<作品のヒットの理由に社会状況を当てはめるのは妥当か>

2013・10・3

 先日、地元紙の夕刊で、「進撃の巨人 世界席巻」という大きな見出しで、あの「進撃の巨人」が海外でもヒットしているという大きな記事がありました。海外でもこの作品が人気というのは以前から知っていましたし、それをこうして新聞記事で取り上げられたのはうれしくもあったのですが、しかし記事での「進撃の巨人」の紹介と、そのヒットを社会状況と結びつける内容には、かなりの違和感がありました。

 記事の小見出しでは、「無謀な戦い挑む姿に共感?」とありますが、これもかなり引っかかりました。強大な巨人に挑む人類の戦いは、絶望的ではありますが、しかし十分な訓練と装備、考えられる限りの周到な戦略を用意して戦いに臨んでおり、必ずしも「無謀」という言葉は当てはまらないと思います。作品を実際に読んだ、見た人の間でも、絶望的な戦いというのは理解できると思いますが、無謀という感想を抱いた人は多くないのではないでしょうか。

 また、その後に続いて、「社会の閉塞感が各国で共通している 主人公の少年たちが勝ち目のない戦いを挑み、絶望から立ち上がろうとする姿が、広く共感を呼ぶのではないか」という別冊少年マガジンの鈴木チーフによるコメントがあり、また「少年少女の社会への不安や恐れが、巨人や壁の形でうまく表現されている」とのコメントも続いています。

 しかし、このようにかなり引っかかる解釈となっている作品の内容を、社会状況と結びつけてヒットの理由とする記事の主張には、少々賛同し難いところがあり、果たしてこれは妥当なのかひとしきり考え込んでしまいました。
 そもそも、このように大ヒットした作品の人気を、社会状況と結びつけて理由を求めようとする言説は、もう以前からずっと長く続いてきました。しかし、わたしは、それが本当にそれが妥当な解釈なのか、前からずっと疑問を呈しているのです。ヒット作の人気の理由が社会状況にあるとするなら、それこそすべてのヒット作の人気は社会状況によるものだとまで言えてしまう。ここでは、こうした言説が本当に正しいのか、果たして妥当性があるのか検証してみます。


・記事内での「進撃の巨人」の紹介について考える。
 まず、上で紹介した新聞記事における、「進撃の巨人」の紹介内容について考えてみます。およそ、「無謀な戦い挑む姿に共感?」という小見出しに沿った内容で、「主人公の少年は壁の中で暮らすことを拒否し、巨人に無謀な戦いを挑んでいく」「主人公の少年たちが勝ち目のない戦いを挑み、絶望から立ち上がろうとする姿(が、広く共感を呼ぶのではないか)」と、おおむねこのような紹介になっています。

 これは、完全に間違った紹介ではないと思いますが、しかし、「無謀な戦い」「勝ち目の無い」という箇所には、かなりの違和感があるのではないかと思います。実際の作中の戦いは、人類側の兵士が十分な訓練を行い最新鋭の装備を用意して、さらには考えられる限りの周到な戦略を駆使して、巨人との戦いに挑んでいる姿が詳細に描かれていて、無謀という表現は当てはまらない箇所が多いと思います。確かに、それでも巨人たちの力は強大に過ぎるもので、人類側にとって「絶望的な戦い」とは言えるかもしれないが、しかし「無謀」「勝ち目のない戦い」というわけではない(実際に成果を上げている戦いもある)。これは実際に作品に触れている読者・視聴者にも共通の認識だと思います。

 また、主人公の少年・エレンの「(巨人すべてを)駆逐してやる」という意気込みは、確かにそれ自体は非現実的で無謀とも取れる言動かもしれませんが、しかし目の前で親を殺された少年が復讐してやると意気込むのは、こうした作品では自然な行動とも言えます。強大すぎる敵に挑むというのは、この「進撃の巨人」のような少年マンガでは定番の展開と言えますし、そうした作品を読み慣れた読者が、それを「無謀」だとする感想は、普通はあまり出てこないのではないでしょうか。


