<忘却のクレイドル>

2010・2・16

 「忘却のクレイドル」は、マッグガーデンが2008年12月に出した新雑誌「コミックブレイドブラウニー」で開始された連載で、当初はこの雑誌の看板的な扱いの作品として始まりました。作者は藤野もやむで、この「忘却のクレイドル」が、マッグガーデンでの久々の本格連載として、大いに注目を集めました。さらに、同時に「いま、殴りにゆきます」という連載も開始しており、同じ雑誌でふたつの新連載を開始するという、作者の活躍が顕著な創刊号の姿が見られました。

 しかし、この「コミックブレイドブラウニー」、季刊として始まり次号は4月に刊行予定だったものの、その発売を前にしていきなり無期延期となり、そのまままったく発刊されなくなってしまいました。これは、実質的な「休刊」と言えるものであり、この「忘却のクレイドル」を含め、すべての連載作品がいきなり休止されるという、極めて残念な事態となってしまいました。この「コミックブレイドブラウニー」、他にもマッグガーデンで活動を休止中だった作家が何人も復帰し、さらには活きのいい新人による新連載も見られるなど、期待させる要素が非常に大きかっただけに、創刊号を購入した読者の落胆の色は隠しきれませんでした。

 その後、ごく一部の連載のみが、マッグガーデンのほかの雑誌へと移籍して連載を再開することになり、この「忘却のクレイドル」も、「月刊コミックブレイドアヴァルス」へと移籍されて再開される運びとなりました。ブラウニーの創刊号が発売されてから、半年以上経過した2009年7月号から辛くも再開となりました。再開できたこと自体は、大いに喜ぶべきことではありましたが、しかしこのアヴァルスという雑誌、女性向けの要素が非常に色濃い雑誌であり、もともとの連載先であったブラウニーとは随分とかけ離れた雰囲気で、ブラウニーでは看板的な扱いだった本作は、アヴァルスではあまり目立たないものになってしまいました。もしそのままブラウニーが刊行されていれば、もっと違って大きな扱いになっていたと思うと、やはり残念な感は否めないところです。

 連載自体は、その後は毎月堅調に進み、ブラウニーの創刊から1年以上が過ぎた2010年2月、ここにようやくコミックスが1・2巻同時という形で発売されました。紆余曲折あった上での1・2巻同時発売。これも、ブラウニーがもしそのまま刊行されていれば、まったく違った展開になっていたでしょう。しかし、ここで改めて1・2巻のストーリーをまとめて読めば、やはり非常に優れた作品となっており、そんな作品のコミックスが無事発売されたことをうれしく思いました。


・シビアな状況の下で、揺れ動く少年たちの心の機微を描く。
 藤野さんは、そのかわいらしい絵柄、キャラクターとは対照的な、シビアで暗いストーリー、テーマの作品をいくつも手がけてきました。しかし、この「忘却のクレイドル」は、それらに増して厳しいものがあるかもしれません。

 15歳以上の少年少女に、「義務教育」の一環として、半年の訓練(戦闘訓練)が課された国家(日本の近未来がモチーフだと思えますが、具体的な国名や地域は明示されていません。)。そんな国に対して、周辺各国から「徴兵制の復活」だとして厳しい抗議が浴びせられている状況の中、新たに半年の訓練を受け始めたばかりの少年たちが、今回の主役です。

 その訓練は、いつも通う学校からは離れた島に半年ほど隔離され、毎日厳しい教官の下で戦闘訓練と検査に明け暮れるというもの。普段とは異なる厳しい生活に、少年たちの間では多少の軋轢こそあれ、その多くが「半年の訓練を終えれば元の生活に戻れる」「周辺の国との関係が騒がしいが、まさか戦争が起こって駆り出されることはないだろう」と、まだ楽観的な思いで日々を過ごしています。しかし、主人公のカヅキに対して、彼と同室で親しい関係のサイは、「この訓練はあまりにもぬるすぎる」と感じていることを語ります。おそらくは他の施設の方がもっと厳しい訓練を受けているはず。その上ここではなぜか色々な検査が多く、立ち入り禁止の区域も多すぎる、と。カヅキも、そう言われて不穏な空気を感じるようになり、以後微妙な不安を抱えるようになります。

