<現代RPG批判(1)レベルシステム(改訂版)>

2001・7・1
全面的に改訂2012・6・14

 さて、まず最初は、今のRPGの多くが採用している「レベルと経験値による成長システム」(以下「レベルシステム」と表記)の問題点にメスをいれてみます。

 まず、そもそも、この経験値による成長というシステムは、必ずしもRPGにとって必要不可欠なシステムではありません。プレイヤーキャラクターが成長する要素のないRPGは、いくらでもあるのです。そもそもRPGとは、「役割を演じるゲーム」という意味であり、プレイヤーが何らかの役割を演じていればすでにRPGとして機能しているのであって、成長という要素とはそもそも無縁です。
 それでも多くのRPGがレベルシステムを採用しているのは、単純にレベルシステムそのものに何らかの面白さがあるからでしょう。具体的には、大きく次の2つの面白さがあると考えます。

 まず第一に、レベルを上げて強くなるということ自体に、ひとつのカタルシスがあること。キャラクターを成長させること自体が楽しい、自分の好きなキャラクターが強くなることが、もしくはキャラクターを自分の分身と感じて、自分自身が強くなっていくということが楽しい。そんな「レベルアップによる成長」自体に非常に大きな魅力があることは、間違いないと思います。

 そして第二に、こちらはさらに重要ですが、レベルをあげて強くなることによって、いままで出来なかったことが出来るようになることがあります。例えば、今まで倒せなかった敵を倒せるようになる。行けなかった場所へ行けるようになる。新しい技や魔法が使えるようになる。これが本当に楽しい。レベルを上げることで、単にステータスの数字が上がるだけでなく、より具体的な「成果」を得ることが出来る。これは本当に楽しいことだと思います。

 ところが、今のRPGでは、このレベルシステムが持つ面白さが大きく失われ、逆にレベル上げという行為が、苦痛を伴う退屈な作業となっている感があります。レベルというものが、ストーリーを進めることを邪魔する足かせにしかなっていない。今では、そんな退屈な作業をあえて避けるために、レベル上げをしなくても普通に進むだけで先に進めるRPGが主流となっている状態です。なぜ、こんな弊害が生じているのか。これには、大きく次のふたつの理由があると考えます。

(1)レベル上げという行為に戦略性がない。
 「レベルを上げる」という行為は、ゲーム性において非常に重要な意味を持ちます。それゆえに、そう簡単にやすやすとレベルがあがってはいけません。いや、いけなかったはずなのです。例えば、RPGの元祖として「ダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)」というゲームがありますが、このゲーム、初めのうちは、プレイヤーキャラクターが、死ぬほど弱いことで有名です。ゴブリンの攻撃が一回当たればまず死亡。もって二発。不用意に戦闘に入ればパーティーの誰かは確実に死にます。とりあえず戦闘をこなして気軽にレベルアップ、ということが出来ないのです。できれば正面きっての戦闘は避け、いざ戦闘に入った場合でも緻密な戦略を立てる必要があります。

 もうひとつ、「D&D」のコンピュータ版とでもいうべきゲームに「ウィザードリィ」というゲームがありますが、こちらも「D&D」ほどではないにしても、序盤からバランスはかなりシビアです。やはり初期のプレイヤーはかなり弱く、強い敵を避けてレベルアップを行う必要があります。また、中盤以降はレベルアップに必要な経験値が膨大になり、なかなか簡単にはレベルアップさせてくれません。戦闘のバランスも全編通してシビアで、ちょっとしたアクシデントでいつでも死ねます。そして、死んだキャラクターが確実に蘇生できるとも限らず、苦労して育てたキャラクターが失われることも珍しくなく、これがこのゲームのひとつの売りにすらなっています。シビアな戦闘をこなしてキャラクターを成長させるためには、それ相応のテクニックが必要なのです。

 つまり、「D&D」にしろ「ウィザードリィ」にしろ、レベルアップという行為自体にゲーム性・戦略性が存在するのです。きちんと戦略を練ってゲームに臨んで、はじめてキャラクターを成長させることができる。キャラクターをレベルアップさせること自体に、テクニックとか戦略とかいうものが必要だったのです。今思えば「ウィザードリィ」というゲームは、「シビアな戦闘バランスの中で、いかにキャラクターを効率よく成長させるか」という点が、まさにゲーム性の中心だといっても過言ではありません。

