<エスペリダス・オード>(後編)

2008・6・19

*前編はこちらです。

・エルハイアの驚くべき人心掌握能力。
 さて、アルドの下を去ったエルハイアの方はどうなったのか。アルドは死んだと思っていたようですが、彼はなんとか生き延びていました。しかも、アルドがいまだ未熟な子供の姿が残っているのに対して、エルハイアは今では立派な青年へと成長していました。彼は、各地で息を潜めて生きるアリアの同志を集めて、人間たちから同胞すべてを解放するため、ついに人間に対して宣戦布告します。

 彼は、剣を取っても卓越した武勇を発揮しますが、それ以上に見るべきは、彼の持つ強力な人心掌握能力です。彼の言葉は、自らの感情を周りの者に直接伝えるかのような、強烈な共感能力を持っていました。それは、勇者によって傷付けられ、息も絶え絶えでエルハイアの元にたどり着いた兵士への温かい言葉や、あるいは戦闘時に兵士たちの心に響き渡る力強い掛け声によく表れています。

 彼は、その抜群の能力をもって、行く先々でアリアの人々を次々と仲間に引き入れていきます。そして、最初のうちは僅か数十名の集団に過ぎなかった彼の軍勢は、瞬く間に強大な勢力となり、一気に人間の世界を脅かしていくのです。

 そんな彼の能力を象徴するエピソードが、ハウト伯の城下で奴隷兵とその家族として暮らしている、数千人ものアリアたちを仲間に引き入れるシーンです。彼らは、戦いでは最前線に立たされ、農民の反乱の鎮圧をまかされたりと汚れ役として扱われ、しかも城の便所の下という城下でも最悪の場所に大勢で詰め込まれて住まわされています。

 そのような悲惨な境遇にあるアリアの人々のもとに、エルハイアとその部下たちが、今こそ我らの下に集って人間たちと戦おう、と呼びかけにきます。この悲惨な状態から自由になれると説得すれば、誰もが協力してくれると思われましたが、意外にも誰も賛同しようとしませんでした。「ここよりも外の方がまだひどい」「ここが一番ましだった」「ここならむやみに殺されることもないし、とりあえず食っていける」「人間と戦っても勝てない」など、みなが今の現状を受け入れ、もはやひどい境遇に慣れてしまっており、誰も腰を上げようとしません。まるで、ゲーム「タクティクスオウガ」の有名なエピソードを彷彿とさせるような一場面ですが、ここでエルハイアが優れた説得を見せます。

 彼は、まず自分が王であるとは名乗らず、ごく普通の一青年として語りかけ、みなにどこから来たのかと問いかけます。そして、わたしはその場所を全部回ったことがあるといい、各地で何度も苦労してきた身の上話を聞かせていきます。こうして、アリアなら誰もが体験した話を聞かせるうちに、みなの心も打ち解けていきます。

 そして最後に、行く先々で人間の迫害を受け、最後には保護者だった爺さんが死んでしまう間際に、自分が王であることを知らされた話をします。ここで、初めて自分が王であることを名乗り、実は騎士だった爺さんの遺言をみなに聞かせます。「王としてアリアのために戦ってください」という遺言・・・それをみなに聞かせ、そして「君たちは自由になるべきだ」「あなたたちのためにわたしは来た」と高らかに宣言し、みなの決起をうながすのです。この説得は見事に功を奏し、一夜にして数千人の仲間を解放することに成功するのです。

 このエルハイアの巧みな人心掌握術は、敵側である人間たちに対しても存分に発揮されます。人間の村を襲撃した際に、まず三分の一の人間を殺した上で、残りのものを集め、その中の村の代表者(村長)に対して「我らに従えば残りのものの命は助けよう」と問いかけます。村長が答えに躊躇すると、問答無用で斬り殺し、今度は二番目の有力者に同じ問いかけをします。彼もまた躊躇したので殺し、今度は三番目の有力者に同じ問いかけをします。今度は賛同の答えを引き出し、これで他の村の者まで喜ばせることに成功するのです。
 そうして恐怖で村の人々を支配するその一方で、わずかばかりの恩恵の品をも与え、協力したものには多めに与えるようにも促します。こうして、巧みに人間の村を支配することに成功していくのです。

 このように、味方に対しては進んで決起をうながし、敵に対しては強く協力を取り付ける、エルハイアの巧みな人心掌握術には見るべきものがあり、まさに「王」としての資質を十分に備えていることが示されます。これは、血筋の成せる生まれながらの才能なのか、あるいは悲惨な旅を続けてきたことによる経験の賜物なのか。いずれにせよ、人間世界の凡愚な支配者たちには到底敵うべくもない、優れた主の姿が示されています。


・意外なキャラクターが意外な活躍を見せる。
 しかし、そんな有能なエルハイアを戴くアリア軍の前に、思わぬ敵が現れ、意外な形で行く手を遮ることになります。それは、ハウト伯に隣接する領地の支配者であるワサト公王です。彼は、政治的にはまったく無能な男であり、気も弱く発言力もなく、そのため国政の場では部下のものたちに最初から相手にされず、日々趣味の音楽に興じて過ごしているという、典型的な凡愚な君主として描かれています。しかし、そんな気の弱い男ですが、戦争で人が死ぬのは嫌だ、皆を守りたい、という優しい心を持ち合わせていました。そんな彼に対して、吟遊詩人のサファルという男が、敵に幻を見せる呪曲を授けます。

