阪や名古屋では日本を代表できない。 」とも言われたのですが、実際のところまったくそのとおりなのです。現代日本を代表する街、それは東京でしかありえない。これが、大阪や名古屋では、日本という前にまず「大阪」「名古屋」になってしまう。現代日本ではなく、大阪・名古屋という固有の場所のみを指すことになってしまう。だから、大阪や名古屋、あるいは札幌や福岡や仙台や広島といった地方都市では、現代日本を舞台とするマンガやアニメ、ゲームの舞台にするには、ふさわしくないのです。まずなによりも、「ここは現代の日本なんだよ。今の日本の街なんだよ」ということを読者に強力に印象付ける必要がある。そのための舞台としては、東京が最もふさわしく、あるいはほぼ唯一の選択であるとも言えるのです。

 つまり、マンガやゲームに登場する「架空の地方都市」というのは、「東京的な現代日本の象徴」とも言える舞台なのです。だから、架空の都市でなければならない。逆に、東京だけは現代日本の象徴、代表的存在として、作品に登場することを許される。これは、非常に納得性の高い回答で、わたしも思わず膝を叩いてしまいました。

 加えて、もうひとつ分かりやすい理由として、「東京ならば日本全国どこの人でもある程度の知識を持っている」という点も見逃せません。東京以外の地方だと、その地方に住んでいる人以外には馴染みが薄く、そんな場所を舞台にされてもよく分からないという読者が多いのではないでしょうか。逆に、いつもテレビで盛んに採り上げられ、誰もがある程度以上の知識を持っている東京(あるいは東京的な場所)ならば、日本全国どこの読者でもすんなり入っていける。出版社としても、特定の地方を舞台にして多くの読者に敬遠される危険性を冒すよりも、全国どこの読者でも手堅く確保できる東京(的な場所)を舞台にした方が、作品の売り上げの点で安心できる。そういった事情も少なからずあると思われます。

 ところで、押井守は、先の指摘に続いて、次のような発言も残しています。

 「それは結構根の深い問題で、「なぜアニメーションのキャラクターというものはおおむね日本人ではないのか」「カタカナが多いのか」「なぜ髪が紫色だったり緑だったりするのか」ということで、おおむね同根の問題だ、という気がするんですよ。アニメの中のリアリティーというのは、普通の実写の作品のリアリティーとちょっと違うのではないか。」

 これは、上でわたしが述べた美少女ゲームへの指摘とほとんど重なります。美少女ゲームの中の世界は、日本が舞台でありながら現実的ではなく、非現実的でファンタジー的な世界です。『美少女ゲームのリアリティーというのは、普通の実写の作品のリアリティーとちょっと違うのではないか』と、こちらでもそう言えるのです。『Kanon』や『To Heart』や『月姫』の世界は、現実の日本とは明らかにどこか違う。マンガ・アニメ的なファンタジー世界だと考えていいのではないかと思います。


・東京が幻想的なSF・ファンタジー的な雰囲気をまとっているのではないか。
 上記の回答はある方から得られたものですが、それとは別に、わたし自身も以前から考えていた答えがあります。それは、

 「東京という街が、日常的な生活から離れた、幻想的なSF・ファンタジー的な雰囲気を持っているのではないか」

というものです。

 そもそも、なぜみんな東京という街に憧れるのでしょうか。地方の人が東京に憧れて上京し、あるいは買い物やイベントのためにこぞって東京に出かける。しかし、都市は地方にもありますし、モノが溢れる今は買い物は地方でも過不足なくできて、それに今ならネット通販で何でも手に入ります。各種のイベントや遊びの場所だけは東京に集中しているので、そのために出かけるというのは大きな理由ですが、それだけではなく、東京にはまたもうひとつ大きな魅力があるのではと考えます。

 それは、つまり、「非日常的で幻想的な、日常とは異なる空間、都市」という意識です。地方の都市、あるいは田舎というものが、生活に密着した、ある種泥臭くて垢抜けない雰囲気から抜けられないのに対して、東京という都市には、どこか現実離れした、独特の浮遊感がつきまとっています。それこそSF的な小説にでも出てきそうな、どこともつかない近未来的な巨大都市というイメージを、多くの人が漠然と抱いているのではないか。これは、いかにも庶民的な大阪や名古屋には見られないイメージです。札幌や仙台や広島や福岡にもあまりない。あるとすれば近代的な港町の横浜や神戸がちょっと近い雰囲気があるかな。しかし、やはり東京がそんなイメージが最も強いと思います。

 このような、日常の生活感からひどく離れた、現実離れしたSFファンタジー的、近未来的な巨大都市といったイメージならば、マンガやゲームの舞台とするのに過不足ありません。むしろ最適であるとも言えます。近未来を舞台にしたRPGである女神転生シリーズの主要な作品が、ことごとく東京を舞台にしているのも納得です。逆に、あまりにも生活感に溢れた地方都市を、架空ではなくそのまま実名で舞台にするのは抵抗があるのでしょう。大阪が舞台のメガテンというのはちょっと想像しがたい。メガテンの舞台としては、近未来的なイメージに満ちた東京こそが最もふさわしい。そういった制作者の思惑は容易に想像できます。


・地方が現実そのままの姿で描かれないのは相応の事情がある。
 以上のような様々な理由から、マンガやアニメ、ゲームにおいて地方が舞台になる時には「架空の地方都市」となる一方で、東京だけはほぼ現実に近い形で登場するのだと思います。東京、あるいは東京的な場所こそが、多くの日本人がイメージする日本の都市の姿であり、そうしたイメージに沿って作品世界を作り上げていると考えてよいでしょう。

 これに対して、「ショッピングセンターなどの現代の地方に見られる光景が出てこないのはおかしい」という意見も見られるようですが、わたしは必ずしもそうは思いません。郊外型のショッピングセンターなどは、確かに以前よりずっと多く見られるようになりましたが、しかしそれとて地方の中では一部に過ぎません。近くにショッピングセンターがあって日常的に通う場所よりも、近くにない場所の方が多いはずなのです。あるいは、こうした場所は多かれ少なかれ車で行くことを念頭に置かれていると思いますが、マンガやアニメのキャラクターが「車でショッピングセンターに行く」という行動を取ることは少ないという理由もあるでしょう。作中で描かれる必要のない場所は、最初から出てこないというわけです。

 それよりも、むしろ、誰もが馴染みのある東京的な都市の光景、住宅街が広がる街並みの方が、多くの人にとってずっとイメージしやすく、あるいは東京そのものを舞台にした方が、マンガやアニメの舞台として近未来的なかっこよさがあって都合が良い。リアルな地方の現実を描こうとする社会派の作品でもない限り、わざわざ泥臭い地方の姿を描く必要はないわけです。それが、ひとつの娯楽コンテンツとして妥当な選択ではないかと思います。


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