<対戦格闘ゲームが売れたもうひとつの理由>

2004・10・27

 この記事は、グラディウスIIIソニックウイングスの記事と微妙に関係しています。


 この記事は、もうかれこれ8年ほど前に考えついて、当時のゲーセンの友達に話したこともあるのですが、今ここで改めて文章化してみます。

 90年代に入って、「ストII」が大ヒットして以来、ゲーセンのビデオゲームは対戦格闘一色になりました。もちろん、それ以外のジャンルも続いてはいるのですが、しかしゲーセンの中心を占めているのが格闘ゲームであったことは誰の目にも明らかでしょう。

 なぜ、ここまで対戦格闘ゲームがゲーセンの主流となったのか。これは、ゲームの内容・面白さ以前に、格闘ゲームがゲーセンの経営に有利だったからにほかなりません。つまり、格闘ゲームの方が、ほかのビデオゲームよりも明らかにカネを稼げる。ゲームセンター用語で、ゲームが稼ぎ出す収入のことを「インカム」と言いますが、対戦格闘ゲームではこのインカムがずば抜けていたのです。

 なぜ格闘ゲームがそこまでカネを稼げるのか。それは、格闘ゲームの一回のプレイ時間が明らかに短いからです。そして、そのプレイ時間が短い最大の理由が、対戦をメインにしたゲーム性であることは明らかでしょう。
 それまでのビデオゲームでは、一旦ゲームがうまくなって先に進めるようになれば、終わるまで最低でも数十分はプレイできました。ゲームによっては、延々と数時間以上プレイできるものもありました。しかし、格闘ゲームの対戦の場合、一回の対戦が長くても数分、短ければ一分以内に終わってしまいます。そして、対戦のたびにプレイヤーはお金を投入するわけですから、そんな格闘ゲームが稼ぎ出すインカムは非常に高い。ゲームセンターの経営者の誰もが、対戦格闘ゲームを最優先でゲーセンに入れたがるのは当然のことです。

 このように、ゲームセンターで格闘ゲームが売れた最大の理由が、「対戦がメインのプレイ時間の短さ」にあることは間違いありません。しかし、わたしは、これに加えてもうひとつだけ、非常に大きな理由があると見ています。「格闘ゲームは対戦のおかげで売れた」という分かりやすい事実の影で、もうひとつ非常に大きな「売れた理由」があるのではないかと。では、それは一体なんなのか?


 結論から言えば、「格闘ゲームが、ほかのゲームよりも気軽にプレイできる」という点です。もうちょっと詳しく言えば、「より気軽にコインを投入できる」「プレイするのに心構えが必要ない」「プレイしてもさほど疲れない」と言った点が挙げられます。

 ゲーセンに来てゲームに打ち込むプレイヤーならば、誰もがゲームのクリア(1コインクリア)を目指すわけですが、普通のゲームならば、クリアまでに最低でも数十分はかかるわけで、その間は集中したプレイを要求されます。最初のうちはどんなゲームでも簡単ですが、だからといってイージーミスで残機を減らしたり、ライフを減らしたりすれば、それは後半に響いてくるため、最初から気を抜くことはできません。そしてプレイを続けて後半、終盤ともなれば、「ここまで来てミスしてゲームオーバーになりたくない」と誰もが思いますから、プレイ中の緊張感・プレッシャーは実に高くなります。
 つまり、ゲームのプレイ中は、誰もがそれなりの緊張感やプレッシャーにさらされるわけで、それに耐えるだけの集中力・体力もゲームに必要になります、そして、見事にそのプレッシャーを克服したものが、ゲームをクリアできるわけです。

 さて、このように、ゲームを長くプレイするとなると、それなりの緊張感とか、プレッシャーとか、ストレスとかいった要素に耐えなければなりません。しかし、対戦格闘ゲームでは、どういうわけかこういった要素が少ない。先ほども述べたとおり、ほかのゲームに比べるとはるかに気軽にプレイできるのです。

 なぜか。
 まず第一の理由として、格闘ゲームのプレイ時間が短いということが挙げられます。格闘ゲームでは、「対戦」の時間も短いですが、それと同時に通常のプレイ(CPU戦)のプレイ時間も短い。2D格闘でも20分程度、3D格闘ならもっと早く終わります。
 ここまでプレイ時間が短いとなると、プレイ後半になってもプレイヤーにかかるプレッシャーは少ない。たとえゲームオーバーになっても、短時間でもう一回繰り返してプレイすることが可能ですし、より気軽に何回でもプレイできるのです。