・世界各国それぞれの社会状況といちいち結びつけるのは無理がある。
 もっとも、作品に対してどのような印象を抱くかは人それぞれですし、「進撃の巨人」に対してこうした感想を持った人がいても、それ自体は特に問題ありません。本当にこの記事が問題なのは、そうした「無謀な戦い」云々といった作品の説明を、現実の社会状況と結びつけ、それを作品の人気の理由としたことにあります。

 すなわち、「社会の閉塞感が各国で共通している 主人公の少年たちが勝ち目のない戦いを挑み、絶望から立ち上がろうとする姿が、広く共感を呼ぶのではないか」といった記述で(これは講談社の鈴木さんのコメントらしいのですが)、この「社会の閉塞感」なる現在の社会状況を、「進撃の巨人」のヒットの大きな理由だとする論が、この記事の中心的な論調となっています。

 しかし、日本国内の社会だけを見るならまだしも、世界各国の多くの社会を一度に見て、その多くが「閉塞感を持っている」とするのは、いささか乱暴な説のようにも思えます。それぞれの国ごとに社会事情は異なりますし、いちいちそれぞれの社会と照らし合わせて、作品のヒットの原因を求めるのは、かなり無理があるのではないでしょうか。


・社会状況ではなく、純粋に作品のアイデアや作りこみで人気が出るケースの方が多い。むしろその方が妥当。
 むしろ、「進撃の巨人」が世界各国でヒットしている理由は、「純粋に作品が面白いから」と考えるのが自然ではないでしょうか。当たり前ですが、作品ごとの純粋な完成度、中でも斬新なアイデアや作りこみの深さは、爆発的なヒットの最大の要因になりえます。本来なら、何らかのコンテンツのヒットの分析においては、まずこうした作品自体の作品性を見るのが妥当ではないか。しかし、なぜか新聞や一般向け雑誌の記事においては、特にマンガやアニメ、ゲームなどのコンテンツにおいては、どういうわけか社会性と結びつけて論じる分析が目立ちます。しかし、それは必ずしもすべての作品に合っているとは言えない。

 例えば、ひとつゲームについて例を挙げてみます。91年に登場してヒットし、のちに対戦格闘ゲームのブームのさきがけとなった「ストリートファイターII」。このゲームのヒットは、果たして社会状況に原因が求められるでしょうか? おそらく、そのような原因を考えるのは難しく、このゲームの場合、「リアルなキャラクターによる格闘」「人との対戦」という新しいアイデアが、高い完成度でひとつのゲームになっていたからこそ、あれだけヒットしたのではないか。純粋にゲームが、対戦が楽しかった。それが最も自然に考えられる理由でしょう。

 97年末に登場し、のちの音楽ゲームのさきがけとなった「ビートマニア」についてはどうか。これも、果たして社会状況にヒットの原因を求めることが出来るかどうか。例えば、当時音楽系コンテンツが盛り上がりを見せていて、それに影響を受けてヒットした? そんな事実はないでしょう。このゲームの場合、リズムに合わせてタイミングよくボタンを押すという、シンプルにしてそれまでになかったゲームのアイデアが、ゲームマニアから一般の客層まで広く受けたと考えるのが妥当です。

 この「進撃の巨人」の場合、作品の大枠は比較的オーソドックスな少年マンガとも言えますが、しかしそれまでの作品では見られなかった斬新なアイデアが随所に見られ、それが読者の目を引いた点は大きいと思います。「巨人」という極めて特徴的な姿をした強大な敵、それに対して人類が持つ「壁」というこれまた印象的な構造物、そして巨人に挑む人類の兵士が駆使する「立体機動装置」なる装備とそれを駆使したスピーディーなアクション。これらは、ひとつのエンターテインメント要素として非常に魅力的です。

