<現代RPG批判(2)戦闘システム(改訂版)>

2001・7・5
全面的に改訂2012・8・25

 さて、次にこの章では、前の章で採り上げたレベルシステムの根幹を成す、RPGの戦闘システムについていろいろ書いてみます。

 日本のRPGの多くは、システム面でまず何よりも「戦闘」に大きなウエイトが取られています。戦闘以外のシステムがほとんど見当たらないゲームも多く、「RPG=戦闘+ストーリー」と言い切る人もいるくらいです。新しいRPGがリリースされるたびに、戦闘システムはまず話題に上りますし、そういったユーザーの期待に沿う形で、各作品とも凝った戦闘システムをデザインし続けてきました。そのために、今ではかつてのウィザードリィやドラクエの戦闘システムが、非常にシンプルなものに感じられるほどです。

 では、今のRPGの戦闘システムが、そのような度重なるディベロップメントを経て、ゲーム性の高いものになっているかというと、必ずしもそうとは言い切れません。むしろ、逆に戦略性が無くなってきているようにも見えます。むしろ、ウィザードリィやドラクエのほうが戦略性が高かったのではないか?とすら思える箇所も、数多く見られるのです。ここでは、そんな今のRPGの戦闘システムの問題点について、いろいろと書いていこうかと思います。具体的には、大きく分けて3つの問題点があると考えます。


(1)プレイヤーに与えられるリソースの量が厳密でない。
 まず第一にリソースに関する問題を挙げたいところです。わたしは、カードゲームのマジックザギャザリングをプレイするようになって、このリソース(resource)という言葉を知ったのですが、これは要するにプレイヤーの持つ「資産・資源」といった意味です。プレイヤーの持つアイテムやお金はまさに「資産」ですし、レベルやHPやMPといったものもリソースに含まれます。

 問題なのは、今のRPGにおいて、この「リソース」の扱いが、非常におざなりではないかということです。

 そもそも、リソースというものは、ゲームバランスにおいてとても重要です。リソースがプレイヤーに与えられすぎてもいけないし、その逆でもいけない。例えば、バランスがいいとよく評価されるローグ系のRPGである「トルネコの大冒険」や「風来のシレン」では、プレイヤーが入手できるアイテムや経験値の量がうまく設定されています。このゲームは、迷宮内で入手できるアイテムと経験値のみでゲームを進めねばならないのですが、例えば手に入るアイテムや経験値が多すぎて、誰でもゲームが簡単にクリアできるようなら、ゲームとして成立しえないわけです。逆に、アイテムや経験値が全然手に入らなくて、誰がやってもクリアできないというのでもダメ。プレイヤーに与えられるアイテムや経験値の量がうまく設定されているからこそ、「限られたアイテムをいかにうまく使うか」「いかに効率よく経験値を稼ぐか」といったところでプレイヤーの技量が問われ、ゲームとして成立するわけです。

 もちろん、ローグ系のRPGである「トルネコ」「シレン」と一般のRPGではゲーム性が異なるため、単純に比較はできません。しかし、「プレイヤーに限られたリソースが与えられ、それをいかにうまく使ってゲームを進めていくか」というゲーム性の根幹部分は同じはずです。例えば、「ウィザードリィ」では、プレイヤーの使用できる魔法がレベルによって厳しく制限されているため、それらを効率よく使って迷宮探検を進めなければなりません。そして一旦魔法が尽きたら即本拠地である城に帰還して態勢を立て直す必要があります。

 ところが、今のRPGでは先ほども述べた通り、とにかくこのリソースの扱いがおざなりです。一言でいえば、「魔法使いほうだい、アイテム使いほうだい」に近い状態となっています。そもそも「使いきれないほどのマジックポイント(MP)を持っている」というゲームも多い。そして、一回の冒険行で使い切れないほどのMPを持っていて、かつプレイヤーキャラクターが回復魔法を修得している場合、回復魔法使い放題となり、戦闘であまり考えることがなくなります。適当に戦ってひたすら回復しつつ進めばいいだけですね。せいぜいボス等の強敵との戦いで、一度に大量のダメージを与えてくる攻撃(要するに全体攻撃)に対して、いかに全滅しないように回復するかを考えるくらいでしょう。とりわけ雑魚戦が非常に単純な作業になります。

 これに加えて、アイテム使い放題というのもさらに大問題となります。そもそも、多くのRPGで見られる、「すべてのアイテムを99個ずつ持ち歩ける」というシステム自体かなりおかしい。ゲームバランスというものを何だと思っているのか。しかも、そのアイテムのなかでHP全回復とか、回復魔法と同等の効果のものまであったりします。もはや回復魔法すら覚えなくていい、ということでしょうか? ドラクエで回復アイテムが「やくそう」しかない、っていうのはちゃんと意味があるはずです。

