<Dear Emily...>

2011・4・30

 「Dear Emily...」は、ComicREXで創刊号の2006年1月号から9月号まで連載された作品ですが、その後連載中断となり、今に至るまで再開されていません。REXの初期においては、編集部にもかなり推されていた人気作品で、読者プレゼントなどもあったのですが、コミックスの1巻の発売と前後して掲載がなくなり、そのまま二度と再開されなくなってしまいました。REX初期の作品の中でも、相当な良作だと思われただけに、この中断はいたく残念でありました。

 その内容は、近世ヨーロッパ的世界を舞台にして、とあるお屋敷で働くメイドさんたちの姿、とりわけ遠くの町からやってきた新人のメイド・エミリーの奮闘ぶりを描く作品になっています。いわゆるメイドもののマンガのひとつとも言えますが、萌え要素を全面に押し出したものではなく、落ち着いた雰囲気や読ませるストーリーを特徴としており、ずっと真面目な作風となっていました。また、作画が非常に凝ったものとなっていて、その点でも大きく評価できます。

 作者は湖澄遊智。元々はイラストレーターとして活躍していた作家らしく、ライトノベルの「頭蓋骨のホーリーグレイル」「ワーズ・ワースの放課後」などの挿絵を担当していました。そして、この「Dear Emily...」が作者のマンガデビュー作となったようです。ライトノベル時代のイラストのファンからの、この作品の登場を喜ぶ声を、当時のネットでいくつか目にした記憶があります。ライトノベルのイラストも繊細で独特の感性を有していたため、その当時から熱心な固定のファン層が存在していました。

 また、このマンガは、REXで連載される以前に、コミックZERO-SUM増刊のWARDで読み切りが掲載されたことがあり、これが非常によく出来た一作となっていました。こちらは、本編の主人公・エミリーよりも、むしろ彼女が仕えるお嬢様・美沙璃のストーリーとなっており、こちらも実に読ませるものとなっています。これを元に、エミリーを主役にして再構成したのが、REXの連載だと言えるでしょう。なお、この読み切りは、本編の1エピソードとして、コミックス1巻の中ほどに収録されており、以前に描かれた読み切りが連載の途中に挿入されるという、ちょっと珍しい形式となっています。


・主人公エミリーと周囲の善き人々の姿を描く。
 このマンガの主人公エミリーは、遠くの町の施設で育ち、16歳になって紹介された初めての職として、コーレスタンという邸のお嬢様に仕えるメイドとして派遣されてきます。エミリーは、明るく天真爛漫で、どこか抜けた天然なところもありますが、施設の子供たちにはその性格で慕われ、周囲への気配りに満ちて、そして丁寧な手紙を書くなど、しっかりしたところもある主人公として描かれています。そして、そんな彼女に接する周囲の人々も、みんないい人ばかりで、そんな彼らの心優しい交流を描く物語となっています。

 第1話では、エミリーが施設からコーレスタン邸のある街までの列車に乗っていくのですが、そこで彼女ははつらそうな老人に席を譲ろうとします。しかし、頑固な老人は、それをかたくなに拒否して謝ろうともしません。一緒に仲良く話をしていた老婆は、その態度に怒り、険悪な雰囲気となってエミリーは「自分のおせっかいは間違っていたのではないか」と残念がります。しかし、実はその老人は、かつての戦争で足は義足となっており、一駅立っているのもつらい状態でした。あとでこっそりとそれを教えてくれた老人に、「間違ってはいない」と諭され、エミリーは気を取り直し、さらにこの先どんな出会いが待っているのか楽しみに旅を続けることになるのです。この第1話のエピソードこそが、このマンガの善き人物、心温まるストーリーを象徴していると言えるでしょう。

 街に着いてからも、そこでもやはりいい人に出会って屋敷への道中も軽くなります。コーレスタン邸に到着すると、そこでは、施設での先輩で先にこちらで働いていたビアンカ先輩と再会し、さらにはこの屋敷のお嬢様の美沙璃、その祖母とも出会い、みなが快く迎えてくれます。(美沙璃とは、この屋敷に来る途中で公園でバイオリンを弾いている時に会っており、これがのちの物語(読み切りでのエピソード)への伏線になります。)
 唯一、ロゼッタ(ロゼ)と言う監督役のメイドが、仕事には非常に厳しい性格で、エミリーにも仕事では厳しく接することになりますが、それでも決して愛がないというわけではなく、厳しいながらもしっかりとエミリーを見守り、監督役としての責任感にも満ちた、よく出来た人物として描かれています。

 エミリー自身も、天然な性格で仕事では失敗が多いものの、それでも前向きに日々奮闘し、かつ壊してしまった壺を一生をかけても償おうとする誠実さも見せ、これには厳しいロゼッタまでもが心を動かされることになります。エミリーは、新人で失敗も多いとはいえ、決してダメなばかりのメイドとしては描かれていません。むしろ、明るい前向きさと誠実さを併せ持ち、周囲をいい方向へと感化する善き人物となっています。


