<現代RPG批判(4)システムと世界設定(改訂版)>
(サブタイトル:RPGにつっこみを入れる会)

2001・7・7
2013・4・7

 さて、ここまでの章で、RPGにおけるレベルシステム・戦闘システム・戦闘以外のシステムと、個々のシステムの問題点についてあれこれ言ってきました。しかし、わたしは、日本のコンピュータRPGにはこれら個々のシステムに関する問題以上に、もっと大きな不満を持っています。それはゲーム全体にわたるシステム設定というか、世界設定というか、そういったRPGのゲーム設定全体に関わる疑問です。
 まあ、そう言われても、まずよく分からないと思いますので、今からゲーム設定についてのわたしの不満点を列挙してみます。

 まず、宝箱からいきましょうか。たいていのRPGでダンジョンに点在する宝箱。あの存在理由がよく分かりません。なぜ何の変哲もない地面に宝箱が置いてあるのでしょうか。そもそも一体誰が、何の目的で宝箱を置いているのか。まったくわかりません。また、主人公達以外がなぜ宝箱を取らないのかも不思議です。というか、主人公達以外に冒険者はいないのでしょうか?

 問題は宝箱だけではありません。ダンジョンには宝箱だけでなくモンスターもいますが、なぜただのモンスターがお金を持っているのでしょうか。というか、なんでスライムが金をもってんだ? そもそも、お金というものの価値は、世間に流通する量によって定められています。国家がお金の流通量を統制しているからこそ、お金に一定の価値が生まれ、経済というものが成り立つのです。従って、モンスターを倒せば倒すほどお金を無限に得られるRPGの世界で、果たしてまともな経済活動が成り立っているのか、極めて謎です。

 他にも不思議なことはたくさんあります。ダンジョンには謎解きという名目でよくパズル的なトラップ(罠)が見られますが、あのような小学生でも解けそうな幼稚なパズルじみた仕掛けを一体誰が作っているのでしょうか。これも理解できないところです。そもそも、トラップというものは侵入者を排除、もしくは抹殺するために存在します。したがって、もしプレイヤーがトラップに引っかかれば、まず死を覚悟しなければなりませんし、死なないにしても致命的な効果を受けることは間違いないでしょう。それがトラップというものです。また、そういった仕掛けの中に、暗号とかパスワードとかを入力して通過するものがありますが、そのパスワードがその場でパズルをクリアして判明するというのも明らかにおかしい。そもそも暗号・パスワードというものは、関係者と部外者を識別し、部外者の侵入を拒む目的で設定されるものですから、関係者以外には絶対わからないよう、細心の注意を払ってセキュリティが施されているはずです。それが、その場のパズルをクリアして簡単に判明するというのは絶対にありえない。いずれにせよ、あのような小学生でも解けそうな、大がかりでバカバカしい幼稚な仕掛けを誰が作っているのか、非常に気になります。

 また、RPGの中には、戦闘中に敵の持つアイテムを盗むことが出来るものもありますが、なぜ戦闘中に盗むことは出来ても、戦闘後に取得することは出来ないのでしょうか。普通に考えれば、敵を倒してから剥ぎ取ればいいだけだと思います。
 また、それとは別のケースとして、敵ボスが何かすごい武器や防具を持っていて、倒した後にそれを得られるというケースがよく見られますが、なぜその敵はそんなすごい装備を持っているのに自分で使わないのでしょうか。自分がその強い装備を使わないから、主人公たちに倒されるのではないでしょうか。なぜわざわざ劣っている装備を使っているのか。そんな装備で大丈夫か?とボスに問いかけたいところです。

(2013年4月追記)
 このあたりが海外ゲームと比べて特に謎なところで、海外のRPGなら、ボスの使っていた武器を戦闘後に奪って自分たちが使う、というシステムは別に珍しくありません。こちらの方がよほど自然な展開ではないでしょうか。

 それと、主人公たちが敵からアイテムを奪うのはまあいいのですが、街で勝手に人の家に押し入り、宝箱を取ったり壷やタンスを漁ったりするのは感心しません。人のものをとるのは犯罪であり、人の家に勝手に入るのは住居不法侵入のはずです。ここで不思議なのは、なぜ押し入られた家の住人が、警察を呼ぶなどなんら抵抗をしないのかということです。これは極めて不可解な反応です。

