<昔のゲームの方が面白かったというのは本当か?>

2004・4・21

 最近になってゲームの人気に陰りが見え、「昔のゲームの方が面白かった」という意見がよく聞かれるようになりました。しかし、本当に昔のゲームの方が面白かったのか? もしそうだとしたらどの辺りが面白かったのか? このあたりのことを今一度真剣に考えていきたいと思います。


・ゲーム性自体は今も昔も変わっていない?
 「昔のゲームの方が面白い」という意見はよく聞きますが、わたし自身は、 今のゲームが必ずしもゲームの面白さで劣っているとは思いません。少なくとも昔と同レベルか、部分的には上回っている点も多いでしょう。

 まず、昔よりも明らかに上回っている点として、ゲームのプレイアビリティ(快適性)が挙げられます。とにかく基本的なシステム回りが整備されてきて、昔よりはるかに遊びやすいゲームが増えました。RPGやシミュレーション系ならばコマンド体系の整備、アクション系ゲームでも操作性の向上が顕著に見られ、「遊びやすさ」という一点のみで見るなら昔のゲームよりも明らかに上でしょう。

 さらに、肝心のシステム面で見ても、決して昔のゲームに劣ってはいない。2Dのシューティングやマップ形式のシミュレーションゲーム(含むシミュレーションRPG)のような昔から根強く続くジャンルでも、今の作品が昔のそれに必ずしも劣るとは思えません。
 さらに、近年のゲームでは、昔のゲームでは実現できなかった新しい面白さが加わっています。例えば、ポリゴンの採用による3D空間を活かした面白さ。初期のポリゴンゲームは、単なる演出でゲーム上で3Dの意味が無いゲームの多く見られましたが、今では真に3D空間を活かしたゲームは多く、ゲームの主流となっています。
 ネットゲームに代表される「箱庭世界でプレイヤーが自由に行動できる」ゲームスタイルも昔のゲームにはなかったものです。というか、昔はソフトの容量の問題で、そのようなゲームは作ろうにも作れませんでした。

 このように、ゲームのシステム面(「ゲーム性」)のみを見るなら、必ずしも今のゲームが劣っているわけではない。しかし、それにも関わらず、「昔のゲームの方が面白い」という意見は広く存在します。実は、かくいうわたし自身も、「確かに昔の方がゲームに熱中していた」と実感しています。これには「昔、ゲームを始めた頃の方が新鮮にプレイできた」というプレイヤー側の主観的な理由だけではなく、確かに昔のゲームの方が熱中できた客観的な理由が存在したと考えます。わたしは、様々な考察の結果、この理由を次のように結論するに至りました。


・「今のゲームには『ゲーム』以外の要素が多分に入っている。」
 昔のゲームというのは、それこそ「ゲーム」である部分しか存在していませんでした。純粋にゲームであった。しかし、今のゲームには、ゲーム以外の要素がたくさん入っています。

 まず何といってもストーリーですね。本来、ゲームに過度なストーリーは不要ですが、今ではゲームそのものよりも、まずストーリーを目当てにプレイする人、もしくは最初からストーリーをメインに据えたゲームが多い。
 ストーリーだけでなく、キャラクター世界観を求めてプレイする人も多い。これらは、むしろゲームではなく、映画や小説、マンガやアニメに属する要素なのですが、それらの付加価値の部分の比率が今のゲームでは増大しており、ゲーム内で「ゲームそのもの」よりもそちらの方の比重が増えています。

 グラフィックサウンドといった演出面も見逃せません。とにかく、今ほどグラフィックが重視される時代はないでしょう。

 このように、ゲーム内における「ゲーム以外の要素」が増大するにつれて、肝心の「ゲームそのもの」(「ゲーム性」)の部分が相対的に減少し、次第にゲームの内容が散漫になり、ゲームに対する熱中度が薄れたのではないでしょうか? 昔だったらゲームの電源を入れればすぐゲームができた。しかし今ではそのようなゲームは少数派で、まずオープニングムービーを見て、プロローグを見て、さらにイベントシーンをみて、ようやく自分でキャラクターを動かせるようになる、といったゲームが多いのです。


・「ゲーム性」自体にも変化が。
 ゲーム以外の要素だけではありません。実は「ゲームそのもの」──いわゆる「ゲーム性」──の部分でも、今と昔では内容的に変化があると考えます。
 そもそも「ゲーム性」という言葉はかなりあいまいな言葉です。一体どういうものを「ゲーム性」といっているのか、人によって異なっており、判然としません。