 このような不安定な状況において、これまでの日常とは異なる場所で日々を送る少年たちの、その心の機微がよく描けています。そもそも、この15歳前後の年齢は、若い頃でも精神的に最も不安定な時代でしょう。そんな時に、ひょっとしたら戦争が起こるかもしれないという、漠然とした不安を抱えた社会状況と、そして孤立した島内での訓練というまだ慣れない生活。そんな不安な状況に置かれた少年たちは、やはり今までと同じではいられません。

 主人公のカヅキは、おとなしく気弱で平凡な少年。訓練の成績もいいとはいえず、同級生のマユムからは、いじめとまでは言わないものの日々軽くバカにされるような扱いを受けています。そんなカヅキをことあるごとに助け、訓練でも抜群の成績を上げて周囲から一目置かれているのが、トウジとサイの2人の優等生で、カヅキはこのふたりに憧れに近い感情を抱いています。特に、サイは、カヅキと同室で毎日親しくしている間柄。逆に、マユムは、典型的な悪ガキとして描かれていますが、優等生とトウジとサイがあまり気に入らず、サイを陥れようとして持ち物を物色している最中、風俗のチラシを見つけてしまいます。それを教官に告発することでサイは懲罰を受けることになりましたが、実はそのチラシに描かれていたのはサイの母親でした。普段快活なサイは、この時だけはひどく動揺し、必死になってその紙切れを取り戻そうとします。

 このような生徒間同士の関係、普段の日常から離れた訓練での集団生活の中、その間に流れる少年たちの細かな感情の動きが見逃せません。決して優れた成果を見せられないカヅキが抱く優等生への憧れ、それは悪童であるマユムの方にも共通しています。普段は笑って訓練をこなす優等生のサイも、そこから一歩離れれば実は不安な実情を抱えています。そしてそれが時に喧嘩等の軋轢となって表面に現れる。そんな少年たち特有の心理がよく描けているのです。


・突然の異変と、次々と謎が提示されるストーリー展開に惹かれる。
 しかし、そんな不穏ながらもなんとなく倦怠にも満ちた、ある種穏やかとすら言える訓練の生活は、ある一夜を境に一変します。
 その夜、サイと談笑して床に就いたカヅキが、不穏な夢を見て思わず驚いて目を覚ますと・・・その世界は変わり果てていました。自分の周りにはいるはずの生徒はひとりもおらず、外に出て見渡すと建物は一面の廃墟と化しています。ようやくサイとだけは出会うことが出来ましたが、優等生の彼にもこの状況は何も分かりません。そして、そんな中で出会ったのが、見知らぬ小さな女の子と一匹の猫。女の子は言葉がしゃべれず、地面に字を書いて筆談することになります。彼女の名前はヒカリ、猫の名前はあぷといい、この島に来て5日目にして初めて人に会ったと伝えてきます。しかも、女の子にどうして島に来たのかと聞くと、「(戦争に)負けた」と返答されます。

 ここにきて、真に穏やかならぬものを察したふたりは、ヒカリとあぷを連れて島内を探索することに。ヒカリが持っていた虫よけスプレーの使用期限が30年後になっていること、島内の建物の荒れ方などから察して、「もしかしたらずっと後の時代まで眠り続けてしまったのか」との疑念が持ち上がりますが、あまりの非現実的なその推測を、カヅキはどうしても受け入れることができません。
 さらには、ここで再開したトウジが大怪我を負っていたにもかかわらず、その傷が非常な短時間で回復したこと、怪我をしたサイもまたすぐに傷がふさがったこと、そしてカヅキもまた小さな切り傷がたちどころにふさがり、高台から大転落しても平然と生きていたことなどから、自分たちが不死身に近い異様な身体能力を身に着けていることを思い知らされます。そして、マユムの弁によれば、他の生徒の多くは校内でミイラになって死んでいることも知り、「自分たちだけがこうして生きているのは、こんな能力を得てしまったからではないか」と推測するようになります。
 そしてついには、トウジが、「この島を脱出して本土に行こう」と提案。しかし、本土に行けばこの謎が判明するのか、そもそもこの島を脱出できるのか。

