<ロゼッタからの招待状>

2009・11・14

 「ロゼッタからの招待状」は、マッグガーデンから2008年12月に新創刊された雑誌「コミックブレイドブラウニー」で、創刊号から開始された連載で、のちに姉妹誌である「コミックブレイドアヴァルス」へと移籍、全4回で終了した作品です。コミックスは1巻のみで完結しています。

 作者は、原作が麻里ねこ(あさりねこ)、作画に咲灯一(さとうはじめ)。両者ともこれまでに名を聞いたことのなかった新人作家であり、このマンガがデビュー作となりました。新人としての若々しさ、みずみずしい感性が存分に出た作風となっており、その上で内容・作画ともに確かな完成度も兼ね備えた、実に優秀に思える作品でした。創刊号でも、完全な新人作品でありながら、雑誌の前から2番目でいきなり50ページの掲載という大きな扱いとなっており、編集部もこの連載に非常に力を入れていたことがうかがえました。

 しかし、この「コミックブレイドブラウニー」、この創刊号をもっていきなり立ち消え(実質的な休刊)となってしまい、いきなりこのマンガの行く末は分からなくなってしまいました。2号は翌年4月に発行を予定していたらしいのですが、いくら待っても出ることはなく、どうも創刊号の時点で失敗してしまったようです。
 そのために、ほとんどの連載がそのまま立ち消えとなる中、この「ロゼッタからの招待状」は、なんとか姉妹誌のアヴァルスに移籍して連載を継続することになりました。やはり、編集部が特に力を入れていたこのマンガだけは、立ち消えにするには惜しいと考えたのかもしれません。これは、ブラウニーからなんとか連載が継続された数少ない作品となりました。
 しかし、このアヴァルス、ブラウニーとは誌面の方向性が大きく異なり、この「ロゼッタ」も、この誌面では相当浮いてしまった感は否定できません。そして、移籍した時点でもう早期での終了は決まっていたのか、移籍後わずか3回で連載完結となりました。なんとかコミックス1巻を出すためにまとめたような感じで、ストーリーを見ても本当ならもっと長い連載を想定していたのではないかと思わせるところが多く、少々物足りなさがつのります。コミックス1巻でも十分に一つの形にはなっていますが、本来ならばもっと続いていたのではないか・・・とひどく残念に思ってしまいました。


・マッグガーデンからの新雑誌「コミックブレイドブラウニー」の顛末。
 それにしても、この「コミックブレイドブラウニー」という雑誌は、マッグガーデンからの久々の新雑誌にして、わたし自身も非常に期待していた雑誌だったのです。

 マッグガーデンは、かつてのエニックスから離脱した編集者によって創立された新出版社で、エニックスから離脱した人気作家陣を中核にして「コミックブレイド」という新雑誌を2002年に創刊、以後「コミックブレイドMASAMUNE」「コミックブレイドアヴァルス」などの姉妹誌も発行してきました。しかし、全体的にマンガの質は奮わず、「ARIA」や「スケッチブック」などごく一部のマンガをのぞいて、あまりいい評価を受けてきませんでした。肝心のエニックスからの人気作家たちも、その多くがどういうわけか休載状態に陥り、まったく期待はずれに終わりました。

 しかし、2008年12月になって久々に創刊されたこの新雑誌は、これまでに休載状態だった作家の復帰作が数多く見られ、さらには新作にもかつての古き良きエニックス時代を思わせる作風が多数見られ、雑誌全体がかつてのエニックス、とりわけお家騒動以前のガンガンWINGの雰囲気を彷彿とさせるもので、これは久々に期待せずにはいられませんでした。
 その際たるものが、かつてのWINGで最大の人気作家だった、藤野もやむさんの新連載が2つも開始されたことでしょう。「忘却のクレイドル」「いま、殴りにゆきます」の二つの作品、とりわけ前者の「忘却のクレイドル」は、いきなり94ページの掲載で、雑誌の最大の中核作品となっていました。加えて、その藤野さんと近い作風を持つ渡辺祥智さんの新作「docca」が巻頭カラー、そしてこの「ロゼッタからの招待状」も、実は藤野さんの作品とかなり近い作風を持っており、これも雑誌の前から2番目に掲載と、「藤野もやむ的」な連載が雑誌の中核を占めており、それが雑誌最大のイメージにもなっていたのです。

 これは、わたし以外のかつてのエニックス読者の幾人かも惹かれたところがあったようで、創刊当初は一部で賑やかな話題になりました。マッグガーデンの雑誌で、ようやくかつてのエニックス時代のようなマンガが読める。そういう期待があったのです。
 しかし、その期待はあえなく破れ、わずか1号にして実質休刊(発売延期未定)。せっかく復活した作家たちの連載もことごとく立ち消えとなり、わずかに「忘却のクレイドル」とこの「ロゼッタからの招待状」がアヴァルスに移籍、浅野りんの「京洛れぎおん」がブレイドに移籍して継続するのみとなりました。せっかく、マッグガーデンが久々に良質の新雑誌を立ち上げ、立ち直るきっかけとなるかもと期待されただけに、この最後はあまりにもあっけなく、落胆せざるを得ませんでした。


