<なぜ日常系アニメが終わった後の喪失感は凄まじいのか?>

2013・9・26

 以前から、いわゆる日常系と呼ばれるマンガやライトノベルは数多くあり、アニメ化される作品もかなり多くにのぼっています。今では完全に定着したひとつの人気ジャンルと見ていいでしょう。

 そして、ここ最近になって、それらの日常系と思われるアニメにおいて、ある共通する反応があることに気付きました。それは、一連の放送が最終回を迎え、終わった後になって、作品が終わったことへのすさまじい喪失感を感じ、「もうこれなしでは生きてはいけない」「これからどうすればいいのか」といった嘆きの言葉を発するような反応です。

 最初にこういった反応に気付いたのは、今年(2013年)1月〜3月に放映された「GJ部」が終了したときの反応です。この原作はライトノベルで、「4コマ小説」とも称される日常の小さなエピソードを積み重ねた構成が顕著で、いわゆる日常系4コマと近い作風を持っていました。しかし、原作もアニメも当初はさほど知名度は高くなかったのですが、放映を重ねるにつれ徐々に反響が集まり、そして最終回を迎える頃には、上記のような放映終了を悲しむ声の高まりが、非常に顕著なものとして感じられました。放映開始時の反応がそれほどでもなかったので、この放映後の反応にはかなり驚いた記憶があります。

 それ以上に反応が顕著だったのは、その次の4月〜6月に放映された「ゆゆ式」でしょうか。こちらは、原作はまんがタイムきららの連載で、いわゆる日常系4コマのひとつと言える作品からのアニメ化でした。こちらも、放映開始時の反応は特に目立ったものはなかったのですが、やはり放映を続けるに連れて視聴者の間での支持が高まっていき、最終回を迎えて終わるころには、絶叫に近い嘆きが各所で聞かれることになりました。ここで難民という言葉が出てきたのも顕著で、「ゆゆ式」アニメ終了を迎えて「これからどうすればいいのか」と嘆くファンたちを指して「ゆゆ式難民」と呼ばれることになりました。

 この「ゆゆ式」のような、芳文社のきらら系雑誌原作のアニメは、他にも同じような傾向が生まれることがよくあり、この「ゆゆ式」の直後の7月〜9月に放映された「きんいろモザイク」でも、やはり同等の反応を見ることができます。過去作では、以前2012年に放映された「キルミーベイベー」でも、やはり終了を嘆く声は大きく、「キルミーベイベーは死んだんだ」という名言(?)を生み出すことになりました。

 このように、こうした日常系とも言えるアニメにおいて、その終了後に、熱心な視聴者の間で、終わってしまったことを嘆く反応が目立ちます。こうした反応を示すということは、作品の放映がなくなったことに対する喪失感が特に強いことを示していますが、ではなぜこのジャンルにおいて、とりわけ喪失感を強く感じてしまうのでしょうか。例えば、ここ最近テレビドラマで大ヒットした「半沢直樹」などは、視聴率40%を超えてはるかに多数の視聴者が存在したはずですが、しかしこうした反応はほとんど見られません。この記事では、こうした日常系アニメに特有とも言える喪失感の理由を考えてみます。


・やはり嫁がいなくなるのは大きいのではないか。
 まず真っ先に思いつく理由として、ほとんどの日常系アニメで中心となって登場するキャラクター、すなわち、「女の子」「美少女」がいなくなることが、非常に大きいのではないかと考えました。

 アニメが終わることで、自分の好きなキャラクターに(番組内では)もう会えなくなる。この喪失感は中々に大きいのではないかと考えます。そもそも、こうした日常系作品、萌え4コマに代表されるように、メインキャラクターのほとんどが女の子というのがひとつの定番で、そうした萌えキャラクターを目当てに見る視聴者が多数を占めるのではないかと思われます。そうした視聴者にとって、自分の好きな萌えキャラクター、俗に言う”嫁”に会えなくなることは、非常に大きな精神的負担になるのではないか。

 実際のところ、半沢直樹のようなおっさんに会えなくなっても別にどうでもいいが、思い入れしまくっている美少女に会えなくなることの精神的ダメージは、他人が想像する以上に大きいのではないでしょうか。キャラクターへの思い入れが、そのまま作品が終わることへの喪失感につながる。これは容易に思いつく理由だと思います。

 しかし、これは確かにひとつの大きな理由だと思いますが、しかし理由のすべてだとは思えません。なぜなら、こうした萌え系美少女キャラクターが登場する作品は、別に日常系に限らず、他のジャンルの作品でもいくらでもあるからです。しかし、そうした作品においては、日常系ほどには喪失感を訴える視聴者は少ないように思われます。つまり、日常系アニメ独特の喪失感には、ほかにもまだ理由があることになります。


・心地よい日常を体感する幸福が失われることが、もうひとつの大きな理由。
 では、ほかにもあるその理由とは何か。これは、やはり日常系ならではの日常描写、何も起こらないが楽しく幸せな日常に浸る楽しみが、番組終了で一気に失われることが、非常に大きいのではないかと考えました。この喪失感は、思い入れを抱いた萌えキャラクターが失われるのと同等かそれ以上のダメージがあり、あるいは萌えキャラクターの喪失と同時に訪れることで、さらに多大なダメージとなって視聴者に襲い掛かるのではないか。