 このように、少年たちが突然放り込まれた異変と、そこから置かれた状況が少しずつ判明していくストーリー展開には、ひどく惹きつけられるものがあります。少年たちの姿たちだけでなく、時たま姿が見られるこの島の管理者らしき者たちの姿、そんな管理者を追いかける少女、さらにはトウジを襲って致命傷を負わせた謎の少年の存在・・・。一種のけだるさをも感じた訓練の日々から一変、この異変に満ちた世界の姿と緊迫したストーリーは見逃せません。


・秩序を失った世界での少年たちの危うい関係。
 そんなストーリーに加えて、この廃墟と化した孤島で生き残った少年たち、彼らの関係も見逃せません。
 教官もいなくなり、残っているのは一部の生徒のみ、そんな中で元々不安定な関係にあった彼らは、本来ならば助け合うべき環境にありながら、時にいさかいの感情を収めることができなくなります。
 最初に暴走したのがやはり悪童のマユムで、反目していたサイをおびきよせるためにカヅキを棒で滅多打ちにして倒すという純然たる暴力を働きます。それに対してサイもまた 、目の前でカヅキが倒れていることに腹を立てたのか、あるいは風俗のチラシで母を冒涜されたはらいせなのか、一体どうしてなのかは判然としないものの、マユムに対して徹底的な暴力で応戦、階段の下に突き落としてしまいます。
 彼らは、やがてはその反目をなんとかおさめて、特にリーダー役であるトウジの働きでなんとかまとまるのですが、今度は彼らの元に謎の少女が鉄パイプで襲ってきたり、さらにはトウジにひどい傷を負わせた謎の少年が怪しい動きを見せたりと、油断できない緊張の日々が続くことになります。

 少年同士がこういった閉鎖的な環境に閉じ込められ、一致協力して困難を乗り越えていく物語として、あの「十五少年漂流記」があります。また、それとは正反対に、孤島に閉じ込められた少年たちが反目しあって致命的な対立となり、悲惨な状況に陥る話として「蝿の王」という、こちらも文学作品の名作があります。そしてこの「忘却のクレイドル」の場合、このふたつの作品のちょうど中間あたりの関係に落ち着いているように見えます。決定的にひどい状況には陥らず、時に反目の感情をはらみつつも、ギリギリのところでなんとかまとまってやっていく。そのなんとも危うい少年たちの関係が、実によく描かれています。

 その危うい関係の中心的な人物だと思われるのが、おそらくはサイです。同じ優等生でも、トウジの方が、厳しい堅物ながらもいざという時には本当に頼りになる、信頼できるリーダー的な存在として描かれ、あるいは気弱な主人公のカヅキも、少年たちの間をなんとかうまくとりまとめる潤滑油的な調整役になっているように見えます。悪童であるマユムですら、一度まとまってからは、リーダーであったトウジに対する憧れも強く持つ純粋さを見せるようになります。
 それに対して、このサイというキャラクターは、いつも快活に笑っている明るい少年に見えて、同時にその言動にどこかつかみどころがなく、人を不安にさせるところがあります。カヅキをたじろがせるような危うい思想を語り、マユムが先に手を出したとはいえ平然と暴力をふるい、それを制裁とまで言い切る。しかし普段はどこか飄然としていて何を考えているのか判然としない。おそらくは、このサイこそが、今後の少年たちの運命を握っているような気がします。


・内容だけでなく、絵のレベルも非常に高くなった。
 このように、重苦しい設定とストーリーながら、その中で生きる少年たちの姿をよく描き切っている本作ですが、同時に作画の方も非常に優れています。かつての藤野さんと比べて、さらに一回りレベルアップしたのではないでしょうか。

 とにかく、絵のタッチが非常に落ち着いて安定したものとなりました。キャラクターたちのタッチが落ち着いたものに変わったことで、その内面の心理がさらににじみ出るようになりました。その微細な心理を推し量る表情、視線の描き方も見逃せません。基本的な絵柄は変わらないものの、さらにキャラクターの存在感と内面の奥深さが感じられる絵に進化していると感じます。

