<さよならソルシエ>

2013・9・21

 「さよならソルシエ」は、小学館の少女誌「月刊フラワーズ」で2012年10月号から開始された連載で、2013年10月号で最終回を迎えています。コミックスは2013年5月に1巻が発売されており、ここで大きな反響を呼びました。

 作者は、穂積。以前、デビュー作となった短編集「式の前日」が、ネット上で大きな反響を得て、期待の新鋭として注目されていました。この「さよならソルシエ」が初連載作品となっており、こちらも「式の前日」同様に大きな注目を集めており、ふたつの作品を比較する感想も見られるようです。

 「式の前日」は、タイトルどおり結婚式を間近に控える男女を描いた現代ものでしたが、この「さよならソルシエ」は一転して19世紀のパリを舞台に、あのフィンセント・ファン・ゴッホと弟のテオドルス・ファン・ゴッホの活躍を描く作品になっています。あのゴッホが主役という点に最も惹かれますが、とりわけこの作品は、弟のテオが主人公として大きくクローズアップされており、旧来のゴッホを描いた作品とは一線を画しています。

 また、史実のイメージや実際の出来事にとらわれず、かなり大胆な解釈が加えられており、テオが周囲を翻弄する切れ者、ゴッホが純朴で素朴な青年として描かれている点が、特に印象的です。これについては、史実とあまりに異なるという批判もあると思いますが、しかしひとつの物語としては非常に面白く出来ており、切れ者テオの快刀乱麻の活躍と、対照的なゴッホの訥々とした生き方には見るべきものがあります。


・実際のゴッホとテオの関係についておさらい。
 さて、ゴッホといえば後期印象派の画家の中でも代表的な存在として、日本でも非常に高い人気のある画家となっています。さらには、彼が絵画の活動を続けるに当たって、弟のテオの献身的な支援があったこともよく知られています。最近では今までゴッホだと思われていたある自画像が、実は弟のテオを描いていたことが判明し、話題となったのも記憶に新しいところです(→右画像)。

 特に、ゴッホとテオとの間で交わされた膨大な書簡(手紙)が、ゴッホの足跡を辿るにおいて重要な資料であり、かつこのふたりの強い絆を感じさせる格好の物品ともなっています。この「さよならソルシエ」も、そうしたテオとゴッホの深いつながりが、最大のテーマとして描かれています。

 しかし、作中の舞台となるパリ在住中のゴッホとテオは、同じ家に住んでいたことで手紙のやり取りがなく、そのためこの時代のゴッホの詳細な足跡は、よくわからないことが多いようです。この時代のゴッホは、絵に関しては大きな転機を迎えていて、これまでは農民や貧民たちの素朴で暗い絵ばかりを描いていたのが、明るい画風へと変わっていきます。そんな時代のゴッホとテオに一体何があったのか。このマンガは、まだ未知の部分が残るパリ時代のふたりを、自由に想像力を膨らませて描いた作品だと言えます。


・超切れ者として描かれたテオ。機転の利く頭脳と図太い態度で権威を翻弄するさまは痛快。
 まず、主人公となったテオについては、驚くほどの切れ者で、対峙する人間を完膚なきまでに叩き伏せる頭脳派のやり手として描かれています。
 彼は、画商として、グーピル商会という絵画の取引を行う会社に勤めており(これは史実で、実際に1000枚近い絵を売り上げています)、仕事においても顧客の好みや行動を把握し、「魔法使い(ソルシエ)」と呼ばれる存在となっています。物語冒頭では、路上での賭けチェスで負け続ける者に加勢して鮮やかに勝ちを収めるシーンから始まり、頭脳の明晰さと尊大すぎる態度を存分に見せてくれます。

 そんな彼ですが、芸術をもっと一般に広めたいという野望を抱いていて、保守的なパリ画壇の権威たちに対して真っ向から勝負を挑み、ロートレックら新進気鋭の若い画家たちを率いるような形で、次々と新しい試みを行い、権威者たちの鼻を明かしていきます。一庶民が描いた素朴なパンの絵を見事に売りさばき、権威に屈して若い画家たちの絵を展示しなかったギャラリーを横目に、「会場はこの街すべてだ」と言い放ち、街中で絵を配って人気を博する。「体制は内側から壊すほうが面白い」と言い放つシーンが、彼の意志をとりわけ強烈に表しています。

 上でも述べたとおり、このようなテオの姿は、おそらくは史実とはまったく異なっているでしょう。権威者たちも典型的な悪人として描かれ、ステロタイプなシナリオ展開とも言えます。しかし、それでもなお、これはとても痛快で面白くて魅力的な物語に仕上がっていると思うのです。明晰な頭脳と図太い神経、そして強烈な意志を持ったテオがとにかくかっこいい。これがこのマンガ第一の魅力でしょう。


