<ノベルゲームにゲーム性は存在するのか>

2002・3・26

 サウンドノベル、ビジュアルノベル、デジタルノベルと、いわゆるノベル系のゲーム(以下「ノベルゲーム」と表記します)が1つのゲームジャンルとして隆盛を極めています。最近の18禁ゲームはほとんどこれですかね。コンシューマーでもこの手のノベルゲームはいくらでもあります。
 それでこの手のゲームの話題を耳にして、常に感じるのは「これははたしてゲームなのか」という疑問です。
 そもそも「ノベル(小説)」といっている時点でゲームではないような・・・。ましてそれらのゲームに対して「プレイする」「攻略する」という言葉が使われているのを見ると、さらに違和感がつのります。だって小説を「プレイする」とか「攻略する」とか言わないでしょ。小説は「読む」「読破する」ものではないかと。
 そもそもこの手のノベルゲームに「攻略する」要素、つまりゲーム性とか、戦略性とかいったものが存在するんでしょうか。このページではこのことを真剣に考えてみようと思います。


 まず第一に、この手のノベルゲームは基本的には小説ですから、はじめから完全に小説の形態をとらせて、ゲーム性らしきものは完全に排除することが可能です。例えば2001年6月に発売されたPS2ソフト「北方謙三 三国志」、これは北方謙三氏の小説のラジオドラマをそのまま収録したもので、内容的には完全にラジオドラマの収録ですから、当然選択肢のようなものはありません。純粋に読む(というか、聴く)だけです。完全なる「小説」ですね。このように選択肢を完全に無くしたソフトは他にもあるようで、これらのソフトがゲームではないというのは誰の目にも明らかだと思います。
 逆に言えば、何らかのゲーム性らしきもの・・・具体的には「選択肢の存在」これをもってゲーム性があると多くの人は解釈されているようです。しかし、選択肢があるからといって、それが本当にゲーム性と言えるのか。これがまず第一の疑問です。

 そもそも、ノベルゲームにおいて選択肢とは何のために存在するのか。基本がノベル(小説)であって、文章で書かれたストーリーを読ませることがメインである以上、選択肢はせいぜい「枝分かれするストーリーの分岐点」でしかないと思います。「Aの選択肢を選べばAルートの、Bの選択肢を選べばBルートのストーリーを読めますよ。」というただそれだけの役割でしかないのです。これでゲーム性があるとは到底いえないでしょう。ただ単に自分の読みたいストーリーを選択しているだけです。
 実際、数あるノベルゲームの中には数えるほどしか選択肢がなく、それこそすべての選択肢の手前でセーブできるゲームもあるようです。そうなってくるとそのゲームはもう「分岐する小説」以外の何者でもなく、まずゲームとはいえない。

 しかし、実際にはそこまで単純なノベルゲームは少なく、かなり多数の分岐を用意して、特定のエンディングに到達するためには正しい選択肢を選んでいかないといけない、というゲームのほうが多いようです。しかし、これでも果たしてゲーム性があるかどうかは疑わしい。

 まず第一に、選択肢を選ぶ判断基準が分からないという問題があります。質の悪いゲームブックなんかだと「左にいく」「右にいく」というただそれだけの選択肢がよく出てきます。これではどちらを選んでいいのか、その判断基準が全くわかりません。これで左が正解で、右にいったら即死、とかだったら本を放り投げてるところです(笑)。「左の道には明かりがついていて安全そうだ。右の道は暗くて先が見通せない。右へいくか、左へいくか。」というような選択肢なら話はわかります。この場合明確な判断基準が文章で示されていますからね。これなら右の道を選んで死ぬことになっても「自分の判断が間違っていた」と素直に納得できます。
 実はノベルゲームにはこの手の「判断基準が示されていない」選択肢がとても多いのです。どの選択肢が正解なのか、選択肢を選ばせる根拠は何なのか、選択肢によってどのような展開の違いが予想できるのか、そのあたりがまるで判然としない。「ただ選択肢を選ばせるだけ」ではゲームにならないんですよ。ちゃんと頭で考えて推理できるだけの、選択肢を選ぶ判断材料がないと話にならない。