 昔のシンプルなゲームならば、いわゆる「知的遊戯」の要素・・・「頭を使ってゲーム内の障害を突破し、いかに目的を達成するか」という要素のみを「ゲーム性」と言ってもよかった。しかし今では、それ以外にも様々な要素を人はゲームに求めています。

 まずなんといっても爽快感ですね。もともとゲームをプレイする(コントローラーを使って画面内のモノを動かす)という行為は本能的快楽の要素が強いですが、近年では特にこの「気持ちよさ」「爽快感」というものを全面に押し出したゲームが多い。特に最近ヒットしている3Dのアクションゲームでは「真・三国無双」シリーズをはじめ、「デビルメイクライ」や「アヌビス」等、まずアクションの爽快感ありき、といったゲームが目立ちます。

 さらにはリアリティ臨場感を追求したゲームも多い。特に最近では海外ゲームが日本でプレイされるようになり、しかもそれらの海外ゲームには映画をモチーフにしたものが多く、ゲームに「映画のような臨場感を求める」傾向が非常に強くなりました。FPSの「メダル・オブ・オナー」シリーズで戦争映画の臨場感を体験した人も多いと思います。

 自由度を全面に打ち出したゲームも多くなりました。もちろん、昔のゲームでも、RPG等で自由度が求められることは多かった。しかし、今のように「ゲーム内に箱庭世界を構築し、その中でプレイヤーを自由に遊ばせる」タイプのゲームの存在は一昔前には考えられませんでした。「グランド・セフト・オート」に代表される一人プレイでの箱庭ゲーム、そしてなんと言っても多人数プレイのネットゲームは、今やゲームの一大ジャンルです。

 さらには、いわゆるやりこみ要素というものも、最近ではつとに比重が高まっています。やりこみ要素自体は昔のゲームでもありましたが、今はとにかく「いかに長時間プレイできるか」という点を多くのプレイヤーが求めており、なにか「やりこみ」の要素をゲームに取り入れるケースが非常に多くなりました。

 さて、このように今では「ゲーム性」と呼ばれるものの幅が広がっており、人によってゲームに様々な楽しみを求めています。そして、このようにゲーム性というものが広がった結果、逆にひとつひとつの要素が散漫になり、そして熱中度が下がる一因になったとわたしは考えます。
 つまり、昔のゲームならば、ただ純粋に知的遊戯の要素のみを作ればよく、プレイヤーも純粋にそれだけを求めていました。例えば、インベーダーゲーム(スペースインベーダー)の場合、誰もが純粋に「いかにゲームオーバーにならずに先の面に進めるか」「いかにUFOを撃ってハイスコアを伸ばすか」ということのみを考えていました。
 しかし、今のゲームはそういうわけにはいきません。シンプルに知的遊戯だけでなく、爽快感や臨場感、ゲームによっては自由度、果てはやりこみ要素にまで気を配らないといけない。しかも、プレイヤーによって求める要素が違うのだから、すべてのプレイヤーを満足させるゲームを作るのは至難の業です。たとえ知的遊戯として大変優れていても、爽快感や臨場感に欠けていては、そういったものを求めるプレイヤー層を満足させることは難しい。これが今のゲームの難しいところです。

 そして、このように「ゲーム性」の幅が広がった結果、肝心の「知的遊戯」の部分の比率が下がり、ゲームそのものに熱中することが少なくなったのではないか? それに加えて前述のように、今のゲームにはゲーム以外の要素・・・ストーリーや世界観、グラフィックやサウンドの比重も非常に高く、ますますゲーム内に占める「ゲームそのもの(知的遊戯)」の比率は下がっています。昔の「スペースインベーダー」や「ゼビウス」「スーパーマリオ」のように、シンプルに「ゲームそのものだけにのめりこむ」ということが少なくなった。そしてこれこそが、「今のゲームにあまり熱中できない。昔のゲームの方が面白かった」ということの最大の理由なのではないでしょうか?

 少し前、任天堂の岩田社長が、ゲームが売れない理由として「今のゲームは複雑化しすぎている」という発言をしましたが、これは単に「ゲームシステムが複雑化した」というだけではなく、「ゲームにいろいろな要素が入りすぎて、シンプルにゲームのみを楽しめなくなった」という意味も含まれているのではないでしょうか。だとすれば、今のゲームが抱える状況はかなり深刻なものであるといえるでしょう。


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