 ところが、今のRPGでは、明らかにこのレベルアップに伴う戦略性が欠けています。戦闘のバランスが非常にぬるく、適当にプレイしてもレベルアップできるようになっています。しかも、この場合、バランス調整に失敗してぬるくなったのではなく、あきらかに最初から簡単にレベルアップできるようなバランスに設定されています。つまり、「誰でも時間さえかければ好きなだけレベルアップできますよ」というゲームデザインになっているわけです。

 わたしは、この「誰でも好きなだけレベルアップできる」というゲームデザインが、ものすごく疑問なのです。適当にプレイして好きなだけレベルアップできるのなら、そこに戦略性は存在しないことになります。それは単なる作業でしょう。わたしは「ウィザードリィ」をプレイしていて、経験値稼ぎが退屈だと思ったことは一度もありませんが、これは経験値を稼ぐための戦闘自体がシビアで、きちんと考えて戦略を練る必要があるからです。それに対して、今のRPGのレベルシステムは「誰でも簡単にレベルアップできる」という、かつてとは異なる方向性のデザインが成されており、結果レベル上げ自体が退屈な作業となっているのです。

(2)レベルシステムが一本道のストーリーと全く噛み合っていない。
 こちらの問題はより深刻です。
 「RPGに自由度が足りない」と言われてもうずっと久しいですが、今では下手に自由度を盛り込むことをあきらめたのか、一本道ストーリーのRPGが(日本のRPGでは)主流となりました。
 実は、この一本道の自由度の少ないシナリオ展開が、レベルシステムと噛み合わないことはなはだしいのです。

 冒頭で、レベルシステムの面白さのひとつとして、「出来なかったことが出来るようになる」と書きました。これはひとえにプレイヤーに自由度が与えられてこそ得られる面白さなのです。例として、初代ドラゴンクエストを考えてみましょう。プレイヤーは、最初から(ゲームスタート直後から)大地の果てまで行けます。プレイヤーの行く手を遮るイベントというものが、フィールド上にはまったくありません。行こうと思えばどこまでも行けるわけです。ただし、実際にはそう簡単に遠くまで行くことはできないでしょう。
 なぜ行けないかというと、ひとえにレベル上の問題です。プレイヤーが弱すぎて道中の敵に勝てないからです。そこで、初期のプレイヤーの行動としては、「まず近くで弱いスライムでも倒して、レベルをあげてから遠出をしよう」ということになります。
 このように、基本的にプレイヤーに無限の自由が与えられていて、レベルによってのみプレイヤーの行動に制限がかかっている。この状態において、初めて先ほど言った面白さが出てきます。レベルを上げることで、行けなかったところへ行けるようになる。倒せなかった敵を倒せるようになる。プレイヤーに自由が与えられているからこそ、レベルを上げて行動範囲が広がることが嬉しいわけです。

 ところが、一本道ストーリーのRPGでは、このような自由がありません。プレイヤーの行動が、シナリオによって制限されています。まず、ゲームをスタートした時点で、プレイヤーの行ける範囲がきまっていて、何らかのイベントをクリアすることで道が開け、新しい場所へ行けるようになる。そして、さらにイベントをクリアしてまた道が開ける。この繰り返しです。実は、このようなゲームの進行形態そのものが、RPGというゲームにとって大きな疑問なのです。
 このような、「シナリオによってプレイヤーの行動が管理されている」RPGにおいては、レベルシステムの面白さが楽しめません。プレイヤーに自由が与えられているからこそ、レベルを上げて行動範囲を広げていくことが楽しいのであって、最初からストーリーに沿って行ける場所が制限されているのなら、レベルの存在自体無意味です。それどころか、このような一本道のRPGに経験値システムを採用したことで、さらにさまざまな弊害が起こっています。