 第二の理由として、格闘ゲームのゲーム構成が、単発のステージの繰り返しで、ゲームに連続性がないことが挙げられます。
 ほかのゲームならば、ゲームの序盤でミスをして残機やライフを減らせば、それは後半のプレイに直接響いてきます。ゲーム全体を通して、ミスのないプレイが要求されるのです。
 しかし、対戦格闘ゲームの場合、このようなことが起こり得ません。なぜなら、格闘ゲームでは、ひとつひとつのCPU戦が独立して組まれており、ひとつの闘いが、その後の闘いに影響を及ぼさないからです。たとえギリギリの勝負でCPU戦の対戦相手を倒しても、次の闘いでは普通に闘えます。「前の闘いで体力が大きく減ったから、今回は減ったままで闘わないといけない」というようなことは、対戦格闘ゲームではあり得ません(当たり前ですが)。一回一回のCPU戦で、毎回結果が完全にリセットされ、前の闘いの結果が影響してくることはありません。
 このようなゲーム構成だと、ゲームの序盤でミスをしても一切問題なく、ゲーム全体を通して受けるプレッシャーは非常に低くなります。一回一回の闘いを制してしまえば、その闘いの中身はどうでもよく(別にいくらダメージを受けても、勝ちさえすればよい)、とりあえず問題なく先には進める。気軽にCPU戦を繰り返しつつ、プレッシャーなく先へ進めるのです。

 さらなる第三の理由として、格闘ゲームのCPU戦の対戦相手の順番がランダムである点が挙げられます。
 特に2D格闘ではこのシステムが顕著で(3D格闘は順番固定が多い)、これがまた気軽にプレイできる要因でもあります。順番がランダムということは、ある特定の場所で「ハマる」ことがほとんどないということであり、毎回違った展開を気軽に楽しめるということでもあります。このような構成の場合、たとえ後半まで行ってゲームオーバーになっても「たまたま今回は強い相手に当たった」と捉えることができ、もう一回気軽にプレイできます。
 これが「グラディウスIII」のような「一回ミスったら終わり」というようなシビアなゲームの場合、延々と一本道のステージをクリアしてきても、一回のミスでそれまでのプレイすべてがパーになるわけで、これがゲームの終盤ならば「せっかくここまでやってきたのに・・・」と悔やむこと間違いなしです。しかし、ゲーム構成がランダムな対戦格闘ゲームならば、そこまで悔やむことは少ないでしょう。つまり、ゲームの後半でもプレイヤーにかかるストレスは少ないままであり、ゲーム全体を通して気軽にプレイできるのです。

 このように、対戦格闘ゲームは「気軽にプレイ」できる要素に満ちており、従来のゲームに比べてはるかに気軽にコインを投入できます。プレイ時間も短く、全体的にストレスなくプレイを続けられることもあって、一回ゲームを終えても、もう一回もう一回と繰り返しプレイできます。もとから対戦メインのゲーム性でインカムが非常に高い上に、このような「気軽にプレイ」できる要素まで完備していたがために、対戦格闘ゲームのインカムはさらにさらに伸びていき、爆発的なヒットを記録したのではないでしょうか?


・格闘ゲームの要素を取り入れたゲームたち。
 このような理由から、90年代に入って対戦格闘ゲームが爆発的なヒットを記録するわけですが、この影響はほかのジャンルのゲームにも及び、明らかに格闘ゲームの構成を意識したゲームが出てくるようになります。そして、これらも「気軽にプレイ」できる点が受けて、大きなヒットを飛ばします。

 まず、「ソニックウイングス」というシューティングゲームの存在が非常に大きい。短いステージとプレイ時間、ランダムに登場する前半ステージ、格闘ゲーム的なキャラクター選択と、明らかに対戦格闘ゲーム(というか、ストII)を意識したゲームデザインで、従来のシューティングにはない「気軽さ」に満ちており、当時のシューティングとしては異例の大ヒットを記録します。そして、この「ソニックウイングス」の血を引く「彩京シューティング」が90年代ゲーセンにおけるシューティングのひとつの主流となります。
 もうひとつ、「ぷよぷよ」に代表される、対戦型落ち物パズルも見逃せません。これなどは、「対戦格闘のゲーム構成を、テトリス型のパズルゲームにそのまま取り入れた」と言ってよいくらいで、格闘ゲームの直接的な影響は明らかです。そして、これまた格闘ゲーム以上に気軽に楽しめるゲーム性で大ヒットを記録しました。
 さらに言えば、「ビートマニア」に代表される音楽系ゲームもこの範疇に含まれるかも知れません。これもまた、一回のプレイ時間が短く、一回一回の曲の演奏が独立して評価され、しかも演奏する曲を自分で選べるとあって、これまた実に気軽にプレイできるゲームです。このようなタイプの音楽系ゲームは空前の大ヒットを記録し、ついには対戦格闘ゲームを凌ぐ人気を獲得するに至ります。

