<ガンガン系はなぜマイナーなのかPart2>

2007・5・8

*前記事はこちらです。

 前回の記事では、「ガンガン系がマイナーである理由」として、「マンガ評論家(や一般の読者層)には、ガンガン系のマンガは軽視もしくは全く無視されており、『マニアックなオタク向け作品で、中身のないもの』『本当に内容のあるマンガを求める人にとっては、読む価値のないもの』として認識されているからである」と述べました。これはこれでまったくの事実だと思いますが、しかし、実はこのような認識は、ガンガン系だけにとどまりません。他の多くの作品、とりわけ「オタク系、萌え系」と呼ばれている多くの作品に、強く当てはまるのではないかと思われるのです。今回は、対象をこれらの作品全般に広げて、より大きくこの問題を考えていこうと思います。


・そのような扱いは「ガンガン系」「鋼の錬金術師」だけに限らない。
 そう、問題はガンガン系にとどまりません。実は、マニアックだと扱われる「オタク系、萌え系」の作品の多くは、マンガ評論家によって無視されているという現状があります。ガンガン系と並んで、いやそれ以上にマニア市場では大手である「角川系」(角川、電撃、富士見、エンターブレイン)の作品のほとんどは、そのような扱いを受けています。とりわけ、萌え要素の強い電撃系雑誌などでは、特にそれが顕著であり、「内容のない美少女萌え作品ばかり」と見られているケースがほとんどです。逆に、同じ角川系でも、エンターブレインの「コミックビーム」の作品などは、マンガ評論家には好んで採り上げられるところを見ると、あのような雑誌の作品こそが「内容がある」と思われているのだと推測できます。

 そして、このような角川系の「ほとんど無視される作品群」の中に、ガンガン系の「鋼の錬金術師」に相当するような、「一般層にも広く人気の出た、採り上げるに値する作品」として扱われるものが存在するのも、また共通しています。

 ひとつ例を挙げるなら、「あずまんが大王」がその代表でしょう。
 これは、あずまきよひこによる電撃大王での連載作品で、作者の12番目のオリジナル作品にあたるようです。しかし、このマンガは、これまでの作者の作品とは打って変わって、一般層にも広く知れ渡る大人気マンガとなり、幅広い評価を獲得し、様々な賞まで受賞しています。これまでの作者の作品、あるいは他の電撃系雑誌の連載同様に、萌え要素の強い作品ではありますが、それ以上に、笑いのポイントをよく理解したギャグネタの面白さ、そして登場人物の強烈な個性、ほのぼのとした雰囲気などが特徴的で、それらが一般層の読者にも大きく評価されたのです。そして、こうして人々の目に広く触れるようになった「あずまんが大王」は、マンガ評論家によって「発見」され、彼らの評論の対象として扱われる存在となったのです。

 そんなマンガ評論家のひとりに、斉藤環という人がいます。本職は精神科医で、オタク全般に関する研究家としても有名な方らしいのですが、マンガの評論も行っています。そんな彼の発言に、「この作品(あずまんが大王)で萌えを理解した」というものがあります。この発言ひとつを見ても、「それまではこの手の萌えマンガを読んでいなかった」ことが、簡単に推測できます。つまり、「それまではマニアックな萌え系の作品には疎かったが、『あずまんが大王』は一般層にも大人気となったために、読む機会を得て、これで萌え作品に初めて触れ、そして萌えを理解した」と、そういう流れでしょう。前述の、夏目房之介と「鋼の錬金術師」の関係と、全く同じです。いつもは軽視して読まない雑誌のマンガだが、一般層にも大人気で知名度が非常に上がったために、それだけは彼の目に「発見」され、考察・評論の対象となったのです。

 それにしても、「この作品で萌えを理解した」という発言は、少々納得しがたいものがあります。これは、わたしの個人的な意見ですが、「萌え」というものは、そういった作品に多く接し続けることで、少しずつ理解していくものだと思っています。つまり、「あずまんが大王」というたったひとつの作品を読んだだけで、いきなり萌えが理解できるようにはならないのです。実際、これはかなり乱暴な意見で、要するに、今まで軽視しきって読みもしなかった萌えマンガに、あずまんがを通じてようやく触れたことで、「理解した気になった」だけなのではないでしょうか。この発言からは、オタク的な作品を低く見て、簡単に理解できる底の浅いものだとする思想が感じられます。本人はそう思っていないかもしれないが、無意識のうちにそれが発言に出ている。そうでなければ、いとも簡単に「この作品で萌えを理解した」などとは言えないはずです。これは、例えば、黒澤明の映画を一本だけ見て、「この映画でクロサワを理解した」と言うのと変わらないと思うのですが。