・美沙璃の苦悩と成長を描く読み切りエピソードが秀逸。
 そしてもうひとつ、この「Dear Emily...」、連載前の読み切りで描かれたエピソードが秀逸です。連載では第4話として挿入されているこの話、先ほど述べたとおり、エミリーが仕える美沙璃中心のストーリーとなっており、元が読み切りだけあって、連載からこれだけ取り出しても独立して読めるものとなっています。

 美沙璃は、ヴァイオリンを専攻する音大生でしたが、ある時を境に自分の演奏に壁を感じ、大学での勉強にも疑問を抱くようになり、苦悩のあまり学校にも行かなくなる日々が続いています。大学の教授である父親ともそのことで話し合い、なぜそうなったのか、何を悩んでいるのかと効かれ、「大学で学ぶ音楽が理想の音楽とは思えない」「かつて亡くなった母は、学はなかったが本当にピュアで暖かみのある演奏をしていて、わたしはそれを理想としたい」と打ち明けます。しかし、父親からはそれをよしとされず、「お前は目の前の学問から逃げているだけだ」と言われ、さらに苦悩は深くなってしまいます。

 そんな時に、彼女に立ち直るきっかけを与えたのが、エミリーでした。悩む美沙璃が公園でヴァイオリンを弾いていたところにたまたま出くわしたエミリーは、その演奏を聴くうちに、自分でも知らぬうちに涙を流してしまいます。なぜ涙を流したのかと美沙璃は問いますが、エミリーははっきりとは理由を答えられません。ただそう感じてしまったのだと。

 そんなエミリーと何度も一緒に付き合ううちに、彼女が感じたものをそのまま隠せない娘であることを知ります。つまり、美沙璃がヴァイオリンを弾きつつ心の底で抱いていた不安、苦しみを、彼女はそのまま感じてしまったのだと。このことで、美沙璃は、やはり自分が未熟で不安から逃げ出したかったのだと悟り、やっと自分に素直になって、今度こそ新しい気持ちで演奏を始めることになります。この時演奏していた曲に、美沙璃が即興で付けた名前が「Dear Emily..」。これが、そのまま作品のタイトルになりました。最後に、美沙璃の母親の演奏は、まるでエミリーのように暖かだったとの回想が入り、この珠玉のエピソードは終わっています。


・街の人、そして猫!との暖かい交流で締めくくる。
 その後のエピソードでは、美沙璃から手紙を出すように言付かったエミリーが、街へと出かける話があります。この話でも、これまで以上に人々の優しさに触れることの出来るのですが、あるいは人だけでなく、街の猫との暖かい交流の話ともなっていて、これが本当に素晴らしい。

 エミリーへと手紙を言付けた美沙璃でしたが、エミリーが方向音痴だと知り、果たして手紙が無事出されるのか不安になってしまいます。そこで、エミリーを探してきてほしいとロゼに頼もうとするのですが、ここできつくたしなめられます。彼女に頼んだのだから信じるべきであると。むしろここでエミリーを探しに行かせるのは偽善ではないかと。

 そんな頃、エミリーは、手紙を落としたのを白猫に呼び止められて事無きを得ます。そう、エミリーは、時に猫と話せることがあるのです。そのおかげで首尾よく手紙を出すことができたエミリーは、先ほどの猫にお礼を言おうを考えますが、あちこち探しているうちに、今度こそ道に迷ってしまいます。そんな時、今度は自分と話せる黒猫と出会った彼女は、その猫に突然頼みごとをされます。家と家の間の隙間に猫の親子が落ちて挟まれてしまい、出られなくなってしまったと。

 これを聞いてエミリーは、なんとかしようと隙間に手を差し伸べますが、どうにもなりません。しかし、そんなエミリーの様子を見て街の人々がたくさん集まってきます。彼女から猫の親子がピンチだという話を聞くと、町の人みんなが一斉に協力し始め、家の壁を壊して助けようとします。そう、この街の住人たちは、みんな猫が大好きで、野良猫たちをみんな家族のように大切にしていたのです。「壁なんかまた作り直せばいい」と快く店の主人はハンマーを振るい、周囲の人々もみな協力します。最後にエミリーが壊した壁の隙間から手を差し伸べ、ついに猫の親子を助け出すことに成功するのです。その猫は、さきほど手紙を落としたのを教えてくれたあの猫とその子供でした・・・。このエピソードもまた秀逸で、猫たちをこよなく愛する優しく暖かい街の人々の姿に、大きな感動を覚えてしまいました。

