<現代RPG批判(10)耐久戦の消滅>

2004・9・6

 久々の更新となりました「現代RPG批判」。今回は、再び原点に還り、RPGの根幹である「戦闘」に関する問題を今ひとつ取り上げます。

 昔のRPGでは、戦闘に「耐久戦」の要素がありました。つまり。「限られた戦力を駆使して、どこまで進めるか」あるいは「いかにして目的地までたどり着けるか」という要素です。

 コンピュータRPGの原点である「ウィザードリィ(ウィズ)」が一番分かり易い例なのですが、このウィズというゲームは、要するに「どこまでダンジョンを進めるか」というゲームに他なりません。
 まず、ゲームを始めたばかりの頃は、キャラクター自体が非常に弱いため、ダンジョンでも入り口付近しか行くことはできず、まずはその辺りで弱い敵を倒してレベルを上げることになります。
 ある程度キャラクターが強くなって、ようやくダンジョンの奥へ進めるようになるわけですが、ここで重要なのがキャラクター達の「体力・魔力の限界」です。体力や魔力が尽きかけたら、即本拠地である城に戻って回復する必要があります。城で回復したら、またダンジョンに潜って体力・魔力の限界まで闘い、また城に戻って回復する。この「本拠地とダンジョンとの往復」がプレイの基本スタイルとなります。
 さらにプレイを続け、レベルを上げてゆけば、体力・魔力の限界も大きくなり、よりダンジョンの奥まで到達できるようになります。そして最終的にはダンジョンの最奥部に到達し、そこにいるであろうラスボスを倒すなり、あるいは目的のアイテムを手に入れるなりして城に帰還すればゲームクリア、となります。

 このように、一定の場所を拠点にして、そこから行動の範囲を広げていくというのはRPGの基本スタイルだと言えます。初期「ウィザードリィ」では本拠地となる場所は一箇所のみですが、今の日本のRPGでは、フィールド上に点在するいくつかの町や村・城等、複数の場所を拠点にして、世界中を行動するスタイルが一般的です。


 さて、ここで重要なのが、先ほど述べた「体力・魔力の限界」です。これがあるからこそ、プレイヤーの行動に制限がかかってきて、ゲームとしての面白さが出てきます。自分の能力に限界があるからには、より効率よく戦闘をこなさないと先には進めませんし、それでもだめならレベルを上げて、体力・魔力の限界を増やす必要も出てきます。つまりは、「限られた力をできるだけ温存し、いかにして先まで進むか」という耐久戦の要素があるのです。そして、そのようにうまくプレイを続けることによって、それだけ行動の範囲が広がっていく。うまくなればなるほど、それだけ遠くまで行けるようになる。これはとても楽しいことです。

 しかし、どういうわけか、日本のRPGでは、この「巧みなプレイによって行動範囲を広げる」という戦略性が薄れ、普通にプレイすればどんどん先に進めるというスタイルが一般的になりました。一番分かりやすい例が、アイテムをたくさん持てるというシステムでしょう。回復アイテムを大量に持てるため、適当なプレイでも先まで進めます。さらには、ヒットポイント(HP)やマジックポイント(MP)にもかなりの余裕があり、そもそも「HPやMPが尽きたから、本拠地に何度も帰る」というプレイスタイル自体が、今や珍しいものとなりました。ダンジョン内のセーブポイントで完全に回復できるシステムのRPGも多く、本拠地との往復なしに「一回でどんどん先に進める」というスタイルが一般的です。
 なぜ、このようなスタイルが一般的になったのか。実は、これが最近の傾向ではないのです。むしろ、かなり早い時期から、日本のRPGはこのようなスタイルが主流になったと言えるのです。具体的には、SFC時代にはもう完全にこのスタイルが一般的となり、下手をすればファミコン時代からすでにこのスタイルに変わりつつありました。シューティングゲームにおいて、いつの間にか固定復活からその場復活に主流が変わってしまったように、RPGにおいても、いつの間にか「耐久戦」から「どんどん先に進める」へと主流が大きく変わってしまっている。一体、いつ、そしてなぜ変わってしまったのか・・・?