 加えて、絶望的とまで言われる暗い設定ながら、しかし先の展開が気になる面白いストーリー、さらには数々の「謎」が散りばめられた魅力的な設定・世界観など、物語としての完成度も非常に高いと思われます。これならば、人気が出るのも当然と言えますし、そもそも原作のマンガ連載からして、ずっと初期の頃から「面白い」と評判でした。アニメのヒットはその延長上にあるもので、加えてスタッフの奮闘でアニメ版もさらに完成度の高いものになっており、さらなる爆発的なヒットは必然だったとも言えるでしょう。


・エンターテインメント作品の流れを考える必要もある。
 加えて、こうした作品のヒットの考察では、過去のエンターテインメント作品の流れ、歴史を考える必要もあるかもしれません。「過去にこういった作品があって、この作品はその影響を受けて生まれ、さらに面白かったからヒットした」と、そういう考察を行うのです。ゲームのドラクエ・FFの前にウィザードリィ・ウルティマがある、きらら系日常4コマの前にあずまんが大王がある、そういった作品の流れを見て考察するわけです。

 この「進撃の巨人」の場合、作者の初連載作品でかつかなり特異な設定を持っていることもあり、直接的に何かの作品からの流れを見ることは難しいかもしれません。しかし、そもそもこうしたバトル系、あるいはファンタジー系の少年マンガは、少年向け雑誌においては定番中の定番であり、多くの雑誌でそうした作品がいくつも連載されてきて、その中から何度も大きなヒット作が生まれてきました。この「進撃の巨人」も、その中のひとつだと考えれば、不自然なことは何もありません。わざわざ社会状況にヒットの原因を求める必要性は低いジャンルの作品とも言えます。始めから社会に何かを訴えようとする社会派の作品ならともかく、こうした定番のエンターテインメント作品に、わざわざ社会状況との関連を求める必然性は薄い。

 また、あえて流れを求めるなら、このマンガの暗い設定とファンタジーという世界観から、かつての「鋼の錬金術師」のヒットとちょっとした共通点はあるかもしれません。それ以外に作品の共通点は特になく、両者に直接的な作品の流れは見られないと思いますが、しかしこうした作品が読者に受け入れられる素地が、ここ最近のこのジャンルのヒットによって出来ているのかもしれません。「デスノート」などのデスゲーム系の作品もそうですが、今ではこうしたダークな設定の作品も、以前に比べると抵抗なく受け入れられる素地が出来ていて、それがこの「進撃の巨人」のさらなるヒットにつながった、と考えると自然だと思います。


・作品のヒットを安易に社会に結びつける主張は妥当性がない。
 以上のように、この「進撃の巨人」の記事、世界各国でのヒットをそれぞれの社会状況に求める主張には、妥当性があるとは言えず、単純に作品自体の面白さ、完成度にヒットの要因を求める方が自然だと思います。この作品の海外でのヒットは素直に喜ばしいですが、しかしこの記事の内容は素直には受け入れ難いものでした。

 しかし、こうした主張は、これまでもさほど珍しいものではありません。何らかの作品が爆発的なヒットをするたび、そのヒットの原因を社会に求める、そうした言論が必ずと言っていいほど一部論壇に登場する。特に、ここ最近では、「ゼロ年代」という特徴的な用語を使う論者の間で、そうした主張が何度もされてきたと思います。例えば、ゼロ年代の日常系作品のヒットには、それを人々が求める社会的な状況があった、とそういった評論です。

 これは、一部にはまだ賛同できるものもありましたが、しかしその多くは受け入れ難いもので、単純な作品自体の面白さや、あるいは過去からのエンターテインメントの流れを見ていないと感じてきました。今回の新聞記事もそれに近いものがありますが、しかしこうした論評が、新聞という多数の一般読者が読んでいるであろう媒体で掲載されることには、ちょっとした不安を覚えます。これでは、当のマンガやアニメをよく知らない人の間に誤解を生む可能性がある。それは、こうした作品たちに必ずしもいい影響を与えないと思うのです。


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