<テルマエ・ロマエ>

2011・1・24

 「テルマエ・ロマエ」は、エンターブレインのコミックビームで2008年から開始された連載ですが、2010年になって非常に大きな話題となり、一躍大人気を得た作品です。その年のマンガ大賞を受賞し、テレビを始め各種メディア採り上げられ、タイアップ企画も開かれるなど、まさにこの年の最も話題になったマンガと言っても過言ではありません。コミックスの発行部数も飛躍的に増加し、公式サイトの記述に寄れば、2010年10月の時点で1巻が85万部、2巻65万部で累計150万部を達成したようです。まだ2巻の時点でここまで売れた作品は、そう多くはないでしょう。ましてや、コアなマンガ読者が中心のコミックビームの連載ならばなおさらです。

 作者はヤマザキマリ。元々は講談社の女性向けマンガ誌「Kiss」を中心に活動していたようですが、この「テルマエ・ロマエ」では、それまでとは大きく異なる作風のマンガを、エンターブレインのコミックビームで連載することになりました。そして、こちらの方が思いも寄らぬ大ヒットを飛ばすことになったのです。2008年に連載を始めた頃は不定期での掲載で、掲載頻度も決して高くありませんでしたが、人気の高まりを受けて2010年からは毎号連載化。今では同誌の中核的な作品になっています。

 肝心の内容ですが、古代ローマの風呂技師が日本にタイムスリップ、日本の高度な(?)風呂文化にカルチャーショックを受けて、新しい風呂作りに取り組むというもので、主人公のリアクションが大いに笑える、一種のギャグマンガとも言える作品になっています。しかし、単に笑えるだけでなく、風呂やローマに関するリアルな描写や知識もふんだんに盛り込まれ、作者の風呂文化に対するあくなき思い入れ、及び古代ローマ文化に対する思い入れ、その双方が存分に感じられる作品にもなっています。コミックスに毎話挿入される、作者による風呂やローマに関するエッセイにもそれがよく表れており、なんというかちょっとしたためになるマンガにもなっています。


・作者の趣味で描いた作品が大ヒット。
 元々、このマンガは、作者が同人か何かで個人的に描いていたものだったようです。それが、「コミックビーム」の編集長の目に留まったことがきっかけで、「是非うちで掲載したい」という運びとなり、晴れて商業誌で日の目を見ることになったようです。ヤマザキマリさんは、かねてより海外の様々な国で暮らした経歴を持ち、特にイタリアでの生活は長かったようで、そういった経験がこのマンガにも存分に活きているようです。また、イタリアでの生活時のエピソードをつづったエッセイマンガも描いており、そういったマンガもこの「テルマエ・ロマエ」のヒットで注目されることになりました。

 このマンガの何よりも素晴らしいのは、そういった「作者の個人的な趣味」にあたるモチーフを、なんの気兼ねもなく存分に描いていることでしょう。コミックビームは、商業誌でも最もコアなマンガ読みの読者に評価されるタイプの雑誌ですが、そういった雑誌においてさえ、このようなマンガが載るのは珍しいのではないでしょうか。読んでみると抜群の面白さを持っていることは確かですが、こういった作品をあえて抜擢したコミックビームの慧眼に感謝したいところです。

 「テルマエ・ロマエ」とは、ずばり「ローマの浴場」という意味。作者の愛する古代ローマ文化、そして日本の風呂文化、その双方を遠慮なくくっつけてひとつの作品にしてしまった。この手のタイムスリップものは、他の作品でも定番と言えば定番で、それ自体のオリジナリティはさほどでもないと言えますが、ただ唯一そのタイムスリップの場所が「風呂」限定という点において、まさにこの作品ならではのオリジナリティを生み出しています。コミックスの帯にもある「設計技師(風呂限定)」「日本と古代ローマ(風呂限定)でワープ」「時空を超えた大冒険(風呂限定)」という文句が、まさにこのマンガの本質をよく表しています。


・日本の風呂文化にカルチャーショックを受けるルシウスに大笑い。
 このマンガの主人公は、古代ローマ帝国、ハドリアヌス帝時代の風呂設計技師・ルシウス。彼は、今のローマの大衆浴場の姿を必ずしも快く思っておらず、古き良きローマの風呂の姿を取り戻そうと日々悩んでいますが、そんな彼の思想は中々受け入れられないでいます。しかし、そんな彼が、風呂でおぼれたことがきっかけで、なぜかそのまま日本の銭湯にタイムスリップ。以後、ことあるごとに日本の様々な場所の風呂へタイムスリップする身となってしまいます。

