<作中のゲーム制作秘話(2)>──ドラゴンクエストへの道──

2012・10・26

 今回も前回の記事に引き続いて、「ドラゴンクエストへの道」に見られる、ドラクエもしくはエニックスのゲームの製作の裏話を書いてみたいと思います。今回はさらに「ドラゴンクエスト1」の制作の核心に迫る話が登場します。


<ドラクエ1では、カタカナは20文字しか使っていない>
 今となっては信じられない話ですが、黎明期のPCやファミコン時代のゲーム制作は容量との戦いでした。今のように実写ばりの画像など使えるべくもありませんし、画像どころかゲーム内で使える文字の種類すら制限される状態だったのです。

 堀井雄二の前作・ファミコン版の「ポートピア」でもそれは顕著で、あれだけ単純なグラフィックのゲームでありながら容量は厳しく、カタカナが全部使えないという事態に陥りました。そこで、堀井は、よく使うカタカナ20文字を厳選し、それのみを使うことでなんとか難局を凌ぐことになります。「具体的には、「イ・カ・キ・コ・シ・ス・タ・ト・ヘ・ホ・マ・ミ・ム・メ・ラ・リ・ル・レ・ロ・ン」の20文字に濁点と長音(音引き)を加えたものでした。これによって、原作のPC版では「ゆきこのペンダント」だったアイテムが、ファミコン版では「ゆきこのゆびわ」に変わってしまったというエピソードが、よく知られたものとなっています。

 そして、直後に制作されたドラクエでも、やはり容量の問題でまったく同じカタカナ20文字の制限を課すことになります。そして、これがポートピアの時以上に堀井を悩ませることになります。なにしろカタカナの敵モンスターの名前だけでも40種類以上ある。それを達成した堀井雄二の苦労は計り知れないものがあったと思います。

 今思えば、「ホイミ」「ラリホー」などの呪文のネーミングや、同じく「メトロゴースト」や「リカントマムル」といった一見してよく分からないモンスターの名前も、すべてこのカタカナ20文字の制限から生まれたと考えると、実に感慨深いものがあると言えるでしょう。「メトロゴースト」などは、「地下鉄の幽霊」ですが、おそらくは地下のダンジョンに生息するモンスターを表現するための苦肉の策ではないかと思います。「リカントマムル」も、「リカント」はおそらくライカンスロープ(獣人)の略として、では「マムル」って一体何?みたいな感じですが(笑)、カタカナ制限のネーミングに困った末にひねり出した苦心の作ではないでしょうか。


<堀井雄二・中村光一とすぎやまこういちは”ビンゴゲーム”で意気投合した>
 外部の人間のすぎやまこういちを起用することで、千田幸信と中村光一が対立して大いに揉めたことは、以前の記事で書いたとおりですが、その後最終的にすぎやまを迎え入れるに当たって、非常に印象的なエピソードがあります。

 対立を乗り越えて和解し、堀井も合わせてすぎやまと会うことになった中村ですが、その場ですぎやまのゲーマーとしての一年を知り、ゲーム談義で大いに盛り上がったのですが、その時に大きな話題となったのは「ビンゴゲーム」でした。ビンゴゲームといってもパーティーでよくやる数字合わせのゲームではありません。ここでの「ビンゴ」とは、かつて存在したゲームセンターでの大型筐体を指します。

 それは、筐体の下からボールを打ち出し、筐体上部にある数字の書かれた穴に入れるというもの。一見してピンボールやパチンコとも似ていますが、最大の違いは、「筐体を自分で左右に動かせる(揺らせる)」ということ。自分で筐体を動かして自分の入れたい穴にボールを導く。単純なゲームですが、彼らの話によると、「あんなにシンプルで奥の深いゲームはない」といいます。すぎやまは、昭和40年ごろには日本では横浜にしかなく、そこまで車を飛ばしていったというエピソードも披露。3人で大いに盛り上がることになります。

 この逸話は、当時わたしが読んだすぎやまのゲーム本などでも語られていて、そちらでも非常に興味深いエピソードとして読んでいました。まさかそんなゲームがゲームセンターの黎明期に存在したとは・・・と感心する人も多いのではないでしょうか。3人のゲーマーとしての年季を感じる名エピソードだと思います。


<バランス調整の段階で序盤のレベルアップがしやすくなった>
 ゲームの最初のヴァージョンが完成した後で、バランス調整の作業に入ったときのこと。ゲームの序盤をテストプレイしていた千田が、「レベル2になるのに経験値はいくつ?」と堀井に聞いたところ、「20ですよ」との答えが返ってきます。これを聞いて千田は「スライム相手に20回も戦うの?」とあきれ、「最初はどんどんレベルが上がるようにしようよ。その方がゲームに引き込める」と主張します。堀井もその提案を受け入れ、「7くらいにしましょう」と序盤のレベルアップへの経験値を少なくし、レベルが上がりやすくなるように調整することになります。