 もうひとつの問題は選択肢を総当りすれば、だれでもエンディングに到達できるという、ごくごく当たり前の問題です。この問題は常に指摘されますが、これは第一の問題とセットで考えるとより理解しやすい。つまり、個々の選択肢に明確な判断基準があれば、総当りでクリアできてもあまり問題とは感じません。「プレイヤーが的確な判断をすればエンディングに到達できる」のなら別に総当りする必要はないわけです。総当りはあくまで最終手段、というか下手なプレイヤーが最後に辿る道でしょう。
 つまり「個々の選択肢に判断材料が無いために、総当りでしかエンディングに到達できない」ということが真の問題なのです。これではゲーム性があるとは到底いえない。
 逆に、「分岐数がとんでもなく多くて総当り自体が困難」「選択肢以外に好感度などの表示されないパラメータによって分岐が起こるため、やはり総当りが難しい」というゲームも数多くありますが、これもゲーム性があるとは思えない。個々の選択肢の判断基準もなく、かつ総当りもできないとなると、もはや攻略本なしではまともに進めることができない。「誰がやってもクリアできる」のと「誰がやってもクリアできない」というのはゲーム性がないという意味では同じことです。


 このあたりがノベルゲームに関して非常に納得いかない。そもそもノベルゲームというのは「小説」を読ませることがメインコンセプトのはず。したがって、あえてゲーム性を取り入れる必要もないわけですが、それでもゲーム性を付加しようと試みるなら、本当の意味で頭を使わせるシステム上の工夫が必要でしょう。少なくとも、今のノベルゲームのように適当に選択肢を取り入れただけでそれでゲームだ、と言い切るのはいかがなものかと。ましてこの手のゲームはよく「アドベンチャー」と呼称されますが、ただの選択肢つきの小説をアドベンチャーとして扱うのもどうかとも思います。


(注)「ノベル」と「アドベンチャー」について。
   この「ノベル」というジャンルと「アドベンチャー」というジャンルがいかにも混同して使われているのがそもそもの問題かと。そもそも「アドベンチャー」と聞くとわたしは「トゥームレイダー」とか「MIST」とか「ICO」とかのゲームを思い浮かべてしまうんですが。まあ、たぶんここで使われる「アドベンチャー」とは「テキストアドベンチャー」のことなんでしょうね。
 「ビジュアル(サウンド)ノベル」と「テキストアドベンチャー」、わたしに言わせればこのふたつは大いに違います。テキストアドベンチャーというのは基本的にゲームです。すべてがテキスト(文章)で表現されたゲームということ。RPGから戦闘をなくして、すべての謎解きを文章で表現したゲーム、と考えればわかりやすいです。謎解きを解明してゲームクリアを目指し、最終的にエンディングを目指す、という意味では他のジャンルのゲームと変わりません。
 逆にビジュアル(サウンド)ノベルですが、これはもう完全にノベル(小説)ですね。ゲームではない! そもそも小説とは、それを読むことによってストーリーやテーマを楽しむことが目的です。したがって、「クリアする」という概念もなければ、別にエンディングを目指す必要もありません。小説を読むときにただひたすら読破することのみを目指すでしょうか? 違いますよね。読むこと自体が目的でしょう。文章を読んで、ストーリーやテーマを楽しむこと自体が目的。この点がゲームとは全然違うのです。


 さて、このようにノベルゲームは「小説」ですから、突き詰めればゲーム性は必要ないわけです。それなのに適当に選択肢や分岐を設けただけでゲーム性を付加したような気になっているのが問題。結局のところ中途半端なのです。小説として読ませたいだけなら最初からゲーム性は必要ないし、ゲームとして遊ばせたいならもっと本格的なゲーム性の高いシステムを作るべきでしょう。

 ゲーム性の高いシステムとはどのようなものか。考えられるものとしては、まず第一に選択肢の意味を高めること。選択肢を選ぶための判断基準は絶対に必要です。「選択肢を選ぶことによって、その後の展開がどうなるのか」ある程度推測できないことには小説としてもまともに読むことができない。
 さらに、できればストーリーの分岐の条件をもっと詳しく知りたいところです。ノベルゲームの分岐には選択肢直後の分岐だけでなく、以前のフラグ立てや何らかのパラメータによって自動的に分岐するポイントが数多くありますが、「なぜここで分岐したのか」その理由が推測できないとどう進めていいのか困ってしまう。できればストーリーの分岐が一目でわかる「フローチャート」にあたるものが欲しいところです。つまり「どのように選択肢を選び、どのようにフラグを立てれば目的のルート、目的のシナリオに達することが出来るのか」その指針が的確なヒントとして与えられて、始めてゲームとして成立するのです。

 実は、この条件を満たしてゲームとして遊べるビジュアル(サウンド)ノベルはいくつかあるんですが(このサイトで紹介しているものとしては「街」など)、ノベルゲーム全体としてはごく少数派で最近ではほとんど見られないのが残念なところです。


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