<現実的な描写から見られる深いテーマ> ──「聖戦記エルナサーガ」──

2007・7・10

 この「聖戦記エルナサーガ」は、まず何よりも「ファンタジー作品」として見られることが多い作品です。色彩豊かで華麗なコミックスの表紙、「聖戦」「サーガ」といういかにもファンタジーを思わせるタイトル、勇者が巨大な魔物を倒すシーンで始まるオープニング、繊細で美しい作画レベル、中世の風俗をよくとらえた衣装や建築の描写、詠唱と魔法陣で構成される魔法シーンなど、いかにも王道ファンタジーを思わせる要素に満ちていて、まずファンタジーとして見る人が多いのも当然と言えます。とりわけ、作者の中性的な絵柄が、いかにも日本的な(RPG的な)ファンタジーのイメージを強く感じさせるもので、コミックスの表紙を一見しただけの人ならば、まずオーソドックスなファンタジーものだと見てしまうのではないでしょうか。

 しかし、実際には、このマンガは、そんなファンタジー要素だけが作品の中心をなしているわけではありません。もちろん、ファンタジー要素が強く採りいれられた作品ではありますが、それ以上に実は非常に苛烈で残酷な描写が多く、こちらの方にこそ作者が本当に伝えたいテーマがあるのではないかと思われます。王道ファンタジーという、一見して得られたイメージだけで、この作品を見るべきではないでしょう。


・実はひどく残酷なシーンが多い、という事実。
 これは、この「エルナサーガ」だけでなく、堤抄子作品全般に言えていることなのですが、実は極めて残酷な殺戮シーンが多いという特徴があります。しかし、一見して綺麗で、かつ中性的で穏やかな筆致の絵柄なので、それに気づかないことが多いのです。また、作者の演出が巧みで、そういったシーンでも、露骨に残虐な描写をするのではなく、さりげなくオブラートに包んだようなぼかした描き方をしているためでもあります。例えば、このマンガでは、敵の首を刎ねるようなシーンが何度も登場しますが、その箇所を直接大写しにせず、あえてぼかした描き方で、首が落ちたことをさりげなく表現しています。これは、この作者独特の読者への優しい配慮だと思われますが、このような巧みな演出のため、一見して残酷には感じられないのです。

 しかし、そのような巧みな演出をもってしても、このマンガの残酷さを覆い隠すことは出来ません。実は、このマンガは、優れた英雄や戦士が活躍するだけの物語ではなく、 むしろ、それ以上に人間の醜さ、卑劣さの方がはるかに強く出ている作風なのです。とりわけ、権力を持った人間が繰り広げる卑劣な犯罪行為や、戦争において圧倒的な暴力で相手を殺戮する行為など、極めて悪質極まりない行為が数多く見られます。とりわけ、この堤さんの作品は権力者に注がれる目が非常に厳しく、この権力犯罪のあり方をつぶさに描く、その徹底さでは群を抜いています。
 このマンガの場合、特に前半の4巻〜7巻あたりの、ストーリー的にも最も盛り上がる箇所において、そのような残虐な描写がひどく目立ちます。巨大な竜に人を圧殺させたり喰わせたりするシーン、捕虜を地下に監禁して人体実験を繰り返すシーン、人へ精霊(ウイルス)を感染させる儀式で大量の殺戮を行うシーン、異形と化した人が人同士で喰らい合うシーン、異形の戦士が戦場で大量殺戮を行うシーンなど、など、など。このあたりのシーンは、どれひとつとっても非常にえげつないものがあります。
 個人的には、戦場の前線で、占領した兵士たちが村を襲って誘拐と殺戮を行うシーンが、もっとも衝撃的でした。子供をさらわれまいと抵抗する母親を、あっさりと兵士が殺してしまい、みせしめにさらに殺戮を重ねていこうとするシーン。これは、どんな時でも闘いを避けようとするエルナが、作中で唯一激怒するシーンなのですが、そのショッキングなシーンの執拗な描写には、思わず目を背けたくなるところがあります。

 また、そのような露骨に残酷なシーンではなくとも、権力を悪用して人々を苦しめるような、卑劣な行為もしっかりと描ききっています。中でも、戦争中の国の大臣が、軍の糧食という名目で、民衆から食料を巻き上げて外国に売りさばくシーンがあるのですが、これなどは本当に傑作で、華やかな戦争(「聖戦」)の裏で、極めて現実的で卑劣な犯罪行為が行われていることを、露骨に示しています。単に戦争の残酷さを描くマンガはいくらでもありますが、ここまで戦争の裏の実情まで丹念に描いた作品は、そう多くはないでしょう。