 最後に、美沙璃がエミリーの元にやってきて、自分が手紙を不安に思ってエミリーを信頼できなかったことを泣いて詫びます。自分がきらいであるという美沙璃に対して、エミリーはそんなことはないと言い、黙っているのに耐えられなくなったから自分を追いかけてきたのではないか、その優しさは偽善ではないとなぐさめます。美沙璃も自分自身を信じると決意し、この一件で、また二人は一歩成長することになります。この話も、読み切りのエピソード同様に、美沙璃の視点にも大きくシフトし、エミリーと美沙璃とその双方を描く物語となっています。


・この絵柄はみとれるほど素晴らしい。
 このように、ひとつひとつ秀逸なエピソードで構成されたストーリーも申し分ないのですが、それと同じく、このマンガは作画も本当に素晴らしい。実に特徴的な作画で、読んでみると誰もがこれはと思うような独特の見た目の作品になっています。

 まるで、鉛筆画の素描をそのまま絵にしたような繊細な作画で、その優しく儚いタッチに見入ってしまいます。この筆致は本当に洗練されていて、深みのある人物描写に思わず見入ってしまいます。特に年配のおじいさんやおばあさん、壮年のおじさんおばさんの描写が素晴らしく、まるで肖像画のようにも感じられ、彫りの深い顔からその人の内面が本当によく見えるかのようです。もちろんエミリーや美沙璃を始めとする若い女性、あるいは小さな子供たちの姿も、誰もがかわいく美しく描かれています。

 背景の描写もそつなく描かれていて、淡いタッチで描かれた家々、街並み、自然の描写がとても心地よい。なんというか、心地よい風がそこを通り抜けているような優しく心地よい雰囲気。決して凝った描き込みではなく、白い画面も多数残っている素朴な作風なのですが、それでもまったく過不足なく美しい情景をよく表しています。この作画は、見れば見るほどその美しさが分かります。

 このような作画は、ライトノベルをイラストを手がけていた時代からその端緒が見られたようで、以前から熱心なファンが多かったのもよくわかります。しかし、作者初のマンガ作品ですなわちマンガデビュー作において、いきなりこのようなハイレベルな作画を実現するとは、想像以上にその実力は高かったようです。これほどの優秀な作家をいきなり抜擢出来て、これはREXを長く支える存在になると思っていたのですが・・・。


・しかし、唐突に連載は中断され、忘れ去られた作品となった。
 しかし、コミックス1巻が発売される頃までは、毎月コンスタントに連載されていたのですが、その後突然連載が途絶え、ずっと長らく休載状態となり、ついに再開されることはありませんでした。後から思えば、コミックス1巻の発売だけで終わってしまったようにも見え、これは本当に残念に思いました。今でも一応長期休載の扱いになっているとは思いますが、再開の可能性は限りなく低いと言えるでしょう。連載中は、REXの中でも看板に近いクラスの作品であったことは間違いなく、複製原画の応募者全員サービスまで行われていましたが(今でもわたしはそれを持っています)、そんな貴重な連載が、まさかいきなり途絶えることになるとは思いませんでした。

 中断の理由は本当によく分からないのですが、この期を境に、作者の湖澄遊智さんの活動自体が途絶え、サイトの更新もされなくなりやがて消えてしまったことを考えると、何か作者の側でやむにやまれぬ事情があったのかもしれません。マンガやイラストの作風や、サイトでの活動ぶりから推測するに、繊細な性格の持ち主ではなかったかと思えるのですが、繊細すぎて何かトラブルを抱えると立ち直りが難しかったのかもしれません。今となっては、作品はおろか作者の存在もほとんど忘れ去られたようで、インターネットで検索しても、ほとんどめぼしい情報も近況も出てきません。

 しかし、これほどの優秀な連載が、何の前触れもなく途絶えてしまうというのは、本当に惜しいものがありました。特に、REX初期の頃は、玉石混交の状態で、あまり質が安定しているとは言い難い誌面でもあったので、その中でこの良作の存在は貴重でした。のちに、次第にREXは質を高め、雑誌として軌道に乗っていくのですが、その頃にはもうこのマンガは無くなっていた。もし、このマンガがREX全盛期の頃にまで残っていれば、さらにいい雑誌になっていたのではないか。そう考えると実に惜しい。

 さらに、今のREXは、2010年のリニューアル前後から質が大きく低下したようで、萌え系に寄りすぎた方向性が疑問で、かつ連載のラインナップも安定しておらず、雑誌に陰りが出てきたように感じます。今の誌面では、おそらくはこの「Dear Emily...」が戻ってきたとしても、掲載される余地はもうないのではなかろうか。作者自体ももう行方が知れず、さらに雑誌自体も大きく変わってしまって、今となっては復活・再開はほとんどないと思わざるを得ないのが悲しいところです。


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