(2013年4月追記)
 これも海外ゲームと作りが対照的です。海外のRPGなら、勝手に街の家に侵入した場合、ガードを呼ぶなどなんらかの抵抗があるのが一般的です。もちろん全部のゲームがそうとは言いませんが、しかしRPGのゲームデザインにおけるリアリティの扱い方に、日本と海外で大きな差を感じるのは確かだと思います。

 と、ここまでおもにRPGにおける社会的な疑問を挙げてきましたが、物理的・自然法則的な疑問もあります。まず真っ先に思い付くのはアイテムについて。日本のRPGでは、すべてのアイテムを99個まで持てたりしますが、そんな大量のアイテムをどうやって持ち歩いているのか。はっきりいって謎です。説明できません。
 武器や防具がいつまでたっても壊れないというのも謎です。あれだけ闘いを繰り返せばいずれは使い物にならなくなるでしょう。さらには、冒険中の食料とかはどうしているのでしょうか。街を出て何日も冒険するわけですから、当然しっかりした準備が必要です。その描写がないとなると、冒険中いき倒れたりしないのでしょうか?

(2013年4月追記)
 これらのシステムを採用しているRPGも当然存在します。アイテムの重量制限や武器・防具の耐久力、食料の消費など、そういったシステムを持つRPGをプレイした人もいるでしょう。しかし、日本のRPGでは、こういったシステムを持つゲームの方がずっと少数派で、ほとんどのシステムが戦闘に集約されるゲームが非常に多い。前章でも書いたとおり、戦闘以外にゲームシステムがないがゆえに、設定の上でもこうして不自然な要素が激増してしまったと言えます。

 あと、真っ暗なはずの洞窟のようなダンジョンで明かりもなしにまわりが見渡せるというのもよくない。これも昔ドラクエ1では松明や魔法で視界が開けるシステムがあって、私的にかなり気にいってたんですが、これもなぜか2以降なくなってしまい、他のRPGでも採用されるゲームは稀になりました。また、ダンジョンや街で壁の向こうまで見えるのも謎です。これも昔、ちゃんと視界が制限されたゲームがあったのですが、のちに採用されることはあまりなくなりました。そういったゲームをやりたいなら、ウィザードリィやメガテンのような3DのRPGをやれということでしょうか。

 と、このように、日本のRPGは万事がこんな感じで、不可解な謎がてんこ盛りです。というか、絶対におかしいです。誰か調べてください!!


 さて、ここまで読んできて、この記事を読んでいる皆さんの中には、こう反論しようとする人がいるはずです。

 「それはゲームなのだから仕方がない。ゲームのお約束なのだから仕方がない」と。

 しかし、その反論は必ずしも通用するとは言い切れません。確かに、やむを得ずゲームのお約束を取り入れざるを得ないケースは多々あります。しかし、とてもそうとは言い切れない、単にデザイナーの怠慢でお約束を放置しているケースの方が、特に日本のRPGではずっと多いように思われます。

 そもそもゲームにおける「お約束」とは一体何でしょうか。私は、ゲームにおけるお約束をこう捉えています。
 「ゲームは大きくわけてシステムと背景設定(ストーリーや世界観)の二つから成り立っている。そしてこの両者の間に矛盾がないようにゲームデザインするのが常であるが、しかしどうしてもシステムを優先させる都合が生じることがあり、やむなく背景設定との矛盾を放置せざるを得ないことがある。このときに発生するのがお約束である。」

 このような「お約束」の分かりやすい例として、アクションゲームやシューティングゲームに見られる「当たり判定」があります。見た目で当たっているのに実際は当たっていないとか、逆に見た目で当たっていないのに実際は当たっているという現象です。もともと、アクションやシューティングというのは、システムだけを取り出せば「当たり判定のぶつかりあい」であり、それに何らかのモチーフ(キャラクターとか自機とか)をかぶせてゲームとして成立させています。そしてゲームシステムやゲームバランスの関係上、どうしてもモチーフそのままの当たり判定では、ゲームとして成り立たないことがある場合、システムやバランスを優先するために仕方なく当たり判定のお約束が起きてしまいます。例えば、大抵のシューティングゲームでは、自機の当たり判定は見た目より小さいですが、これは「自機の戦闘機としてのリアリティを出すためには、ある程度の大きさのグラフィックは必要だが、そのままの判定では大きすぎてゲームが難しくなりすぎてしまう。だから実際の当たり判定を小さくしてゲームのバランスをとる。その結果当たり判定上のお約束が生じる」ということです。

