<作中のゲーム制作秘話(1)>──ドラゴンクエストへの道──

2012・10・26

 作品紹介では、「ドラゴンクエストへの道」というマンガには、ドラクエの製作事情がかなり詳しく描かれていると書きました。この記述は時に非常に詳しいもので、かつ今に至るまでここ以外では知られていないような事実までいくつも描かれている、非常に興味深いものとなっています。ここでは、そんな「ドラゴンクエストへの道」に見られる、ドラクエ、もしくはエニックスのゲームの製作の裏話を、いくつかピックアップして書いてみたい。かつて20年前にわたしが読んだ時には、そのひどく具体的な話に感心してしまったものですが、それを未読の方にも是非知ってほしいと思います。


<ドラクエというゲームは、「ゲームホビープログラムコンテスト」から生まれた>
 かつて、エニックス草創期の1982年に開催された「第一回ゲームホビープログラムコンテスト」。これは、プログラムされたオリジナルのゲームを募集するもので、当時としてはあまり例を見ない画期的な企画でした。これが、有能なプログラマー・ゲームデザイナーを抜擢する大きな機会となり、さらには、のちのドラゴンクエストのメインスタッフである中村光一や堀井雄二を発掘するきっかけとなりました。これは、一部でよく知られた事実ですが、この「ドラゴンクエストへの道」では、そのコンテストの詳細がつぶさに描かれています。

 中村光一は、このコンテスト以前から有能なプログラマーとしてすでに知られる存在だったようですが、このコンテストでもやはりその実力を存分に発揮、「ドアドア」という作品で優秀プログラム賞を受賞します。この「ドアドア」が、のちにエニックスからPCとファミコンで発売され、大きな人気を博したことは言うまでもないでしょう。一方で堀井雄二は、当時はライターとしての仕事が忙しく、その片手間でなんとかコンテストの作品を仕上げたようですが、その作品「ラブマッチテニス」が、入選プログラム賞を受賞。しかも、当時少年ジャンプでもライターの仕事をしていた堀井は、そこの仕事でこのコンテストを取材していたという事実も出てきます。コンテストを取材していた人物が同時に応募までしていた(笑)。これが、堀井雄二がエニックスとつながる最大のきっかけとなったのです。

 そしてもうひとり、これはドラクエの製作スタッフではないのですが、このコンテストで最優秀賞を取った人物として、森田和郎も登場します。「森田のバトルフィールド」というシミュレーションゲームで受賞した彼は、のちに「森田の将棋」を始めとする数々の思考ゲームを手がけることになります。このような、ドラクエとは直接関係のないけれども、しかし有能な人物まで幅広く紹介するあたり、このマンガは懐が広かったなと思います。

 ところで、のちに出版事業へと手を出したエニックスは、「ファンタジーコミック大賞」というマンガ賞で有能な新人を多数発掘し、それが雑誌少年ガンガンの母体となりました。これは、「ゲームホビープログラムコンテスト」で有能なプログラマーを多数発掘した手法と共通したものがあり、エニックスお得意のこの手の新人発掘法が、実に優れた手法であることを証明していると思います。


<ファミコンユーザーにRPGに慣れてもらうためにポートピアが発売された>
 こうして、多数の有能なスタッフを抱えることになったエニックスは、ファミコンでもRPGを出そうと画策するようになります。これが、のちのドラゴンクエストとなるのですが、その前に「まずアドベンチャーゲームを出して、ファミコンのユーザーに文字を使うゲームに慣れてもらう」ことを考えます。これは、マンガによればプロデューサーの千田幸信の発案のようですが、確かによく考えられた周到な計画だったと思います。

 その時に白羽の矢が立ったゲームが、堀井雄二のあの「ポートピア連続殺人事件」でした。既にPCで高い評価を得て、グラフィックもファミコンの移植に耐えられるシンプルなものだったこのゲームは、知っての通りファミコンでも大ヒット。今思えば、このポートピアがあったからこそ、のちのドラクエのような文字情報主体のゲームに、多くのファミコンユーザーがすんなりとなじめたのではないでしょうか。プロデューサー千田幸信の発案は、まさにこれ以上ないほどの妙案だったと言えます。

 そう考えると、ドラクエのある街の住人の「わたしのポートピアとあなたのドラクエを交換しないか」というセリフ、これは製作者のお遊びなのですが、中々に感慨深いものがあると思います。ポートピアのヒットを足がかりに、ドラクエというさらなる大ヒットゲームが生まれたことを象徴する名(?)セリフでした。


<ポートピアのコマンド選択システムは堀井自身のアイデアだった>
 しかし、その「ポートピア連続殺人事件」をファミコンに移植するにあたって、ひとつ大きな難題がありました。PC版の「ポートピア」は、というかこれは当時のアドベンチャーゲームはみんなそうだったのですが、プレイヤーの行動をキーボードでの単語入力で決定していたのです。当時のアドベンチャーは、ある種製作者が用意した言葉を見つける「言葉探し」のようなところがあり、これはこれで非常に面白かったのですが、しかしファミコンにはキーボードはありませんでした。画面にキーボードを映して十字キーで入力するアイデアも浮かびましたが、面倒すぎて到底受け入れられないだろうと。ふたりでポートピアのファミコン移植案を練っていた千田と中村は、途方にくれることになります。