 このように、対戦格闘ゲームの「気軽にプレイできるゲーム性」を受け継いだゲームは、格闘ゲーム以外のジャンルでも頻繁に見られるようになり、もはや90年代のビデオゲームの主流となったと言っても過言ではありません。「気軽にプレイできるゲーム性で多くのプレイヤーを惹き付けた」ことが90年代のゲームセンターの特徴と言えるでしょう。


・その一方で、緊張感の持続するゲーム性は影を潜めた。
 しかし、その一方で、従来のゲームに見られた、「長時間のプレイで緊張やストレス、プレッシャーに耐えつつクリアを目指す」というゲーム性は影を潜めました。「グラディウスIII」がその際たる例ですが、「長時間プレイしてきて、一回のミスですべてが終わり」というようなシビアなゲームはもう受け入れられなくなったのです。実際、80年代にあれだけ人気のあったグラディウスシリーズは、89年の「III」を最後に、90年代に入ってさっぱり続編が出てこなくなりますし(ようやく出てきたのがなんと10年後)、それ以外の長時間プレイを強いられるシューティングゲームの人気も下火となります。その一方で、格闘ゲームの気軽さを取り入れたシューティングである「ソニックウイングス」のみが例外的にヒットを飛ばす現象が起こるわけで、もはや90年代に入ってのプレイヤーの嗜好の変化は明らかでしょう。

 この変化が必ずしも悪いとは言い切れませんが、しかしストイックに緊張に耐えつつプレイを続けてクリアを目指すという、地味ながらも達成感の強いゲーム性がなくなってきたのは少々残念な気がします。90年代以降のビデオゲームは、気軽にプレイできるゲーム性で大ヒットを飛ばしたその裏で、ゲーム全体の構成を睨んで、じっくりと腰を据えて攻略していくという、優れたゲーム性が薄れてしまったと言えそうです。



(*補足その1)
 かつて、わたしが、とあるゲームセンターの常連だったころの知り合いに、シューティングゲームのマニア(いわゆる「シューター」)の方がいました。彼は、ビデオゲームの基盤を買って家でアーケードのシューティングをプレイし、しかもそのプレイをわざわざビデオにとって分析までするという深いマニアさんでした。
 で、その方は、自身のシューティングのプレイ方針として、「シューティングは、一日に数回のプレイにとどめて、その代わりに毎日持続してプレイするとよい」と語っておりました。
 これは、実に優秀なプレイ方針です。実際、長時間のプレイで集中力を要求されるシューティングゲームは、やっきになって何回も繰り返してプレイしてもうまくいかないことが多い。むしろ、一日のプレイは集中力が持続する数回のみにとどめて、それを地道に毎日続ける方がよい、と言っているのです。

 一回のプレイで長時間の緊張感にさらされる、シューティングというゲームにいかに取り組むべきか。シューティングマニアである彼は、そのことを完全に熟知していたのでしょう。


(*補足その2)
 まあ、ここを読んでいるあなたが、ゲームを単なる「気晴らし」や「暇つぶし」「退屈しのぎ」として考えているなら、どんなゲームでも気軽にプレイできるでしょう。しかし、あなたが、ゲームに対してなんらかの思い入れを持っている「ゲーマー」「ゲームマニア」あるいは「ゲームファン」であるならば、ゲームに望むにあたって何か思うことがあるはずです。少なくとも、あなたにとってゲームは単なる暇つぶしではないはずです。単なる暇つぶしなら、それこそ遊園地のアトラクションのような気楽なゲームでも構わないはず。そこを、あえてゲームセンターに来てまでビデオゲームに「打ち込む」わけですから、そこにはゲームに対する特別な思いがあるはずです。

 そう、ゲームに打ち込むプレイヤーなら、誰もがゲームのプレイに何か目的を持っているはずです。「少しでも先の面に進みたい」「1コインクリアしたい」「ハイスコアを目指したい」「対戦で勝ちたい」というように・・・。そして、彼らはその目的に向かって邁進していくわけですが、そうなるともはや、彼らにとってのゲームは、単なる「気晴らし」「暇つぶし」では無くなってきます。そのようなプレイヤーならば、目的を達成するためなら、あえて緊張感やプレッシャーに耐えてでもプレイするでしょう。そして、そんな「求道者」たるプレイヤーのために、単なる気晴らしや暇つぶしではない、ストイックなゲームがあってもよいと思うのです。


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