・あまりに純朴なゴッホの姿にも注目。
 そしてもうひとり、あまりに有名な画家であるテオの兄・フィンセント・ヴァン・ゴッホの描き方も、意外性に満ちたものとなっています。
 切れ者の極致を行くテオに対して、フィンセントの性格はあまりにも地味で素朴で純朴。あまり大きな声でものをいうこともなく、ぼんやりとした性格で、見た目もぼさぼさの髪とやぼったい服で、登場時には浮浪者と間違われる有様でした。

 しかし、そんな彼を、テオはどこまでも画家として評価しているのです。幼い頃、ともに黄金色の草原を駆け回った懐かしい思い出。そのシーンでも、テオの絵を描くフィンセントを見て、目を輝かせて画家になれよとテオは言います。その後、さらにフィンセントはテオに声をかけるのですが、今でもその言葉を思い出すことは出来ません。しかし、テオは、今でもそんな兄さんとの思い出を大切に、フィンセントを温かく見守るのです。

 そんなフィンセントの描く絵は、熱心に絵を描く新鋭の画家たちを描いた絵のように、素朴で地味なものです。しかし、がむしゃらに生きて幸せになれなかった人を前に「立派な人生だ」と言い、ずっと昔に帰ってこなかった恋人を想う老婦人の話を聞いて、在りし日の二人を絵筆を奮って描く。その姿は、必死に生きる人間に対する優しさで満ちています。

 しかし、このようなゴッホの姿も、また史実とは異なるかもしれません。ゴッホと言えば、いわゆる情熱的な画家として知られていて、晩年には耳を切り落とした逸話や自殺という衝撃的な最期も有名で、より激しい性格を想像していた人も多いと思います。こちらの方がテオ以上に意外なアレンジではないかとも感じますが、しかしこうした純朴なゴッホも、素朴な農民たちの姿を描いてきた彼の一面を捉えていると思いますし、これはこれで十分惹かれるものがあります。


・あえて「ゴッホちゃん」と比較してみる(笑)。
 ところで、こうした大胆なアレンジを施したゴッホを描いた作品として、ひとつ思い当たるものがあります。それは、少し前までヤングガンガンで連載されていた「ゴッホちゃん」(マブレックス)です。

 こちらは、基本シリアスなストーリーマンガであるこの「さよならソルシエ」とはまったく異なり、ギャグ満載の4コママンガであり、ゴッホやゴーギャン、ロートレックたちがデフォルメ化して登場し、個性溢れる行動で爆笑のギャグを繰り広げるマンガになっています。こちらも、史実から大きく離れている点は共通していて、例えばゴッホとアルル時代の同居人だったゴーギャンが、パリでロートレックと共に登場するというのがまずありえないですし、彼らの性格も思わず脱力するような情けないもので、一言で言えば思い切りギャグ化されています。

 しかし、このマンガ、一方で思った以上に真面目なところもあり、毎回作者自身が描くゴッホらの名画が登場し、それにまつわる思わずじんとくるようなエピソードが用意されているのです。作者のマブレックスさんは、これ以外にもフェルメールが主役のギャグ4コマを以前に描いており、絵画に対して非常に造詣が深いようで、芸術に対する確かな思い入れ、愛も感じる作品になっているのです。

 このあたりで、実際の史実からは大きく離れながらも、しかし真剣に彼らの芸術に取り組む姿を描いているという点で、「さよならソルシエ」と「ゴッホちゃん」には、意外なほど共通したものを感じるのです。シリアスなストーリーと脱力の爆笑ギャグと、基本的にはまったく違うマンガですが、作者の芸術に対する思い入れは一致するのだと思いました。


・話題となった新人の実力を感じる作品。この後のさらなる活躍に期待。
 以上のように、この「さよならソルシエ」、あのゴッホの弟であるテオを主人公にして、史実からは大きくアレンジされてはいるものの、極めて魅力的な人物像を描いていて、非常に面白い作品となっています。ストーリーも情熱的とも言える印象的な構成で、テオと兄フィンセントの活躍を鮮烈に描いています。ひとつのマンガ作品として非常な良作であることは間違いないでしょう。

 史実と大きく異なることは、人によっては抵抗を感じる向きもあるかと思いますが、しかしこの物語から感じられるテオやフィンセント、あるいは絵画や芸術を真摯に描こうとする姿勢には確かなものがあり、これはこれでひとつの解釈としてありだと思います。最低でも、オリジナルの創作と割り切って読めば十分楽しめる作品となっています。

 絵が非常に巧みなのも評価すべきポイントです。確かな筆致でとりわけ人物の顔の表情を描くのがとてもうまい。テオのすごみのある顔、フィンセントの純朴そのものの顔は、この作画だからこそより印象的なものになっていると思います。まして新人の作画レベルとしては、まったく申し分ないものと言えるでしょう。また、掲載誌のフラワーズは女性誌で、この作品も女性向けに描かれてはいると思いますが、しかしこの作画なら誰でも抵抗なく読める絵柄になっていると思います。

 連載は思ったよりも早く、一年程度で終了しましたが、ラストも予想以上に驚きの展開で、最後まで話題は尽きませんでした。これからの作者の活躍にも存分に期待したいところです。


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