 しかし、その問題を当のデザイナーの堀井雄二のところへ持っていったところ、けろっとした顔で「問題ない」というのです。そこで堀井が提示したのが、今では当たり前になっている、画面に並んだコマンドを選んで決定する「コマンド選択システム」。これならばファミコンでも問題なく通用すると。そのアイデアを知った中村は、堀井のゲームデザインの実力に感服すると同時に、自分も負けてはいられないと奮起することになるのです。

 このコマンド選択というスタイルは、「ポートピア」のほかのPCへの移植版でも適用され、大いに好評を博することになります。一説によれば、この「ポートピア」のコマンド選択システムが、アドベンチャーゲームでのこのスタイルの元祖だったとも言われています。もっとも、これには諸説あり、どうも同時期に同じシステムを採用したゲームが他にもあったようです。しかし、当時のPCとファミコンで突出した大人気ゲームだった「ポートピア」でのこのシステムの採用が、のちのゲームに最も大きな影響を与えたことは、まず間違いないところだと思います。


<ウィズ・ウルティマとの差別化を図るためにマルチウインドウが生まれた>
 そろそろ肝心のドラクエの製作に関する話に入ります。いよいよRPGの製作に入ったスタッフたちですが、新しいゲームを作るのは難関の連続でした。やはり、1からまったく新しいものを作り出すのは、どこでも非常に難しいわけです。

 ドラクエの場合でも、最も難しかったのは、やはり既存のゲームとの差別化でした。ドラクエというゲームが、ウィザードリィとウルティマという、コンピュータRPGの元祖といえる2つのゲームから多大な影響を受けて作られたことは、一部でよく指摘されていますが、開発初期の頃のバージョンは、のちの製品よりもさらにウィザードリィとウルティマに近いものでした。とりわけ、画面のデザインなどは、上半分にトップビューのマップ、下半分に文字情報というスタイルが、まさにウルティマそのままで、あまりにもオリジナリティに欠けていたのです。

 この問題に対して、いいアイディアを出したのが中村光一。彼が出したアイディア、それはマルチウインドウ。今ではゲームならずともPCなら当たり前に使われているウインドウスタイル。しかし、当時はごく一部のビジネスソフトに使われているだけでした。これをあえて使うことで、既存のウルティマとの差別化が図られるだけでなく、表示非表示を簡単に切り替えられるウインドウに文字情報を集中させることで、画面すべてをマップとして使うことが可能になり、俄然ゲームが見やすくなるというあまりに大きなメリットが生まれました。こういった小さなアイディアの積み重ねで、新しいものは生み出されるのだということを、このマンガはひとつひとつ丁寧に記しています。


<「レベル表示は絶対必要だよ」>
 そのウインドウ関連で、あまりに大きな決定となったデザインがひとつあります。それは、ウインドウ内のステータス画面に、「常にプレイヤーのレベルを表示する」ということ。

 PCでのRPGのプレイに慣れていた堀井や中村は、「レベルの強さはいつでもコマンドで見られる」「自分が今レベルいくつかはだいたい分かる」と主張し、ウインドウ内の表示を出来るだけ少なくして、画面を見やすくすることを提案します。しかし、それに対して「レベル表示は絶対必要だよ」と反論したのは、意外にも千田幸信でした。

 彼の弁によると、ポートピアが発売されたばかりの頃、エニックスに小学生のプレイヤーから質問の電話がかかってきて、電話の向こうでわいわいとにぎやかに楽しんでいる声が聞こえてきたと。それを体験した千田は、「ファミコンはパソコンのようにひとりで遊ぶゲームではない」「ゲームセンターのようにみんなでワイワイやりながら遊ぶ、パソコンとは異なるコミュニケーションメディアだ」と力説。そんなファミコンでのRPGならば、友達が集まって楽しむときにレベルの表示があった方が絶対にいい。ゲームをしている人には直接必要のないレベル表示も、まわりで見ている人を意識した時絶対に必要だと。それを聞いた堀井・中村両氏は、「なるほどコミュニケーションメディアですね」と返答し、その提案を受け入れることになるのです。

 と、このような観点から見ても、このレベルを常に表示するスタイルは素晴らしい決定だったと思いますが、しかしわたし個人の意見では、「たとえひとりでプレイする時でも、レベル表示は絶対にあった方がいい」 と考えています。なぜなら、RPGにおいて、プレイヤーの成長は最大の楽しみの1つであって、その成長した結果を最も端的に表すレベルの数字は、常に表示していた方が絶対にうれしいと思うのです。もし、このときのドラクエが、レベルを常に表示しないシステムを採用したら、のちのRPGはどうなっていたか。わたしは、「RPGの楽しみの多くが損なわれていたのではないか」と思うのです。そのような観点から見ても、この「レベル表示は絶対に必要」という千田さんの提案は、ドラクエのみならず、のちのちまで他のRPGにまであまりにも大きな貢献をしたと思うのです。


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