<ゲームは文化か?>

2004・4・6

 「ゲームは文化か」
 これは、ゲーム(コンピューターゲーム)が世間的に人気を獲得して以来、繰り返し問われてきた命題である。実際のところこれはどうなのだろうか。ゲームは文化なのか、否か?

 結論から言ってしまえば、ゲームが文化であるのはほぼ間違いないところだろう。なぜなら「遊び」というものが人類の文化として長らく認められているからである。「ゲーム」が「遊び」の一種であることは疑いようがない事実である。「遊び」が人類の文化であるなら、その一種であるゲームもまた人類の文化である。以上、証明終了。


 しかし、このような至極当然のことに対して、なおも「ゲームは文化か」という疑問が出続けてしまうのは、そこに何らかの特別な理由があるためだと思われる。つまり、ゲームを文化とは認めたくない、何か特別な理由が存在しているということである。
 具体的には、やはりゲームの持つ「子供向け」もしくは「マニア(オタク)向け」のイメージが引っ掛かっているのではないか? つまり、子供向け・マニア向けに過ぎないゲームという存在は、せいぜいサブカルチャーどまりであって、本格的な「文化」という扱いを受けるに値しない。こんな風に思っている人が少なからず存在するのではないか?

 しかし、これは極めて視野の狭い見方ではある。まあ、日本では通用するかも知れないが、世界的に見るとかなり異色である。少なくとも、他の欧米先進国、あるいは途上国においてさえ、ゲームがこのような「サブカルチャー」的な見方をされている国は少ない。ひとつ例を挙げてみよう。


・ゲームにおける先進国「ドイツ」のゲーム事情。
 ゲームにちょっと詳しい人なら、欧米先進諸国の中でも特にドイツが、非常にゲーム文化の発達している国であることは知っているだろう。ドイツはボードゲーム大国なのだ。世界的に見ると、ドイツが最もボードゲームの盛んな国と言える。

 ドイツでは、年間数百のボードゲームが新たに発売される。ほとんどがドイツ人のデザイナーによって作られており、ドイツ国内では一大産業である。ボードやコマといったコンポーネント(実体)もしっかりと作られており、ボードやコマの質感、デザインのレベルは高い。値段も多少の上下はあるが、比較的高価な商品である(日本でいうなら、新作ゲームソフト一本と同じくらいの値段はする)。
 さらに、非常に大きな特徴として、ゲームを作ったデザイナー(製作者)の存在が大きく意識される点がある。ほとんどの場合デザイナーの名前がパッケージに明示されており、人気のある、あるいは評価を得ているデザイナーも多い。優れたデザイナーの社会的地位は非常に高い。もちろんデザイナーの名前がゲームの売り上げにも直結している。
 そして、これらのゲームは多くが(ほとんどが)家族で遊ぶことを前提とした「ファミリーゲーム」として作られている。ルールは比較的理解しやすいものが多く、子供でも遊べるが、実際にはむしろ大人がプレイして楽しめるゲームデザインとなっているのが普通だ。
 そして、実際にドイツ人は日常的にボードゲームをよくプレイする。家族や友人とボードゲームをプレイするのは余暇の娯楽の定番だし、ゲームのコンベンション(大会)ともなるとたくさんの人が集まり、大会で出会った見知らぬ人とも楽しくプレイしている。

 上記のように、ドイツではボードゲームという遊びが人々の間にしっかりと定着しており、ひとつの文化として完全に根付いているといってよいだろう。
 ドイツでここまでボードゲームが盛んになったのは、ここ数十年のことらしく、90年代に入って最盛期を迎えている。その点では、日本におけるコンピューターゲーム(テレビゲーム)の歴史と近いものがあるかも知れない。ただひとつ違いがあるとすれば、ドイツのボードゲームが国民一般の文化として完全に定着しているのに対し、日本のテレビゲームはいまだに子供向け・マニア向けのサブカルチャーとして一般には浸透しきっていないことだろう。