 このような変化は、藤野さんがマッグガーデンに来てから次第に見られるようになったもので、特に2つの長期連載となった「賢者の長き不在」と「はこぶね白書」を執筆するうちに、どんどん顕著になっていきました。そして、この「忘却のクレイドル」で、ほぼ完成した感もあります。

 思えば、かつてエニックスでデビューした時の第一作「まいんどりーむ」は、かわいい絵柄が大変好印象であったものの、絵柄にはまだ既存作家の影響が垣間見え、まだ仕上がりにおいても雑な面が感じられました。これが、次作「ナイトメア・チルドレン」では、一気に絵のレベルが上がり、既存作家の影響はほぼなくなり、独特の中性的な絵柄がほぼひとつの形となりました。
 しかし、その後も進化は続き、マッグガーデンに移ってからは、より落ち着いたタッチの作画へと変化していき、キャラクターの内面がさらによく見えるようになったと思うのです。特に、「はこぶね白書」や、それと同時期に描かれた短編(「あの日見た桜」のリメイク作品など)で、それがこの藤野さんのもうひとつの形となり、そしてこの「忘却のクレイドル」で完成した。この絵の完成度あるからこそ、ここまで重い設定とストーリーがより映えるようになったと思うのです。

 さらには、今回の作品では、背景の描写も非常に雰囲気があります。コミックスの後書きによると、これにはアシスタントさんによる奮闘も大きいらしいのですが、廃墟と化した孤島の施設、その現実離れした異様な世界、それも本当によく描けているのです。


・雑誌の実質休刊というアクシデントに見舞われながら、それでも素晴らしい作品に仕上がっている。
 このように、内容と作画と双方において今回の作品の完成度は非常に高く、これまでの藤野さんの作品と比べても、さらに優れた作品になっているのではないかと思います。シビアで決して明るくはない、むしろ絶望的な設定の作品ながら、それでも葛藤する少年たちの姿と謎に満ちたストーリーにぐいぐいと引き込まれる面白さがあります。実は、今までの作品も、シビアで暗い話は非常に多かったのですが、今回は以前にも増してシリアスでリアルさも感じる世界観で、ぐっと重厚感・読み応えも増したような気もします。この作品で、さらに一皮向けたのではないでしょうか。

 また、今回は以前より少年キャラクターが強く全面に出ている点にも注目です。女の子が主人公だった「ナイトメア・チルドレン」や「はこぶね白書」とはまた違った切り口です。いや、「はこぶね白書」も、実際には男子生徒に大きくスポットが当たる部分も大きかったのですが、今回はそちらの要素が中心になっていると見てよいかもしれません。作者も後書きで少し語っているように、女の子の出番がやや少ないのはちと残念かもしれませんが(いないわけではなく、ちゃんと重要な役どころとして登場します)、その分少年の心理を鋭く描く硬派な作品になったような気がします。

 それにしても、雑誌の休刊で開始直後に中断というアクシデントに見舞われながら、それでも再開後にここまでいい作品に仕上げてくるとは、これは本当に嬉しい成果だと言えるでしょう。ほかの連載のほとんどは再開されず、再開された一部の作品も早めに終わってしまったり、いまひとつ印象が薄いままで推移している中で、これは本当にいい結果を残しています。

 とはいえ、以前の作品に比べれば、作品への注目度がかなり低いと感じることだけは、少々気がかりです。ようやくコミックスが1・2巻同時発売されたものの、もともとの雑誌が休刊してしまった上でのこの時期になっての発売で、注目している読者は少なくなってしまったと思います。わたしの見る限りでは、どこの書店でもおしなべて入荷数は少なめで、まったく見かけないところも数多くありました。以前の「はこぶね白書」も思ったほどには高い人気を得られなかったようですが、今回はさらに厳しいような気がします。以前より硬派で人気が出にくい作品になっているのかもしれませんが、しかしこれだけよく出来た内容であり、もっと幅広く注目されて読まれてほしいと思います。


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