・初期のドラクエに見る耐久戦のスタイルの変化。
 ここでまた分かり易い例として、FC・SFC時代の「ドラゴンクエスト」のゲーム内容についておさらいしてみます、実は、これがシリーズを重ねるごとに大きく変貌していくのです。

 まず、最初の作品である「1」ですが、このゲームは「行動範囲を広げる」という初期RPGの要素が非常に大きいのです。製作者自身「ウィザードリィとウルティマを参考にして作った」と言っているくらいで、戦闘スタイルに関してはウィズそのままの部分も多いのです。
 このゲームの場合、スタート地点となる城と町が主要な拠点で、レベルを上げて遠くの地まで到達することがプレイのメインとなります。ここで重要なのが「遠くへ行くにつれて、より強いモンスターが出る」ように設定されていること。これは、「ダンジョンの奥に進むにつれて強いモンスターが配置されている」ウィズと全く同じ構造で、フィールドとダンジョンという舞台の違いこそあれ、ゲームの構造自体はウィズそのままと言ってもよいでしょう。唯一の違いは、最初の城と町以外にもフィールド上にいくつかの町や村が点在しており、複数の場所を拠点として使える、という点だけです。

 次の作品である「2」では、ストーリーラインがより明確になり、「世界中を旅する」という要素が強くなったため、「本拠地に頻繁に帰る」という要素はやや薄れ、新しい土地へ進んでいくと言う要素が強くなります。その意味で、この「2」は今のRPGのスタイルにより近いのですが、だからといって「適当なプレイでどんどん先に進める」というわけではありません。実際には「1」同様、耐久戦の要素が大きいのです。
 まず、戦闘バランス自体が非常にシビアで難しいという点も大きいんですが、それだけでなく、マップの構造も耐久戦を意識しています。町からダンジョンまでがはるか遠くに離れていたり、次の町までが遠く、しかもダンジョンを超えなければ到達できなかったり、複雑な地形の中に町があって到達するのが困難だったりと、簡単には次の目的地にたどり着けないようになっています。ラスト近辺ではダンジョンの構造も非常に凶悪で、最後の拠点までたどり着けないプレイヤーも続出しました。この辺り、「1」とはゲームスタイルが多少違うものの、耐久戦の要素自体はしっかりと残っていたと言えます。

 これが「3」になると、ぐっと耐久戦の要素は薄くなります。いや、全くないわけではないんですが、しかし戦闘のバランス自体が「2」よりずっと簡単になったせいもあり、「2」ほどのシビアな耐久戦は必要なくなってきます。町や城の配置も素直で、次の町に到達できない、ということもほとんどなくなります。
 そして、これが「4」になると、もはや耐久戦の要素は限りなく薄くなります。この「4」から、あの「馬車」が採用され、パーティーの同行人数が大きく増えたこともあり、旅の途中で魔法が尽きたり、次の町に到達できないなどというようなことは、もはや考えられなくなります。もちろん、ダンジョンには馬車が入れないケースが多いのですが、しかし個々のキャラクターのHPやMPにもかなりの余裕があり、途中でMPが尽きることはほとんどなくなります(ゲームの中盤以降は特にそうです)。

 「4」はまだファミコンのソフトですが、これ以降のスーファミ時代もこのスタイルが主流となり、スーファミで出た「5」でも耐久戦の要素は非常に薄いままです(難易度自体も極端に低いですが)。
 いや、ドラクエだけではないですね。もはやこの時代になると、少なくともコンシューマーのRPGでは、どれもこのスタイルが一般的となります。例えば「ファイナルファンタジー5」では、すべてのアイテムを99個限界まで持てますし、フィールド上やダンジョン内のセーブポイントでは「テント」や「コテージ」というアイテムを使っていくらでもHP・MPを回復できます。そもそもHPやMPの上限もかなり多いです。少なくとも、「MPが尽きたから拠点に帰る」というスタイルとは全く違うゲームデザインであることは確かでしょう。
 この「ファイナルファンタジー(FF)」シリーズがのちのゲームに与えた影響は、ドラクエシリーズ以上に大きく、これ以降このような「すべてのアイテムを限界数まで持てる」「セーブポイントでHPやMPを回復できる」ゲームが主流となります。