 このことに関して、かつて非常に印象深い出来事がありました。2007年に放映された「らき☆すた」のアニメ、そのDVD1巻限定版のジャケットイラストがえらく話題を呼び、中には感極まって泣く視聴者まで出てきたのです。
 そのイラストは、主人公のこなたたちが、夕日が指す教室で談笑している姿を描いたもので、暗くなりつつある教室と窓から指す夕日の光が鮮やかなコントラストを成す印象的な絵になっています。DVDのジャケットとしてはあまり見られないタイプの絵でもありますが、このイラストがえらく評判となり、感激して泣く者まで出てきたのです。
 なぜ、彼らが泣くまでに感極まってしまったのか。それは、このイラストに描かれている、放課後の教室で気の合う友人と過ごす心地よいひと時、そこにかつて現実でもあったかもしれない日常の楽しさを強く感じ、強烈な郷愁を覚えてしまったのではないかと思われるのです。この手の日常系の多くは、学校が舞台であることがひとつの大きな特徴ですが、そんな現実ともつながりのある舞台における、心地よい日常の楽しさを思い出してしまったのでしょう。

 また、こうした学校を舞台とした日常系アニメには、現役で学校に通う学生の視聴者もいるとは思われますが、それ以上にもう遠い昔に学校を卒業した、高年齢の視聴者もかなり多数いると推測されます。「萌え4コマの読者層の中心が30代男性」というのが、各種データや関係者の発言から確認されていますが、アニメでも同じことが言えるのではないかと思います。

 さらには、彼らがかつて体験した学校生活が、これら日常系アニメと同じように楽しいものだったらまだいい。中には、学校時代ろくに友達もおらず、寂しく過ごした人もいるのではないでしょうか。そんなもこっちのような哀れな視聴者にとって、こうした日常系アニメの日常描写は、強烈な憧れとなって映り、それが終了してもう見られなくなった時の喪失感は、驚くほど強いものがあるのではないでしょうか。


・わずかに1クール程度で終了することも原因ではないか。
 また、こうした日常系アニメの多くが、放映期間が非常に短く、ほとんどの作品が1クール(12話、約3カ月)で終わってしまうことも、終わったときの喪失感に拍車をかけているのではないかと思われます。

 この手の日常系アニメは、コアユーザー向けの深夜アニメとして放映されることがほとんどで、そしてそうした作品の多くは、アニメとしては最低期間の1クールで終わってしまいます。ここ最近その傾向はさらに顕著になり、2クール行くことは非常に珍しくなり(これは日常系ならずとも他の深夜アニメもほとんどそうですが)、よほどの人気の出たアニメでさえ、1クールで終わってしまいます。

 そして、このような短い放映期間の日常系アニメだと、心地よい日常を長く味わえないうちに早くも終了を迎えてしまうわけで、喪失感はより大きくなると推測されます。1年とかせめて2クール(半年)くらい長く楽しめれば、こうした喪失感もそれほど大きくはならないのではないでしょうか。

 原作であるマンガやライトノベルと比べても、その差は顕著です。例えば、上で例に挙げた「らき☆すた」は、原作は2003年に連載が始まって以来、現在(2013年)に至るまで延々と続いていますが、アニメの放映は2007年の半年(2クール)のみです。もっとも、この作品は、まだ2クールと長く放映され、終了後もメディア展開や聖地の盛り上がりなどが続いたので、まだいい方でしょう。それ以外のアニメの場合、原作は少なくとも数年単位で続いているのに、アニメは1クールのみの放映で、終了後はこれといった動きがなくなるのが大半なのです。同じ日常系作品でも、人気作なら数年は長く続くマンガやライトノベルの方が、喪失感は少ないと言えるでしょう。


・2期の期待が薄いのも大きな要因か。
 さらには、日常系アニメのほとんどが、短い1回の放映期間のみで終わり、その後の再アニメ化(いわゆる2期)が行われる可能性が低いことも、これまた喪失感に拍車をかけているのではないかと思われます。

 こうした日常系アニメは、やはりコアな(マニアの)視聴者に集中して人気の出るものが多く、一部の熱心なファンには熱い支持を受けても、それ以上の広い人気につながることは少なく、結果として2期の放映につながることも少ないようです。例えば、(萌え)4コマ原作のアニメを見ると、2期が放映されたのは「ひだまりスケッチ」や「けいおん!」などごく一部の作品にとどまります。

 話によると、こうしたアニメの2期の放映が決まる要因は、純粋にブルーレイ・DVD(俗に言う円盤)の売り上げによるところが最も大きいらしく、その境は1巻あたり6000枚程度であるとも聞きました。これは、マイナーな深夜アニメでは中々超えられない数字で、しかも日常系アニメに関しては、他の深夜アニメよりさらに売り上げは低い傾向にあります。例えば、最初に挙げた「ゆゆ式」に関しては、およそ1巻あたり3000枚前後、「GJ部」もそれと同程度かさらに少なくなります。「キルミーベイベー」に至っては、1巻あたり1000枚にも達していません。

 (参考)アニメDVD・BD売り上げまとめwiki

 このような数字では、2期の放映が行われる可能性はかなり低く、実際に放映が行われる作品も本当に少なくなっています。視聴者もそのことはよく知っていて、それゆえに放映終了時には「もう再び会えることはないだろう」と絶望的な喪失感に打ちひしがれるのではないでしょうか。


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