 まず最初に思い付くのは、退屈な経験値稼ぎの必要が生じてしまったことでしょう。プレイヤーに楽しみをもたらすはずのレベル上げという行為が、ストーリーを進める上での足かせになってしまったのです。プレイヤーに自由があるからこそ、レベルを上げて行動範囲を広げていくのが楽しい。それが、一本道で行動が制限されているために、逆に「レベル上げをしないと先に進めない」という本末転倒の事態に陥っています。
 弊害はこれにとどまりません。レベルシステムとゲームの世界観との矛盾も大きな問題です。皆さんは、「敵モンスターが、ストーリーに沿って弱い敵から強い敵に都合よく順番に出てくるのがおかしい」と思ったことはないでしょうか(笑)。これは、一本道のストーリーでレベルシステムを採用してしまったがために起こった最大の矛盾です(*注)。 これ以外でも、「魔王が今にも世界を征服しようとしているのに、プレイヤーはのんきにレベル上げをしている(しないと先に進めない)」とか、いろいろ考えればきりがありません。

(*注)実は、この矛盾は、自由度の高いRPGでも一応存在するのですが(初代ドラクエでも、なぜラダトームの近辺にはスライムしかいないのに、遠くにいくにつれ強い敵が出現するのかという疑問は残ります)、しかしプレイヤーに無限の自由度が与えられ、プレイヤー自身の意志で行動しているがために、その違和感は最小限にとどめられています。

 そして、これらの弊害の中で最大の問題は、ずばりゲームバランスの問題です。皆さんは、いろんなRPGで、「このゲームはバランスがいい」とか「悪い」とかよく論じられていますが、一体なにを基準にバランスの善し悪しを判断しているのでしょうか。このような一本道のRPGにおいて、はたしてバランスが存在しているのか、実ははなはだ疑問なのです。プレイヤーが好きなだけレベルアップして戦力を増強できるのに、厳密なバランスなど取りようがありません。いくら適度なバランスを設定したかに見えても、プレイヤーによってどこまでレベルアップするかは千差万別ですから、完璧なバランス調整などそもそも不可能です。
 従来のRPGにおいて、このようなバランスの問題が起こらなかったのは、ひとえにプレイヤー自身が、自分のレベルに合わせて自由に行動しているからです。初代ドラクエを例にとるとこんな感じになります。

 「まだ自分は弱いので、まずは近場でスライムを倒して実力をつけよう。すこし強くなったから、ちょっと遠出してみよう。さらに強くなったから、もっと遠くの町に行ってみよう。もうかなり強くなったから、今まで攻略できなかったダンジョンを攻略しにいこう。とうとうドラゴンも倒せるようになった。ではそろそろローラ姫を助けにいこう。ついに竜王を倒せそうなほどに強くなった。ではいよいよ最終決戦に行こう・・・。」

 このように、プレイヤー自身が自らのレベルに合わせて自由に行動している限り、バランス上の問題は起こりえません。というか、勝手に回避されているわけです。プレイヤー自身が、自分のレベル相応の場所に行って戦っているわけですから、常に最適のバランスが保たれているとすら言えるのです。これは、自由度の高いRPGというゲームの、最大の利点だと思います。
 しかし、一本道のストーリーでプレイヤーの自由度を奪ってしまったばかりに、本来RPGで起こりえるはずのない、バランス上の問題まで起こるようになってしまったのです!

 結論としては、一本道のRPGにおいてレベルシステムを採用すること自体が、そもそも間違っているのはないかと思います。シナリオのフラグ立てでプレイヤーを管理することをやめ、もっとプレイヤーに自由度を与えてレベルシステム本来の面白さを取り戻すべきでしょう。
 あるいは、あくまで一本道でストーリーを見せることにこだわるなら、いっそレベルシステムを無くすべきです。純粋にプレイヤーの技量のみでゲームを進めるか、あるいはストーリーのみを楽しむスタイルにするか、そのいずれかの方がよほどすっきりします。前者ならば、アクションゲームやシューティングゲームのようなスタイルになりますし、後者ならばアドベンチャーゲームかノベルゲームのようなスタイルになると思います。

・まとめ
 以上でレベルシステムに関する話は終わりです。最後にこの意見の主旨をまとめておきます。


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