 そして、このような「HPやMPの限界を気にすることなく、どんどん先に進める」というスタイルが主流となる中、初期のRPGに見られた「耐久戦」の要素を持つRPGは少数派となり、せいぜい、日本人に根強い人気を持つウィザードリィの各シリーズか、トルネコやシレンのようなローグ系のゲームか、そのような極一部のゲームのみに残るようになったと言えそうです。


・なぜ、主流が変化したのか?
 そして問題なのは、「なぜ」このような変化が起こったのか、ということです。実は、これはかなり明確に推測できます。

 まず、最大の理由は、RPGにおいてストーリーが重視されるようになったことでしょう。
 プレイヤーが新しい土地へ行くたびに、新しいイベントが起こり、ストーリーが展開していく。このようなゲームの形式が、「一定の場所に頻繁に帰る」従来のRPGのスタイルとは相性が悪いのは明らかでしょう。一定の場所を何度も往復していたのでは、肝心のストーリーを進めることが出来ません。ゲームをどんどん進めることが出来て、テンポよくストーリーを進められた方が良いに決まっています。つまり、まず「ストーリーを見せる」ことがゲームのメインとなり、それに合わせる形でシステム面にも変化が起こったのではないでしょうか。

 第二の理由として、単純に「プレイヤーがそのような快適なスタイルを望んでいた」可能性があります。
 「拠点に何度も帰って、体力や魔力を回復する」というのは確かに戦略的ではありますが、同時に「何度も同じことをやる必要があり、面倒である」と感じる人もいるかもしれません。一度「どんどん先に進める」快適なプレイスタイルを味わってしまうと、もう昔の古いゲームには戻りにくいでしょう。
 シューティングゲームにおいて、初期の「固定復活」から、初心者でもとっつきやすく快適な「その場復活」に変わってしまったように、RPGにおいても、より快適にプレイできるスタイルをプレイヤーが求めていき、その結果として主流が変化していったのではないか。

 それ以外の理由として、単純に「人気ゲームがそのシステムを採用したから、のちのゲームがその影響を受けた」ことも考えられます。まず、最大の人気シリーズであるドラゴンクエストが、シリーズを重ねるごとに耐久戦の要素を薄めていきました。そして、シリーズで最大の人気作が(耐久戦の要素の薄い)「3」や「5」であったことも大きく、以後この「3」「5」に近いゲームが日本のRPGの主流となりました。その一方で、厳しい耐久戦を要求された「1」「2」のゲーム性は、半ば忘れ去られてしまったのです。
 そして、それ以上に、FFシリーズがのちのゲームに与えた影響が非常に大きい。FFシリーズも初期の頃は魔法が回数制だったりと厳しいシステムだったのですが、スーファミ時代になると、個々の戦闘の戦略が重要視され、耐久戦の要素はほぼなくなります。そして何と言っても、極端な「ストーリー重視」の方向性。これによって、のちの日本のRPGの方向性がほぼ定まったと言えます。


・一体なにが問題なのか。
 さて、ではこの「どんどん先に進める」というゲーム性のなにが問題なのか。ここまで読んできた皆さんの中には「テンポよく快適に進めるのだから、それはそれでいいじゃないか」と思われる方もいるかもしれません。しかし、わたしは、この事はRPGプレイの上で多大な不利益をもたらしていると見ます。