・こういう例は枚挙に暇がない。
 実は、このような「あずまんが大王」「鋼の錬金術師」のように、「いつもはマニアックでオタク向けとして評論家には見向きもされない作品だが、一般層に大人気を得て幅広く知られたため、それだけは評論家の考察の対象となる」例は、枚挙に暇がありません。ありすぎるくらいです。
 「あずまんが大王」と同じ角川系では、かつての「新世紀エヴァンゲリオン」がその代表でしょうか。これは、最初は完全にマニア層の熱狂ぶりばかりが凄まじかったアニメなのですが、あまりにも大人気を得たため、一般層にも話題が広がり、果ては一般の文芸誌で評論家に採り上げられ、数々の賞を受賞する存在になりました。
 最近では「涼宮ハルヒの憂鬱」が、その代表でしょう。これは、元はライトノベルで、アニメ化によってブレイクした作品ですが、その展開には、かつての「エヴァ」にかなり近いものがあり、マニアから一般層への拡大、一般誌での採り上げられ方と数々の賞の受賞など、その流れが酷似しています。かつての「エヴァ」の再現と見てよいかもしれません。
 スクエニ系では、さすがにこれほど大ブレイクした作品は多くないのですが、一応は、かつての「ロトの紋章」などは、これに該当するかもしれません。のちの「鋼の錬金術師」と同様に、当時は「少年マンガの大ヒット作品」として大きく採り上げられました。最近の作品では、前述の「鋼」以外では、「ARIA」あたりがそれに該当するかもしれません。

 上記の中でも、「涼宮ハルヒの憂鬱(ハルヒ)」については、「鋼」や「あずまんが」同様、色々と面白い話があります。
 例えば、アニメの脚本家に佐藤大という方がいるのですが、この人は、普段は散々萌えアニメをバカにするような発言を行っているらしいのですが、このハルヒについては、原作者と対談を行ったりと、ひどく好意的に評価しているようです。やはり「ハルヒ」クラスの作品になると、その扱いは別格なのでしょうか。それとも、ハルヒは他の凡百の萌えアニメとは違うとでもいうのでしょうか。
 前記事で採り上げた「R25」というフリーペーパーですが、この雑誌は、「鋼の錬金術師」の企画記事の持ち込みを「マニアック」の一言でハネたその一方で、のちに「ハルヒ」の総力特集を行っています。「鋼の錬金術師」をハネても、それ以上にブレイクした「涼宮ハルヒ」クラスの作品となると、やはり扱いは異なるのでしょうか。これもまたよく分からない話です。

 そして、このような作品ばかりを採り上げる代表のような雑誌として、「日経エンタテインメント!」という雑誌があります。映画、音楽、本、テレビを中心にゲーム、ラジオ、演劇、インターネット等のトレンド情報を掲載する雑誌ですが、はっきりいって、この雑誌に採り上げられるマニア系のアニメやマンガは、すべからく「一般層に広く知れ渡り、取り扱うに値するとされた作品」ばかりです。「鋼の錬金術師」も「涼宮ハルヒの憂鬱」もそう。マニアにしか受けていない作品が、この雑誌で大きく採り上げられることはまずない。ある意味、「一般層にまで突き抜けたマニア作品」を知る格好の雑誌と言えるかもしれません。

 以上のように、「いつもはマニアックなオタク向け作品に見向きもしなかった評論家が、一般層に大人気を得て幅広く知られた作品に対しては、まるで手のひらを返したかのように、それだけは考察の対象として採り上げる」例は、枚挙に暇がありません。今回は、夏目房之介、斉藤環、佐藤大、R25あたりの言動を採り上げて批判してしまいましたが、実際にはこのような例は無数に存在するため、彼らのみを槍玉に上げてしまったのは、少々酷だったかもしれません。