 ルシウスは、行き着いた先の日本をタイムスリップしたとは思っておらず、どこか「平たい顔族」の住む辺境か異国だと思っているようですが、しかしそこで見られる最先端の風呂文化に驚愕を覚えることになります。いわゆるカルチャーショックというやつですが、わたしたちが普通に目にする、なんてことはない庶民的な風呂文化に対して、いちいちオーバーなリアクションを取るルシウスの姿が圧倒的に面白いのです。

 銭湯に描かれた富士山の絵に感動し、見たことも無い素材で出来ているたらいに感心し、巨大な一枚の鏡や壁に張ってあるポスターの絵のうまさにもいちいち唸り、ついには差し出されたフルーツ牛乳のうまさに感激する。このときの「美味いっ」「この世の物なのか」というリアクションが最高に面白い。まさかフルーツ牛乳にそこまで感激してもらえるとは(笑)。以後ルシウスは、タイムスリップのたびに、温泉卵のうまさに感動したり、浴槽のふたやシャンプーハットに感心したり、露天風呂に感激したり、とにかくありとあらゆる日本の風呂の文化に衝撃を受けていくのです。

 そして、そういった日本の風呂の姿を、戻ってきた古代ローマで再現、それが庶民に好評を得て一躍有名な技師になるというくだりも面白い。ルシウスは、これはあくまで平たい顔族の文化をそのまま採用しただけで、自分で考えたものではないと悩んだりもするのですが、それでも日本の風呂のいいところを忠実に再現する実直な仕事ぶりには大いに好感が持てます。こんな風に、古代ローマにも日本の風呂文化が受け入れられているのを見ると、我々日本人としてはちょっと得した気分にもなります。あのフルーツ牛乳がこんなにローマ人にも評価されるとは・・・と改めてフルーツ牛乳のうまさに思い至る(笑)。そんなところもこのマンガが評価されているポイントだと思います。


・登場するご年配の人たちの人の良さに感激。
 そしてもうひとつ、日本にタイムスリップした時の描写で感心するのは、そこに描かれている壮年・老年の日本人たちの、あくなき人の良さです。突然表れた外人であるルシウスに対しても、ちょっと驚きつつもみんな親しく世話をしてくれます。年配の人たちが持つ素朴な人の良さが全面に表れていて、とても気持ちいい。

 見知らぬ日本の風呂に慣れないルシウスに対して、優しくその作法を教えてやり、フルーツ牛乳やらバナナやらどぶろくを気兼ねなくふるまってやり、何よりもみんな笑顔でルシウスに接してくる。そこには、外人だからといって警戒したり敬遠したりするようなそぶりはまったく見られません。同じ風呂に入る仲間として、心の底から相手を気遣っている。人の持つ優しさの一端に触れることの出来る良きマンガになっています。

 それともうひとつ、彼らの外見の描写も見逃せません。みんななんというか垢抜けない顔立ちで、田舎のおじさんおばさんの持つ、決してかっこよくは無いが見ていて安心できる姿に好感が持てます。ルシウスのいう「平たい顔族」の大人たち、確かに彫りの深いローマ人に比べれば、見た目のりりしさでは劣るかもしれないけど、それだけではない豊かな人間性を感じることが出来ました。このマンガを読んで、日本のおじさんおばさんの顔もまたいいものだなと、改めて考え直すきっかけにもなりました。

 加えて、よく出てくる老人特有の口調や、あるいは田舎の方言も、同じような効果を生んでいます。特に、ルシウスが東北地方の湯治場にタイムスリップした時の言葉がよかった。「よげ(余計な)事考えねでゆっくり休んでねば」「ほんっどにすまねがだなァー」など、方言の方が、同じ意味の言葉でも、人の気づかい・優しさがよく伝わってくるような気がするのです。


・古代ローマ文化の描写も見逃せない。
 こうした日本の風呂文化の良さ、あるいは人の良さがよく伝わる一方で、ルシウスの故郷である古代ローマの描写も見逃せません。こちらはこちらで、生活に密着した素顔のローマ人の姿を垣間見ることが出来ます。