 そしてワサト公は、すべての兵士と民を城から避難させ、自分はただ1人城に残り、兵士の幻影を見せてエルハイア軍を大いに惑わします。これは、これまで自信に満ちた進軍を続けてきたエルハイアを、初めて大いに焦らせた行為でした。

 しかし、エルハイアの配下にいた魔詠歌手の指摘でこれが幻術だと気づき、ついには城内に攻め込み、ワサト公を城の内部の一室に追い込みます。そこで、エルハイアとワサト公の対話が始まるのですが、これが非常に興味深い展開を見せます。

 ワサト公は、
 「無駄に命を取り合うことはない。戦争をやめよ」と要求します。

 しかし、エルハイアは、
 「それならば、人間どもの財産と権限と栄誉の半分を取り上げて、アリアに分け与えよ」と言い、
 「殺しあわないからといって、その後アリアが暮らしていけないのでは、それは殺されるのと同じである」とも言います。
 「アリアの奴隷のような悲惨な境遇は、それこそがすでに平和な状態ではなく、その日常こそが戦争だった」と。

 その言葉を聴いたワサト公は、一瞬考えた後で、
 「それでも戦ってはならぬと思う・・・ なぜなら・・・」

と答えようとします。この言葉は、エルハイアを一瞬凍りつかせるに十分でした。今まで圧倒的な自信の元に言葉を重ねていたエルハイアが、凡愚にしか見えないワサト公の弱弱しい言葉に、はたと答えることが出来なかった。これは、有能な王が無能(に見える)者の発言に虚を衝かれてしまうという、あまりにも意外な応酬の一コマでした。

 その応酬の直後に、思わぬ邪魔が入り、「なぜなら・・・」の続きの言葉を聞く事が出来ぬままにふたりは別れることになります。一体、ワサト公はこの後に何を言おうとしたのか。わたしには、これこそがこの作品のテーマの核心であるような気がしてならないのです。


・相変わらず非常に深い人間への洞察に裏打ちされた、奥の深い作品。
 以上のように、この「エルペリダス・オード」、正統派ファンタジー作品の色濃いイメージの作品であり、実際にそのような美しい端整なビジュアルも魅力です。しかし、決してそれだけではなく、この堤さんならではの、人間の負の側面を強く描く過酷な描写に満ちており、かつそれに加えて人間への深い洞察がよく見られる優れたエピソードが多数見られ、相変わらず非常に奥の深い作品になっていると感じます。「聖戦記エルナサーガ」や「アダ戦記」で見せた深い作品性は、今回も健在でした。ちょうど、「聖戦記エルナサーガ」から過酷で残虐な描写を引き継ぎ、「アダ戦記」から深い思想性の部分を引き継いでいるような気がします(実際には両方の作品にどちらの要素も見られますが)。今回も、まさにこの作者ならではのファンタジー作品に仕上がっているようです。

 個人的には、連載の最初の頃は王道的なファンタジー作品にしか見えなかったため、この作者にしては今回は物足りないな、と感じていたのですが、すぐに人間の醜い姿を描く展開が見られるようになって、「ああやはり堤さんのマンガだな」と一安心してしまいました(笑)。やはりこの作者のマンガはこうでなくていけません。

 ただ、このような優れた内容ではありますが、しかし今回もまた大きな人気を得られそうにないのも残念なところです。むしろ「聖戦記エルナサーガ」を代表とする作者の過去作品よりも、さらに地味な作風になっているように感じます。純粋なファンタジーのみの設定で、これといって目を引くような斬新な要素が見られない点や、ストーリーも読者を強烈に引っ張るほどの強さはなく、あくまで個々のエピソードを丹念に積み重ねていく構成になっている点などが、理由としては大きいでしょう。絵柄的にも相変わらずおとなしいもので、絵で強烈に人を惹きつけるものがないのも大きい。

 加えて、今回はヒロインの存在感がいまいち薄いのも、原因のひとつかもしれません。今回のヒロインは、魔詠歌手を目指して田舎から出てきたナシラという少女で、物語の冒頭は彼女が街に出てくるところから始まるため、最初は彼女が主役かとすら思っていました。しかし、意外にもその後の出番は少なめとなり、物語はむしろアルドとエルハイアのふたりのみを中心に描かれるようになってしまいました(特にエルハイア)。これは、個人的にも少々拍子抜けしてしまったところで、ヒロインであるナシラの活躍も今後待たれます。

 実際の雑誌での人気も今ひとつだったようで、連載が始まってしばらくした頃は、掲載位置もかなり後ろの方に固定化され、コミックスの扱いも随分と控えめなものだったため、このまま連載が長く続けられるのか、かなり不安な状態に陥っていました。しかし、その後はその深い内容が次第に評価されてきたようで、雑誌での掲載位置も中盤から時に前の方に掲載されることも珍しくなくなり、今ではかなり安定した連載に落ち着いてきているようです。この、REXという男性マニア層が中心の読者層の雑誌において、こういった地味な本格派作品もその存在を認められるというのは、実に大きな僥倖であると言えるでしょう。今後もアニメ化のような大きな展開はないと思いますが、雑誌内の優れた中堅作品として、コンスタントに優れた物語を描いていってほしいと思います。


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