 (参考)暗いニュースリンク・2005年7月7日付け英ガーディアン紙の記事

 それともうひとつ、ごく普通の庶民が、そのような権力に懐柔されて手先となって、あるいは自らが手に入れたなけなしの権力に酔って、非道を働いてしまうという描写も散見されます。このあたりの描写も非常に生々しく、このような権力の濫用という行為が、決して一部の人間だけの所業ではなく、誰もがそれを犯してしまう危険性をも示唆しているように見えます。

 また、世俗権力だけでなく、宗教権力の腐敗まで描いた点も見逃せません。ストーリーの中盤で、主人公エルナとシャールヴィが、戦争の仲介の助力を求めて、修道会の総本山である大聖堂に赴くシーンがあります。修道会とは、この物語で世界的な力を持つ宗教組織で、現実のローマ教会に相当する組織ですが、これが現実の教会同様に、その上層部は腐敗しきっており、ふたりは大いに落胆することになります。修道会の頂点に立つ法王も、自らが助かるために殺人さえ辞さないような人物と成り果てており、人々の心を救うはずの宗教組織もまた、権力の腐敗からは逃れることはできないという、ごく当たり前の事実を思い知らされます。


・大量破壊兵器と化したベルセルク。
 この作品では、「ベルセルク」という、人を精霊(ウイルス)に感染させて、人体改造を行った「ベルセルク」という異形の戦士が登場します。元々は、死刑になるような極悪人をベルセルクに改造し(これはこれでかなりの非道ですが)、戦場で騎士や兵士の補助戦力として使役する程度の存在だったのですが、物語の中盤で、人体実験によってさらに凶悪なベルセルクが誕生し、人間をはるかに超える巨大な体躯と、不死身とまで言える異常な再生能力を持った化け物にまで進化してしまいます。圧倒的な力で敵兵士を殺しまくり、感染したウイルスを撒き散らして味方にまで被害を及ぼし、最後には自壊して死に絶えるまで暴走をやめないという、もはや手の付けられないような存在になってしまい、これで戦場の様子は一変します。

 物語の序盤の戦争は、ここまでの圧倒的な破壊シーンはなく、時に強大な魔法が飛び交うシーンこそあるものの、どこかおおらかでのんびりしたところもありました。作中の騎士の言葉によれば、違う国の間の戦争でも、戦う騎士の間では一定の敬意が保たれていたと述べています。しかし、物語の中盤で、凶悪なベルセルクが誕生して戦場に投入されて以降、中世的な騎士たちによる戦争から、近代・現代的な戦争へと変貌してしまい、ベルセルクもまさに大量破壊殺戮兵器と化してしまったのです。このあたりの苛烈な(現代的な)戦争の描写にも、大いに見るべきものがあります。

 ちなみに、作者の堤さんは、ファンタジーだけでなくSF的な創作精神も併せ持つ人で、作品後期に見られるベルセルクの様々な形態の描写には、現代的・近未来的なフォルムを感じることもあります。


・戦争とは経済活動なのか。
 そして、そういった戦争の残酷さを正面から描く一方で、作者は、戦争の本質を別な側面から見ているようにも思われます。
 このマンガでは、戦争というものを、一種の経済活動とみなしているかのような発言が、そこかしこに見られます。これは、作中ではほぼ一貫して語られている作者の強固な主張で、実は作品のエンディングにまでこの思想が及んでおり、戦争は確かに終わったが、実は本質的な解決にはなっていないかのような微妙な終わり方をしています。

 まず、冒頭のシャールヴィ王子の顔見せ的な戦闘シーン。これは、大国間の小競り合いの様子を描いた話で、このような小競り合いが、実は日常茶飯事であることが記述されています。そして、そのような「恒常的な戦争」によって、ある種の生計を立てている人々、それが大勢いることが、のちに描かれるのです。
 それが、物語中盤における、兵士や盗賊たちのセリフに克明に表現されています。「戦争を止める」という行為は、まったくもって人道的な「正しい」行為のはずですが、それに反するような形で、「戦争によって生きている」人間たちの主張が立ちはだかることになります。これによって、戦争を止めるという正当なはずの行為が、現実ではそう簡単には実現できないものであることを、思い知らされることになります。