 ここで言いたいのは、このようなゲームのお約束というものは仕方なく、あるいはやむを得ず起こることであって、出来る限り回避しなければならないということです。そして今のRPGにおけるお約束のほとんどは、ゲームデザイナーの努力次第で、比較的容易に回避できるように思われます。

 宝箱ひとつとってもそうです。そもそも、宝箱からアイテムを得なければならない必然性などどこにもありません。依頼人の頼みを果たしてアイテムを報酬としてもらうとか、アイテムを持っている敵から奪うとか、自然な設定はいくらでも思いつきます。RPGから宝箱をなくしたからといって、ゲームシステムやストーリーの上問題が起こるとは思えません。
 モンスターを倒してお金を得る必要もないですね。依頼をこなして報酬としてお金を得るとか、何らかの理由でお金がある場所を探り当てるとか(例えばドラゴンのようにお金を貯める習性をもつモンスターの巣であるとか、あるいは昔海賊がお宝を埋蔵した洞窟であるとか)、そういったストーリー設定上で無理のないお金の獲得方法をプレイヤーに提供することは、決して難しいことではありません。なぜ行く先々でモンスターがすべてお金を持っているという、はなはだ不自然な設定にこだわらねばならないのか。わたしには日本のRPGのデザイナーが何を考えてゲームを作ってきたのか、よく分かりません。

 これ以外のお約束も、ほとんどがゲームデザインの変更で解決が可能です。というか、このようなお約束を大量に放置していること自体、明らかにゲームデザイナーの怠慢ではないでしょうか。前章でも書きましたが、結局今に至るまで日本のコンピュータRPGは、ウィザードリィや初期のドラクエから何も変わってないのではないでしょうか。ここであげたお約束の、ほぼすべてがドラクエに当てはまりますよね。結局、ゲームの基本設定自体は昔のドラクエのままなわけです。しかも、最近のRPGでは、グラフィックが実写と見まがうばかりのリアルなものに進化し、またストーリーや背景設定でもリアリティを追求したものが増えました。それなのに、ゲームのお約束は昔のままだから、余計違和感が大きくなっているわけです。ドラクエの素朴なグラフィックと世界観なら、人の家でタンスや壷をあさっても笑って許せるかもしれないけど、それを実写ばりのリアルなグラフィックでやられると、完全に泥棒にしか見えないわけです。

 何度でも言いますが、日本のコンピュータRPGは、変わっているのはストーリーと戦闘システム(とグラフィック)だけで、それ以外は何も変わってこなかったのです。モンスターを倒してお金を得るとか、ダンジョンを回って宝箱を回収するとか、そういったゲームの基本構造が何も変わっていない。その結果がこの大量の「お約束」の放置ではないでしょうか。
 これは本当に当たり前のことですが、ゲームのシステムとモチーフ(ストーリーや世界観)というものは、出来る限り一致していなければなりません。そして、できれば両者が互いにその魅力を高める役割を果たせば、それが理想的です。よく言われることですが「システムあってのストーリー、ストーリーあってのシステム」なのです。しかし、日本のRPGでは、むしろシステム上でのお約束が、ストーリーや世界を楽しむ妨げにしかなっていない。グラフィックや世界観を重視するなら、それに見合ったシステムを一からデザインするべきでしょう。

 では今回も恒例のまとめです。


(2013年4月追記)
 これも10年前に書いた記事ですが、あれからやはりいろいろ変わってきて、上記のことが当てはまらないゲームも見られるようになりました。

 例えば、モンスターがお金を持っているのではなく、モンスターを倒すとその体の部分を手に入れて、それを店で売ることでお金を得るというゲームが見られます。わたしのプレイした限りでは、「世界樹の迷宮」や「ファイナルファンタジー12」などで、これらのゲームでは、新しい部分を見つけて店に売ると、新しいアイテムが開発されて店に出されるというシステムも備えているようで、これは大変面白いアイデアだと思います。これらのゲームでも、いまだ宝箱やアイテムが地面に落ちているなど、まだ物足りないところもありますが、しかし昔より進歩が見られるところは評価したいと思います。

 ただ、そうは言っても、海外の本格的なRPGと比較すると、やはり大きな隔たりを感じます。あちらの方は、FPS(一人称視点シューティング)が人気であることからも分かるとおり、リアリティに対するプレイヤーやデザイナーの欲求が異なるのかもしれません。日本のRPGが、必ずしもあちらのRPGのあり方をそのまま真似る必要はないと思いますが、しかし参考にするところはまだまだあると思います。


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