 最も面白かったのは、ルシウスが疎遠になった妻との関係を取り戻すために、精力を取り戻すために儀式に臨む話。家に祭る男根像(ファロス)や、同じく男根の形をしたお守り(ティンティナブラム)などが登場、キリスト教以前のローマに見られた男根崇拝を徹底的に描いていたのが極めて印象的でした。この話、コミックスの2巻冒頭に収録されていて、いきなりこの話を読んだ読者には抵抗があったかもしれないが、しかしこうしたテーマ(男根崇拝)は、かつての日本にもあった共通するものであり、これは「必ず描かねばならないローマ」として構想を練っていたと、コミックス収録のエッセイにも書いてあります。

 作者のヤマザキさんは女性ですが、このマンガの絵柄を見ると、一見して女性が描いたように見えないようなマンガになっており、加えてこのようなテーマまで描いてあると余計にそう感じるのですが、しかしこれこそがこのマンガのもうひとつの本質だと思っています。古代ローマの庶民に根付いた泥臭い文化を、奇をてらうことなく真正面から取り上げる。単なるかっこつけ、歴史ロマンだけではない、真の歴史の姿を描いていると思うのです。
 また、当時のローマ皇帝であるハドリアヌスやその後継者たちの姿を、これまたその人の素顔と思える人間的な姿で描いていることも面白い。ハドリアヌスが帝国のことを思い日々気苦労の中で過ごしているのを見ると、皇帝も大変だなと思えます(この当時のローマ皇帝は必ずしも強圧的な権力者とは言えず、常に民衆の欲求に応えねばならないところがあった)。あるいはそのハドリアヌスの持っていた男色の趣味や、後継者であるコンモドゥスの好色な姿など、そういった世俗的な一面を描いているところもいいですね。


・このような作品が広く人気を得たことは素晴らしい。
 以上のようにこのマンガ、「風呂」と「古代ローマ」という、作者の趣味が惜しげもなく全面に出て、なおかつ主人公のリアクションが最高に笑える楽しいギャグマンガとなっています。日本人なら誰もがなじみのある風呂と、多くの人が確固とした歴史文化のイメージを抱いている古代ローマ時代がモチーフということで、多くの人に受け入れられるマンガになっていると思いますし、実際にネット上のアマゾンなどのレビューを見ても、幅広い層の人に楽しまれている様子がうかがえます。

 しかし、こういった作品が、こうして数多くの人の楽しまれるようになったのは、大変な幸運だと思っています。前述のように、このマンガは、あくまで個人的な趣味で描かれたことがうかがえるもので、いわば創作系の同人で見かけるような作品ではないかと感じます。創作系の同人誌を当たってみると、キャラクター中心の本以外にも、歴史ものや紀行ものの本も一定の割合で見られます。この本も、作者がイタリアなど世界各地に在住した経験が活かし、自分の趣味である古代ローマを舞台にしているあたりを見るに、そういったタイプの本のひとつではないかと思えます。
 それが、運良くもコミックビームの編集長の目に留まって、晴れて商業誌の連載となった。そしてその後も、読者の間での評判が広まる形で人気を高めていきました。2010年に受賞した「マンガ大賞」とは、書店の店員たち有志が選考するマンガ賞であり、マンガをよく知っている一般人の店員たちの間で評価を受けた作品が選ばれます。そんな賞を受賞したということは、まさに実際の読者の間で、口コミを中心に人気が広まったことの証しではないでしょうか。マンガ大賞のノミネート作品の中には、比較的有名なマンガも含まれていますが(このマンガと同じ2010年では「バクマン。」など)、このテルマエに関しては、ほぼ無名の状態から読者によって採り上げられたと見てよさそうです。

 現在では、このマンガは、もはや最も人気のあるマンガのひとつとなっています。2010年の最大の話題作は間違いなくこれでした。時には博物館・美術館で連動した催しが開かれたり、旅行ツアーまで開かれたりと、東京都浴場組合に推薦されたり、そういった企画が出てくるのも、幅広い層に受け入れられたこのマンガならでは。現在もまだまだ好調連載中であり、これからも気負いのない内容で存分に楽しませてくれそうです。


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