 そして、この「戦争=経済活動」という見方は、このマンガのエンディングにまで影響を与えています。戦争を止めるために最終的にエルナが選んだ行為。それによって、確かに戦争は終結しました。しかし、それはあくまで一時的なものでしかありません。一時的に、戦争の原因となる経済的な利益をすべて無価値化したために、たまたま戦争が止まっただけであって、「実は本質的には問題は解決していない」のです。そして、そのことを示唆するような、不穏な一節がエンディングに挿入されており、どこまでも華やかな美しいエンディングの影で、そこだけが一抹の不安を読者に与えています。


・これは環境破壊ではないのか。
 そしてもうひとつ、戦争に関して非常に面白い描写があります。このマンガの戦争では、王族たちの強大な魔法が飛び交うことが珍しくないのですが、そのような魔法を派手に使用することで、辺境で大きな被害が出ているのです。

 「エルナサーガ」の舞台となる世界は、「ギムレー」と呼ばれていますが、このギムレーは閉じた世界であり、一定の狭い地域でしか人々は生きていくことができません。その外側では、「魔風」と呼ばれる、魔力を帯びた人体を破壊する凶悪な風が吹き荒れ、かつ異形の魔物まで徘徊するなど、到底人が住めるような地域ではないのです。
 そして、戦争によって派手に魔法を使いまくることで、辺境に吹く「魔風」が活発化してしまい、辺境の今まで住んでいたところが住めなくなり、魔風に飲み込まれて命を落とすような人々まで出てくるような事態が、克明に描かれています。これは、一種の環境破壊ではないでしょうか。
 辺境に住む農民たちは、彼ら自身なんの罪もない、素朴に生きる人々です。そんな人々が、なぜ中央の戦争の影響を受けて、いわれのない被害を受けなければならないのか。力のあるものが、派手にエネルギーを使いまくる一方で、辺境でつつましく生きる人々の方が、なぜかその悪影響を露骨に受ける。これは、あまりにも現代的な環境破壊の姿であり、ファンタジー世界が舞台のマンガでありながら、そこには極めて現代的なテーマが内包されているように思えるのです。

 (参考)温暖化は人権侵害─イヌイットの訴え


・これはどう見ても「聖戦」ではない。
 このマンガは、ファンタジー要素が強く出たきれいな絵柄や、「聖戦」「サーガ」というタイトルから、華やかな王道ファンタジーのイメージが、どうしても最初に思い浮かんでしまいます。それは、確かにこのマンガの一面でもあるのですが、しかし、かならずしもそれだけの作品ではありません。むしろ、それとは正反対の描写の方が強く出ており、そちらの方が作品の本質だと思われるのです。

 まず、「聖戦(聖戦記)」というタイトルだけならば、どうしても華やかなイメージの戦いを思い浮かべてしまいます。王族や騎士たちによる高潔な戦い、いわゆる王朝絵巻のようなイメージで、ゲームで言えば、この「聖戦」というサブタイトルの作品まである「ファイアーエムブレム」のような印象が、どうしても浮かんでしまいます。

 しかし、実際にこの作品で描かれている「聖戦」は、そのようなものではありません。主人公のエルナの高潔な生き方をもって、それだけは「聖戦」だと見ることも出来ますが、物語の大半で語られる戦争に関しては、決してそのような内容ではありません。実際には、騎士の戦いが過去のものになるような悲惨な大量破壊に満ち、裏では戦争にかこつけた不正が横行し、しかも戦争自体も経済的な利益というあまりにも卑俗な目的で行われ、さらには戦争が環境破壊まで引き起こしているという、そのような側面ばかりが強く描写されているのです。はっきりいって、この「聖戦」というタイトル自体が、作者による大いなる皮肉にすら思えますし、実際には「聖戦」とは名ばかりの、現実の戦争の持つ生々しい実情が、徹底的に描写されているのです。

 そして、これは、このマンガが最も誤解されている部分でもあります。ファンタジーのイメージを全面に押し出した綺麗なビジュアルや、「聖戦」「サーガ」という高潔な響きを持つタイトルから、王道ファンタジーという側面ばかりが強調され、そういった観点でしか紹介されないケースが非常に多いのです。特に、未読の人の間は、このマンガは「ファンタジーの傑作」として知られているばかりで、その本質はあまり知られていないように感じます。しかし、実際には、このマンガは、非常に現実的な戦争の姿、非道なる人間の醜さを描き切っており、それこそがこの作品の本質だと思われるのです。タイトルやビジュアル的なイメージから来る印象だけで、このマンガを安易に評価すべきではないと考えます。


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