・登場人物の切なる思い、葛藤と、その重なりが丹念に描かれる。
 さて、この「ロゼッタからの招待状」ですが、椎場村という田舎の美しい村を舞台に、村に住む子供たちと、そこに引っ越してきたカンナ(大崎カンナ)という女性の、交流の姿が叙情豊かに描かれる作品となっています。SF、ファンタジーの要素も効果的に取り入れられ、「リリカルサマーファンタジー」とも称されています。

 しかし、単に田舎ののんびりした美しい情景が描かれる作品でもなく、ストーリーは中々にシビアで重い。この椎場村は、なにか「発電所」らしきものを作ることが決まり、一年後までに村人は出て行かなければならないことになっています。しかも、その発電所の建設のためなのか、村の周囲から湾曲した鉄の棒のようなものが建てられ、それが次第に延長されてやがて村を覆うことになっています。そのことに子供たち、特に主人公の皐太郎はひどく反発しており、この鉄の棒を「竹鉄」と名付け、発電所計画の象徴的存在と見なして、これを壊そうと奮闘しています。

 そんなときに突然引っ越してきた若い女性・カンナは、若者が少ないこの村にとってはひどくめずらしい訪問者となり、子供たちもすぐに打ち解け、村を案内して歓迎の言葉をかけます。カンナは、この村に「『流れ星』を探しに来た」と意味深な目的を告げ、これが大きな伏線となります。

 しかし、カンナは、実は発電所の計画を進める企業から派遣されてきており、そのことを知った皐太郎は、彼女を「裏切り者」だとみなして突き放してしまいます。そして、それ以降はさらにかたくななまでに発電所計画に反発、学校に一時臨時講師として赴任してきた彼女とも相容れぬ日々が続きます。このときの、子供である自分には計画を止められないという無力感、それをなんとかしたいという思いがないまぜになった葛藤、それがまずよく描けています。皐太郎の最も近い友達である春彦の一言、「僕にはカンナさんに八つ当たりしているとしか見えない」という言葉が、そんな皐太郎の心境を最もよく表していると思います。

 そして、カンナの方も、自分が発電所ではなく、あくまで「流れ星」を求めてこの村に来たこと、それを皐太郎たちになんとか伝えたいと奮闘します。最後には、流れ星を求めて村中を探してあやうく倒れそうになっていたところを、皐太郎たちと遭遇します。切々と自分の流れ星への思いを訴えるカンナですが、そこで偶然にも流れ星に遭遇、そこでついにカンナが子供たちを泣きながら抱きしめ、流れ星との遭遇を喜ぶシーンが挿入され、そしてエンディングを迎えます。


・宇宙への憧憬が切に語られていることも大きな魅力。
 そして、そんなカンナの流れ星への思いを語るシーンで、宇宙の話とそこへの強い憧憬が描かれていることが、最大のポイントです。それは、カンナが子供たちの臨時講師として、宇宙について授業をするシーンで最もよく表れています。

 壮大な広がりを持つ宇宙、そのはるか遠く、何億光年も先のことを、この地球にいながら思いを馳せることが出来る。何千年何万年も前の光をこの目で受けることが出来る。それは壮大なタイムマシンであり、その光の中で過去のことも見られるかもしれない。そして、今は宇宙のなかで孤独に生きる地球人類が、もしかしたら、その先に交流できる人たちを見つけることができるかもしれない。「万有引力とは引き合う孤独の力である」という、谷川俊太郎の詩「二十億光年の孤独」からの引用が、その思いを最も端的によく表現しています。

 そして、その宇宙の広がりを、ビー玉やボールを使って表現する授業風景が、極めて印象的です。直径1センチくらいのビー玉を地球とするならば、地球の11倍の直径を持つ木星は、10センチを超えるくらいの大きなボールになります。そして、これが太陽となると、地球の109倍の直径なので、運動会の玉ころがしで使うくらいの大きな玉となり、そして光速で8分(8分19秒)という太陽と地球との距離は、ビー玉の地球を教室に置くとすると、太陽は教室から出てはるかグラウンドの端の方になる。これらを実物を使って説明する授業風景が大変面白い。縮小したモデルを使って実際の距離を見せることで、宇宙の大きな広がりを直に感じることが出来るのです。