 まず、最大の問題は戦闘の戦略性が極端に減少したことでしょう。
 「耐久戦」が要求されるゲームの場合、とにかく効率のいいプレイが求められます。単純に目の前の敵を倒せばいいというわけではなく、先の戦闘をも見越したプレイが要求されるのです。派手に体力や魔力を使って、目先の戦闘をこなしても、それでは後が続きません。できるだけ体力や魔力を温存しつつ先に進む必要があるのです。つまり、同じ敵を倒すにしても、できるだけうまい方法で倒す必要があります。目の前の敵を倒すと同時に、先に待ち受けるであろう戦闘のことも考えつつプレイしなければならない。「目の前の敵を倒す」「先にそなえて戦力を温存する」という、ふたつのことを同時に考える高度な戦略性。これが「耐久戦」の魅力です。
 これが、魔法やアイテムに余裕があり、どんどん先に進めるゲームの場合、そこまでの戦略が必要なくなります。とにかく目の前の敵さえ倒せばよいわけです。つまり、一度にひとつのこと(目の前の戦闘)しか考えなくて良い。その上、適当で強引なやり方でもいいから、とりあえず目の前の戦闘を終わらせてしまえば、あとは回復のし放題です。戦闘の戦略性が大きく減少しているのは誰の目にも明らかでしょう。

 それだけではありません。さらなる問題として戦闘自体が退屈になった点も否定できません。
 耐久戦の要素のある戦闘の場合、目的地までの戦闘に緊張感があります。「ダンジョンの奥のボスまでたどり着けるか」「次の町までたどり着けるか」常にギリギリの闘いを要求されるため、個々の戦闘に力が入ります。
 それとは別に、「レベルを上げて行動範囲を広げる」楽しみもあります。レベルの上昇と、プレイヤーの行ける範囲が連動しているため、レベル上げがより楽しくなります。レベルを上げてキャラクターが強くなること自体も楽しいのですが、それに加えて「少しずつ遠くまで、今まで行けなかった未知の場所まで行ける」となると、よりレベル上げに力が入ります。

 ところが、これが「どんどん先に進める」スタイルのゲームの場合、戦闘の緊張感も、レベル上げの楽しさも、大きく減少してしまいます。
 そもそも、適当なプレイでもボスまでたどり着けてしまうようなゲームの場合、道中のザコ戦にどれだけの意味があるのでしょうか? きちんと戦略を練らないと先に進めないからこそ、ダンジョンの途中の戦闘に意味があるわけです。それがないとなると、一体ザコ戦闘になんの意味があるのか。単なるプレイ時間の引き延ばしか、それともレベル上げの作業か、それ以外に意味が思い当たりません。
 レベル上げの楽しさも疑問です。どんどん先に進めるということは、「レベルを上げて少しずつ先へ進めるようになる」という楽しみが味わえません。その結果、レベル上げ自体が非常に退屈な作業になっています。


 このように、RPGから「耐久戦」の要素が消え、「どんどん先へ進める」スタイルが主流となったことで、テンポよくストーリーが楽しめ、快適なプレイも出来るようになった反面、ゲームとしての戦略性や楽しさが極端に減少してしまったと言えます。
 昔のRPGは、少しでもダンジョンやフィールドの先へ進めるようになれば、もうそれだけで楽しいものでした。少しずつ行動範囲が広がっていくという、根源的な楽しさがあった。それが今のRPGでは全く失われ、先へ進むという行為が、ストーリーを進めるための単なる「作業」に近いものになっているのではないでしょうか。
 それと同時に、戦闘の戦略性も大いに減少しています。道中の戦闘を適当にこなしても先に進めるため、「ザコ戦で考えることがあまりない」というのが正直なところでしょう。それでも、FF5やヴァルキリープロファイルのように「戦闘自体がとても楽しい」のならまだいいのですが、実際のところ、そこまで戦闘自体が抜群に楽しいというRPGはそう多くありません。むしろ、戦闘が「プレイ時間の引き延ばし」や「レベル上げの作業」の印象しか受けないゲームの方が多いように思われます。これでは、「戦闘が面倒だ」「ストーリーを進める上で邪魔だ」「戦闘はイベントだけでいい」といった意見が多く出てくるのもやむなし、といったところでしょう。


 それでは、最後に恒例のまとめです。




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