 そして、「これは大英断であり、そしておそらくは大正解だった」のです。レベルアップの楽しさ!それこそが、ドラクエの、ひいてはRPGの楽しみなのですから。このシーン、おそらくは今までさほどゲームをしていなかった千田による提案であったことが大きいと思います。PCでのRPGを数多くプレイしていたゲーマーの堀井には、その程度の難しめのバランスが当たり前だったのではないか。ここは、ゲームに対する経験がまだ少なかった千田の方が、より素直な実感に伴う提案が出来たのではないかと思います。


<プレイヤーにゲームを教えるために最初にプレイヤーを閉じ込めた>
 これは前の記事にも書いていますがもう一度。最初のバージョンでは、初期のプレイヤーのスタート地点は、フィールド上のある一地点でした。最初の拠点である”ラダトーム”の城と街、その中間点に置いたのですが、しかしここから城にも街にも入らずにどこまでも遠くに進んでしまい、コマンドの使い方すら知らずに死んでしまうプレイヤーが続出したのです。堀井らの考えでは、すぐ近くに城や街があるからそこに入ってくれるだろうと思っていたようですが、それは甘い目論見でした。このままでは不親切なゲームとなってしまう。

 そこでスタッフたちは大いに悩むことになりますが、スタッフのひとり柿原さんの「どこにも行かせたくないなら閉じ込めればいい」という提案を聞いて、一気に解決を見ることになります。具体的には、まずスタート地点を王様の部屋にして、扉に鍵をかけて閉じ込めることにします。そして、王様や兵士と「はなす」、宝箱からアイテムを「とる」、鍵を使って「とびら」をあける、「かいだん」のコマンドで昇り降りを覚える、とこうして王様の部屋で重要なコマンドをすべて覚えさせ、プレイヤーにきちんと遊び方を覚えさせてからゲームをスタートさせることに成功するのです。このような地道な改善の積み重ねによって、ゲームは完成するのだということを象徴するエピソードだと思います。

 ところで、同時期に少し先に出たゲームで、あの「ゼルダの伝説」がありますが、こちらは初期のプレイヤーがフィールド上の一地点で、すぐ近くに洞窟があってその中で剣をもらうという流れになっています。こちらは、ほとんどのプレイヤーは洞窟に入るとは思いますが、しかしそれを知らずに武器なしで遠くまで行くプレイヤーも少なからずいたと思います。その失敗を繰り返さなかったという点において、ゲームの始まり方ではこのゲームの方に軍配が上がると思います。
 あと、このようにゲームの始まりで行ける場所が制限されていて、その後少しずつ行ける場所が広がっていくという展開は、個人的にもかなり好きですね。ゲームの世界が少しずつ広がっていく感覚がとても好きなのです。


<後半の戦闘を面白くするためにプログラムのほとんどをやり直した>
 その序盤の改善と平行して行われたこととして、後半の戦闘の改善がありました。そして、こちらの方は、プログラムのほとんどをやり直す一大作業となるのです。

 テストプレイを繰り返していた時の感想として、「後半の戦闘が単調に感じる」という意見が、複数のスタッフから次々と出てくるようになります。具体的にはレベル15あたりからで、プレイヤーの方はいろいろな呪文が使えるのに、モンスターの方がアタック(通常攻撃)とホイミ・ギラ・炎を吐くのそれだけしか使わなかったのです。これは非常に深刻な問題でしたが、しかしそれを改善するとなると、後半のプログラムのほとんどをやり直すことになってしまう。もう開発も大詰めに入り、発売までの予定も決まっているその時期には、それを行うのは非常に難しい状況でした。

 しかし、結局のところ、そのプログラムのほとんどのやり直しを、プロデューサーの千田に提案することになります。千田は驚き、もうスケジュールを変えることは出来ないと強硬に主張しますが、そこで中村が「売る側の都合で遊んでくれる子供たちの期待を裏切るようなことはしたくない」と必死に訴え、ここで最高に盛り上がる人間ドラマが展開されることは、以前の記事で書いたとおりです。

 そして、その後一週間で本当にすべてをやり直すことになり、スタッフ一同文字通り死ぬ気になって作業に没頭。その必死の努力によって、ドラクエは今の形の面白いゲームとして完成することになるのです。
 考えてみてください。もしあのドラゴンクエストの後半の戦闘で、モンスターが本当に通常攻撃とホイミとギラと炎しか使ってこなかったらどうなっていたか。相当につまらないゲームになっていたことは確実でしょう。ラリホーで眠らされたり、マホトーンで呪文を封じられたり、べホイミで大回復されたりベギラマで一気に大ダメージを受けることもない。あの「悪魔の騎士」にラリホーで眠らされて一気に殴り殺されてしまう、あの苦い経験は多くのプレイヤーが体験したと思いますが(笑)、もしここで調整されていなければ、あの印象深いバトルもなかったわけです。発売直前に奮起して一週間でプログラムのほとんどをやり直したことは、このゲームにとって何よりも大きな大英断だったと思います。


「The Best Comic」にもどります
トップにもどります