・オタク作品とそうでない作品の間には「越えられない壁」が存在する。
 そして、このように、「ごく一部の一般層にまで知名度の広がった大人気作品」だけは、盛んに評論家に採り上げられるけれども、それ以外のほとんどののマニア系作品は、その存在をほとんど無視されています。「存在はするけれども、我々が採り上げるべきものではない」「内容のないオタク向け作品で、評論に値しない」とされているわけです。
 その結果、これらマニア向け・オタク向け作品と、それ以外の「一般向け作品」の間には、どうしようもないほどの高い壁が出来上がってしまいました。この壁を越えられるのは、「鋼」や「あずまんが」「ハルヒ」クラスの超人気作品のみであり、それ以外のほとんどのオタク向け作品は、この壁を越えることが出来ず、世の評論家(や一般の読者)の眼の届かない壁の向こうで、その存在はないものとして扱われているわけです。具体的には、次のように図示できます。


・ジブリ作品(宮崎アニメ)
・土6系アニメ
・DSゲーム(「脳トレ」)
・ドラクエ・FFなどの定番人気ゲーム
・NANA、のだめなどの大ヒットマンガ
・ジャンプ・マガジン・サンデー等の大手系マンガ
・デスノート
・ガンダム
・ドラマ化されたマンガ
・一般向け(とされる)文芸作品
・鋼、あずまんが、ハルヒなど、マニア向けでもごく一部の大人気作品

───越えられない壁───

・萌えアニメ
・角川、電撃系を中心とする萌えマンガ
・ガンガン系(スクエニ系)マンガ
・萌え4コマ
・エロゲー・ギャルゲー
・ほとんどのライトノベル(萌えノベル)


 このような現状では、ガンガン系のような作品は、世の評論家や一般層の眼からは完全に「隔離」されている状況であり、壁のこちら側でいくらいい努力をしたところで、壁の向こう側の人々の眼には入りません。いくらいい作品を作ったとしても、その存在は最初から無視されているわけですから、それが認められることはほぼありません。もちろん、この状態から、一般に向けて知名度を伸ばそうとしても、その試みは無駄に終わるでしょう。

 もっとも、ごくごく一部、この壁を越えるほどの圧倒的な人気を確保し、一般層の目に触れることが出来る作品も存在します。「鋼の錬金術師」「あずまんが大王」「涼宮ハルヒの憂鬱」などがこれに該当しますが、しかし、これらの作品が人気を得たところで、それが他の同系の作品にまで好影響を与えることは、ほとんどありません。これらの作品は、「鋼の錬金術師」とガンガンの関係で分かるように、元々所属する媒体からは完全に切り離して、あたかも最初から一般層に向けた大人気作品として単独で扱われるため、他の同系の作品群が日の目を見ることは、ほとんどないのです。
 「鋼の錬金術師」が売れたからといって、ほかのガンガン連載マンガまで注目を集めることがあったでしょうか? 「あずまんが大王」が評価されたからといって、他の萌え系4コマが一般層に幅広く人気を得たケースが、どれだけありますか? 「涼宮ハルヒの憂鬱」が大ヒットしたからといって、他の萌えアニメ、他の萌えライトノベルまで一般層に評価されることがありましたか? ほとんどないですよね。これが今のオタク向け作品の置かれている現状であり、たとえ「鋼の錬金術師」のような大ヒット作品を生んだところで、雑誌自体はマイナーの域を超えることは絶対にできない。これが「ガンガン系はなぜマイナーなのか」という問いに関する、明確な答えなのです。


(追記)
 このような記事を書くと、次のような反論をする方がおられるかもしれません。
 「『鋼』や『あずまんが』のような作品は、他の凡百のオタク向け作品とは違い、真に内容があるから評価された。それ以外のほとんどのオタク向け作品は、萌えばかりで単純に内容がなくつまらないために、評価されていないにすぎない。『壁があって無視されている』というような考えはお門違いで、単につまらないだけだ」
 このような反論はかなりはっきりと予想できそうですので、これに対しての回答を記述しておきます。

 で、回答ですが、結論からいうと、「そんなことは絶対にない」と断言できます。実際には、本当に面白い、内容のある作品はたくさんあるのです。そういう発言をする方は、「オタク向けで内容がない」という先入観にとらわれて、そんな作品はないものと思い込んでいるに過ぎないと考えます。例えば、ガンガン系マンガについてですが、わたし個人の認識では、「『鋼の錬金術師』と同等レベルの面白い作品は数多くある」と見ています。「鋼の錬金術師」は確かに一線級の作品ですが、それが他のガンガン系作品から突出してずばぬけているという見方は、明らかな誤りです。これは断言してよいと思います。


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