 それともう一つ、どうしても納得いかない点。それは「ステータス異常」の扱いについて。本来、ステータス異常とは、非常に危険な状態のはずです。なぜなら、それを回復する手段が限られているからです。「ウィザードリィ」だと、「毒」「麻痺」「石化」などのステータス異常を回復する魔法が限られているため、それらを修得していないときは大急ぎで城に帰らないといけない。まして、「死亡」状態に関しては確実に回復する手段すらないため、そもそも死なないように細心の注意を払って行動する必要があります。ところが、今のRPGでは、ステータス異常を簡単に回復できてしまいます。アイテム一発で回復できるんなら、ステータス異常の意味があるのかどうかすらはなはだ怪しい。何のためのステータス異常なのか。しかも戦闘不能(死亡)状態までアイテム一発で回復するRPGも多い。アイテム一発で回復できるんなら麻痺も石化も戦闘不能も全部同じなんじゃないでしょうか。

 見方を変えれば、今のRPGの戦闘というのは、とりあえず魔法やアイテムなどのリソースは使い放題で、むしろ「ひとつひとつの戦闘をいかに乗り切るか」ということに焦点が絞られているといえるでしょう。つまり「ひとつの戦闘で全体攻撃やステータス攻撃をいかに凌ぐか」ということにゲーム性が集中している。結果、ゲーム全体を通してのゲーム性が、非常に単純なものになっています。


(2)プレイヤーのとりえる行動に戦略上の必然性が感じられない。
 そして第二の問題。これは単純に「戦闘自体の戦略性の低さ」です。具体的には、プレイヤーが戦闘中にとれるひとつひとつの選択肢に、あまり意味を感じられないものが多いということ。

 例えば魔法・・・それも攻撃魔法については、さほど存在意義を感じないゲームも多いように見えます。例えば、マジックポイント(MP)制のゲームの場合、わざわざMPを消費して攻撃魔法を使うわけですから、MPを消費しない通常攻撃をはるかに越える効果がないと使う気になれません。通常攻撃だけで敵を倒して、回復魔法でHPを回復したほうがMPの消費が少ないのなら、攻撃魔法の存在意義は全くないわけです。
 例えば、とあるRPGで、ある回復魔法のMP消費量が3で、ある攻撃魔法のそれが12だったんですが、この場合その攻撃魔法を使うことで「4回の回復魔法を使うより得をしなければ」その攻撃魔法を使う意味はないわけです。で、実際どうだったかというと、その攻撃魔法はあまりに性能が悪くて、4回分どころか1回分の回復魔法にすら及ばなかったため、使うことは全くありませんでした。
 これで攻撃魔法と回復魔法を使えるキャラクターが違うとか、あるいは魔法がMP制ではなく回数制で魔法ごとに個別に使用回数が定められている、という場合多少話が変わってきますが、しかし根本的にはあまり変わりません。つまり、何の使用制限も持たない直接攻撃で簡単に敵を倒せ、あるいは回復魔法で適当に回復するだけで十分なら、、わざわざ攻撃魔法を使う意味はないということです。

 そもそも攻撃魔法の存在意義とは何でしょうか。わたしは「攻撃魔法がないと先に進めない、直接攻撃だけでは敵を倒せない」といった状況で、初めて攻撃魔法の存在意義が出てくると思うのです。具体的には、以下の二つの状況のどちらかが考えられます。

(1)攻撃魔法でないと倒せない敵が存在する。
(2)直接攻撃でも一応倒せるが、その方法だと味方の被害が甚大となるため、攻撃魔法で効率よく倒さざるを得ない。

 先ほどから例にあげている「ウィザードリィ」だと、(2)のケースがあてはまります。ウィザードリィでは敵1グループにつき最大9体、4グループで最大36体の敵が登場するため、このように大量の敵と遭遇した場合、直接攻撃でいちいち倒していたのではらちがあきません。複数攻撃できる攻撃魔法で一掃する必要があります。また、ウィザードリィでは、パーティー全体にダメージを与えてくる攻撃魔法やあるいはブレスなどの特殊攻撃を仕掛けてくる敵が数多く存在し、そのような敵が大量に現れた場合、一刻も早く攻撃魔法で一掃しないとひとたまりもありません。実際、ウィザードリィを攻撃魔法なしで進めることは非常に困難で、ほとんど不可能といってもいいくらいです。

 このように、「攻撃魔法なしでは先に進めない」という状況があってこそ、はじめて攻撃魔法の存在が活きてくるわけです。ところが、今のRPGでは、そこまで厳密なバランス調整がなされておらず、適当な攻撃手段だけで敵を倒していけるゲームが、非常に多くなったように見えます。