 なぜ同じ「ゲーム」なのに、ドイツと日本ではここまで扱いが異なるのか?
 当初、わたしは、この原因を「ボード」と「コンピューター」というコンポーネントの違いにあると思っていた。つまり、ドイツのボードゲームはほとんどが家族向けのファミリーゲームとして作られており、一般のプレイヤー層向けの商品である。家族や友人の団欒、コミュニケーションの手段としてプレイされる、開放的なゲームである。一方で日本のコンピューターゲームは、初期のコンピューター(パソコン)がマニア向けの商品だったこと、さらには一人プレイが主体ということもあって、「ゲームマニアが一人でプレイする閉鎖的なゲーム」というイメージがあり、一般層には浸透しなかったのではないか? そしてこれこそがドイツと日本でのゲームの扱いが異なる大きな要因である、と考えていた。
 しかし、その後さらに詳しく調べてみると、必ずしもそういうわけではないらしいのである。

 実際には、コンポーネントの違いはさして重要ではなく、むしろ主要因はドイツと日本の国民性の違いにあると思う。
 考えてみて欲しい。以前よりドイツ等の欧米諸国からボードゲームが日本に輸入されることはあった。最近ではドイツのボードゲームが日本でも次第に認知され始め、徐々に注目を集めるようにもなってきている。
 しかし、これらのゲームはいまだにゲームマニアしかプレイしておらず、一般層にはほとんど浸透していない。コンピューターゲーム以上にマニアックな扱いに終始している。ドイツでは家族向けに広く楽しまれているゲームなのに、それが日本に来るとディープなマニア向けのゲームになってしまう。ゲームそのものは全く同じなのに、ドイツと日本では扱いがまるで異なるのだ。
 もちろん、ドイツのゲームの趣向が日本人一般に合わない、ということは考えられる。さらには、ドイツのゲームが入ってくるとはいえ、その大半は翻訳されていない。それをわざわざ自分の手で翻訳してまでプレイするとなると、それはゲームマニアに限られる、という理屈も分かる。しかし、だからといってここまで徹底的にマニアのみにしかプレイされず、さらには日本語に翻訳した商品もほとんど出てこない、というのもおかしい。近代の日本は、欧米のものなら何でも無節操に取り入れてきた国である。それなのに、なぜゲームだけここまで消極的なのだろうか?

 このことを裏付けるひとつの興味深い事実がある。2003年、ドイツ北部にある都市ライプツィヒにおいて、ヨーロッパ最大級のゲーム展示会、"GC-Game Convention 2003"が開催された。これは発売前のゲームの見本市で、日本における東京ゲームショウにあたるものだ。
 ただ、この見本市が日本のそれと違ったのは、コンベンションの会場だけでなく、ライプツィヒの街全体がゲーム一色に染まったことだろう。会場から車で30分かかるライプツィヒ駅構内にまでゲームの試遊台が多数設置されたほどで、街全体でコンベンション関連のイベントが行なわれていたらしい。
 つまり、ドイツではゲームというものが完全に市民権を得ており、ゲームに日常的に接するという状況が当たり前になっているということである。これが日本とドイツの「ゲーム文化」の最大の違いであろう。ゲームそのものが違うのではなく、ゲームに対する人々の接し方が違うのだ。


 ドイツドイツといってきたが、ドイツ以外のどの欧米諸国でも、日本よりはるかにゲームの一般性は高い。アメリカはカードゲームの大会に一万人規模の人々が集まるカードゲーム大国だし、それがテレビ中継されることも珍しくない。大人気ゲームソフトであるGTA(グランド・セフト・オート)の発売当時、街を歩けばいたるところにGTAのポスターが貼ってあった。他の欧州諸国でも、人々のゲームに対する認識は同等であるとみてよい。


 つまり、日本でゲームが一般の文化として認められない理由は、ゲームそのものの内容ではなく、ゲームをサブカルチャーとしてしか見ない日本人の国民性にあるといえるだろう。
 もちろん、日本のゲームに、マンガ・アニメのモチーフと重なる、いわゆるオタク向けの商品が多く、一般層に浸透しにくい面があるのも事実だ。しかし、すべてのゲームが必ずしもそうではないだろうし(特に非コンピューターゲーム・・・ボードゲームやカードゲームがそこまでオタク向けとは思えない)、さらには最近は海外のゲーム(洋ゲー)も積極的に入ってくる時代である。しかし、それでもなおゲームがマニア向け(あるいは子供向け)のイメージに留まっていることを考えると、日本人のゲームの見方を変えるのは中々難しいようである。

 そして、これこそが日本でゲームが「文化」として中々認められず、いまだに「ゲームは文化か?」という不可解な問いが出続ける最大の理由なのである。


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