 ちなみに、太陽がこのまま進化すると、約60億年後には膨張して巨大な赤色巨星となり、最終的に約200倍の大きさとなり、表面が地球軌道付近まで到達して地球が飲み込まれる(*注)とも予測されています。それをこの玉ころがしのボールとグラウンドに当てはめて考えると、いかに宇宙の営みが壮大なものか分かる気がします。

(*注)最近では、地球の軌道が外側に変化して飲み込まれることはないという説もある(こちらの方が有力な説となっている)。


・咲灯一さんの絵は本当に素晴らしい。
 そして、そんな内容に加えて、このマンガは咲灯一さんの作画が本当に素晴らしい。新人の初連載作品としてはまったく申し分ない出来であり、既存の連載作品と比べてもまったく見劣りしません。

 その絵柄は、前述のように藤野もやむさんのそれを彷彿とさせるもので、中性的でくせのない絵柄と優しい雰囲気が最大の魅力です。さらに、それに加えてとにかく作画が丁寧な印象を受け、なめらかな描線をひとつひとつ丹念に描いている様が目に見えるようです。
 そして、キャラクターの造型も背景も卒なく仕上げていて、すでにかなりのレベルに達しています。特に、子供の描き方に非常な印象的で、子供ならではの柔らかさを持つ身体表現、あるいは豊かな表情描写、それらがとても魅力的なのです。このかわいらしくも存在感のある子供たちの姿、これが作品の大きな特長となっています。一方で、こちらも丹念に描かれた田舎の豊かな自然描写も見逃せません。

 かつての藤野もやむさんも、デビュー当時はこれほどでもありませんでした。むしろ、まだまだ拙いところが多かったのです。デビュー作読み切りの段階では、まだ描線がおぼつかなく、既存作家の影響も顕著で、作画のレベル自体はさほどでもありませんでした。最初の連載である「まいんどりーむ」でも、初期の頃はまだ拙さが残っていました。それが、2番目の連載である「ナイトメア☆チルドレン」で一気に自分の絵柄を確立し、今に至る優れた作画表現を達成することになるのですが、この咲灯一さんの場合、すでに最初期からそのレベルに近いほどの作画を達成しています。丁寧に仕上げられた描線、魅力的なキャラクターから背景まで卒なく描き切る作画能力から、今後も本当に期待できる有望な新人が表れたと思ったのですが・・・。


・これが中途半端に終わったのは惜しすぎる。せっかく期待できる雑誌が出来たのに・・・。
 ただ、確かに良作にはなっていますが、しかし前述のような雑誌のいきなりの休刊で、このマンガも移籍後の早い時期での終了という結末を辿り、それが作品の内容にも影を落としているところが、いかにも残念なところです。

 このマンガ、確かに4話で一応の完結を見ていて、なんとかまとまってはいるのですが、しかし「本当はこれ以上に続きがあったのでは?」と強く感じます。最後のシーン、カンナと子供たちが「流れ星」に遭遇するシーン、あれが終わりなのではなくて、本来ならそこから本格的な物語が始まる予定ではなかったのか。物語の構成を見る限り、そう考えた方が自然なように見えますし、そこを強引にまとめて終わらせたような気さえします。おそらくは、ブラウニーが実質休刊(発売延期未定)になった時点で、移籍後の早期での終了という方針が決まってしまい、あとは3話でなんとかコミックスが1巻の分量にまとめて終わらせたのではないか。
 それに、ブラウニーの創刊号では、前から2番目の掲載順で大々的なページ数で始まったわけですし、そこまで力を入れていた作品が、わずか4話で終わる予定だったとは、どうしても思えないのです。いきなり立ち消えに終わったブラウニーの他の連載と異なり、移籍されて連載が継続しただけでもましだったのかもしれませんが、結局のところ雑誌休刊の影響は免れなかった、といったところでしょうか。

 もし、ブラウニーが休刊することなく刊行を重ね、このマンガも普通に連載を続けていたら、今以上に優れた連載になったのではないか。そう考えると実に惜しい。それに、この雑誌には、これと同じ作風を持つ藤野もやむ的な作品がいくつもあり、そのいずれもが連載第1話を見る限りでは、今後に期待できるものがあったと思います。それ以外の連載、とりわけ箱田真紀、浅野りん、戸土野正内郎、久保聡美などのかつてのエニックス作家による復活連載・新作連載も楽しみでしたし、他にも有望な新人が出てくる気配もありました。そして、それらの中でも最大の期待作だった「ロゼッタの招待状」。それらすべての期待が、唐突な休刊によって一度に失われた。これは、マッグガーデンにとって致命的な損失ではなかったか。

 そして、この事態によって、麻里ねこ・咲灯一さんが今後活躍できる機会があるかどうか、それも分からなくなりました。これだけの作品をいきなり残したのですから、どこかで次回作があってほしいと切に願っています。


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