 もちろん、問題は攻撃魔法だけではありません。攻撃魔法も含めて、戦闘中にとれる選択肢に、あまりに意味のないものが多すぎるように思えるのです。もう一つ例をあげれば、アイテムについてもそうでしょうか。アイテムの中に、特定の魔法とまったく同じ効果を持つものが登場するゲームがよくありますが、全く同じ選択肢をふたつ用意して、一体どんな意味があるのか。どちらかひとつが全く不要な気がします。しかも、最近ではすべてのアイテムを99個まで持ち歩けて、しかも回復魔法と同じ効果のものまであったりして、もはや回復魔法すら要らないということになります。

 もちろん、「すべての選択肢に厳密に意味をもたせろ」とまではいいません。ウィザードリィだって、まったく使えない呪文はたくさんあります。ただ、日本のRPGは、このあたりの作り込みが、あまりにおざなりなような気がするのです。「この選択肢ならでは」という必然性が弱い。その結果、適当にプレイしても先に進めてしまうという「ぬるゲー」になってしまっている。もっとも、次に述べるように、バランスそのものも明らかにぬるいのですが・・・。


(3)バランスがぬるすぎる。
 最後に第三の問題。これは単純にバランスのぬるさです。敵があまりに弱すぎて、ゲームになってないゲームが多くなりすぎました。適当にプレイしても簡単に敵を倒せて簡単にレベルがあがってしまう。現代RPG批判(1)でも書きましたが、とにかく簡単にレベルが上がるのは問題です。「いかにレベルを上げるか」というところに何らかの戦略性がなければ、RPGのゲーム性は大きく希薄なものとなります。
 なんでも最近は、「○ボタン押すだけでクリアできる」とか「戦闘中に寝てしまう」とかいう話を聞きますが、ここまでくるともはやぬるゲーの極地と言えます(笑)。


 ここでまとめに入りますが、わたしが今のRPGの戦闘で思うことは、とにかく「考える要素があまりにも少なくなっている」ということです。魔法もアイテムも使い放題、戦略性自体も少なく、バランスはぬるゲー。こうなると一体何を考えるべきなのかよく分かりません。ひょっとすると、今のRPGの戦闘は、戦略性以外の別の面白さを求めているのではないでしょうか? 例えば、適当にボタン連打で敵を倒して快適にレベルアップすることの楽しさ。さもなくば魔法とかのエフェクトのグラフィック鑑賞。あとはキャラクターを見て楽しむとか。好きなキャラが動いたりしゃべったりするのを見て楽しむ。快適な成長。グラフィック。キャラクター。どれもゲームが本来持つべき戦略性・ゲーム性とは別の異なるものです。これが必ずしも悪いとは言えませんが、その一方で、かつてのRPGで見られたシビアな戦略性は、大きく薄らいでしまった。今のRPGの戦闘は、本来抱いていたゲーム性とは異なる、プレイヤーの別な楽しみのために存在しているといっても過言ではないのかもしれません。
 では最後に恒例のまとめをおいて終わりにします。


(2012年8月追記)
 上記のテキストは、今から10年以上前に書いたものですが、今となると当てはまらないものもあります。あれからさらにいろいろなゲームが出てきて、最近では戦闘で工夫を凝らしたゲームも増えました。オンラインRPG(MMORPG)の普及も大きく、こちらでは1人プレイのゲームとはまた異なる独特の戦略が生み出されたようです。しかし、この当時(2000年前後)には、このような「ぬるい」RPGが本当に多かった。「戦闘中に寝てしまう」という逸話も、本当にあったことのようです(もしかして今でもある?)。そして、このようなゲームは、日本のRPGのひとつの終着点だったのではないかと思います。

 その点において、最後のあたりに書いた「ひょっとすると、今のRPGの戦闘は、戦略性以外の別の面白さを求めているのでしょうか?」といったくだりは、今考えても当てはまるかなと思います。日本のRPGは、おそらくは海外の原点となったRPGとは異なる進化を辿っていったのでしょう。シビアなバランスの戦闘をあえて求めず、ゆるやかなバランスで快適に戦闘をこなし、スムーズにストーリーを進めることが出来て、かつ戦闘自体も、気持ちのいい爽快なエフェクトや闘うキャラクターたちの姿を見て楽しむのが、ひとつの大きな目的となった。そういった多くのプレイヤーたちが好む方向に、ゲームが変容していったのではないか。

 今でも海外のRPG(いわゆる洋ゲー)の多くが、いつ死んでもおかしくないようなシビアなバランスとなっているのとは、対照的なゲームとなった。それが、日本のRPG(もしくはRPG以外のゲームも?)が進んだ、独自の進化の道だったのだと思っています。


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