<今のシューティングゲームはシューティングではない>

2001・6・24

 最近(といっても少し前)久々にファミコンでゼビウスをやったんですよ。何となく急にやりたくなって。で、プレイする前は、このゲームは今のシューティングゲーム、特に縦スクロールのシューティングの原点だから、久々に原点に返ってシンプルなゲーム性を楽しもう、という心構えだったのです。
 ところが実際にプレイしてみると、これがまるで違った印象を受けました。今の縦スクロールシューティングと比べてあまりに異なる点が多すぎる。原点と言えるどころか、ゲーム性がかなり違う。一体何が今のシューティングと異なるのか。

 この「ゼビウス」というゲーム、敵キャラクターが大きく二つの種類に分かれます。「地上物(地上の敵)」と「空中物(空中の敵)」です。これらの敵を破壊しつつ先へ進むのがゲームの目的なわけですが、この地上の敵と空中の敵では破壊する手段が異なりまして、つまり自機に二種類の攻撃手段が用意されています。
 まず地上の敵を攻撃するのが「ブラスター」という、いわば爆弾です。自機の前方、一定の距離に投下され(目安としてちゃんと照準が図示されます)、そこに敵地上物があれば破壊できます。連続して投下はできません。一発ずつ落としていきます。
 次に空中の敵を攻撃するのが「ザッパー」とよばれる、いわば機銃かな。前方にまっすぐ飛んでいき、射程に制限はなし。空中を飛んでいる敵を破壊します。ブラスターと違い、ある程度の連射も可能です。

 さて、これからが本題ですが、このブラスターにしろザッパーにしろ、敵を真剣に狙わないと当たらないという点がポイントです。ブラスターがその最たるもので、きちんと照準で地上物を狙わないと当たりません。ほとんど連射もできないので、数撃てばあたるということもありません。一発一発真剣に狙う必要があります。
 では、ザッパーはどうか。こちらはある程度連射は可能です。しかし、数撃てば当たるの戦術で適当に撃てばいいというわけではありません。なぜかというと、連射性能に限界があるからです。そして、このゲームの空中物は、地上物とちがって一度に数多く出現します。連射性能に限界があって、なおかつ多くの敵をさばくとなると、当然無駄に弾をはずすことはできません。加えてこのザッパー、あまり左右の当たり判定が広くありません。つまり真正面の敵にしか当たらないわけで、その意味でも真剣に狙う必要があります。

 そもそも、「敵を狙って弾を当てる」というのはシューティングゲームのゲーム性の根幹をなしています。考えてみると、ゲーム以外で射撃や弓術などのスポーツにおいても、人がうまく的にあてるのを見て「うまい、テクニックがある」と感じるわけで、ゲームだってまったく同じ。ゼビウスよりもさらにさかのぼってスペースインベーダーでも、インベーダーやUFOを狙って撃つことがゲーム性の根幹なわけです。

 ところがですね、どうも今のシューティングゲームはこの「狙って当てる」というゲーム性がひどく薄れているような気がするのです。まあ、ゲームによっても違うんでしょうが、全体的にあんまり狙って撃つ必要がないですね。適当に撃っても当たるっていうか。縦スクロールシューティングは特にそうかな。画面を覆いつくす扇状の弾を撃ちまくるか、極太のレーザーを振り回すか、まあそんな感じ。狙って撃つというテクニックはほとんど必要ない。
 むしろ、今のシューティングは、「撃つ」ことよりも「避ける」ことにゲーム性が集中しているのではないでしょうか。敵の弾を避けさえすれば、あとはひたすら撃ちまくればよし。そもそも連射装置を使用してまで撃ちまくったほうがいいという時点ですでに「狙って撃つ」というゲーム性はないも同然でしょう。

 ここで冒頭のゼビウスの話に帰りますが、結局わたしが久々にゼビウスをプレイして感じた今のシューティングとの違いとは、すなわち、この「狙って撃つ」というゲーム性があるという点ですね。実際、「狙って撃つ」というゲーム性なら今のゲームよりはるかに上でしょう。むしろ今のゲームの方が退化しているのではないか。
 なぜ、ここまで狙って撃つゲーム性が軽視されるようになったのか。その最大の理由は「爽快感の重視」ではないでしょうか。特に縦スクロールシューティングではその傾向が顕著です。爽快に敵を破壊しつつ気持ちよく先に進むという方向性がより強く求められた結果、一方で狙って撃つというゲーム性がいつのまにか薄れてしまった。
 そして、「撃つ」というゲーム性が薄れた反面、シューティングのもうひとつのゲーム性である「避ける」というゲーム性ばかりが重視されてきたような気がします。さらには「避ける」テクニックばかりが重視された結果、ゲーマーの間で「避け」のテクニックのみが先鋭化され、難易度の高騰・マニア化の一つの原因となってしまったのではないかと。
 「ゼビウス」にも「避ける」というゲーム性はちゃんとありますよ。ただ避けるテクニック自体はそんなに難しくはなく、むしろ「狙って撃つ」というゲーム性と「敵の攻撃を避ける」というゲーム性がバランスよく両立している点が大きい。激しい敵の攻撃をかいくぐりつつ、狙いすましたブラスターを敵地上物に叩きこむ。わたしは単純な人間ですから、一度にひとつのことしか楽しめないゲームと一度にふたつのことが楽しめるゲームでは単純に後者のほうがゲーム性が高いと判断します。つまり「ゼビウス」のゲームデザインの方が明らかにゲーム性が高いと判断せざるを得ない。

 結局、今のシューティングゲームは「シューティング」ではないんですよ。シューティング(shooting)ってのは英語で「撃つ」という意味でしょう。「撃つ」というところにゲーム性がない以上、なぜ「シューティング」と言えるのか。「アボイディングゲーム」がいいところではないか(アボイディング=avoiding=「避ける」)。ここまで読んで「今のシューティングゲームはシューティングではない」というこの論のタイトルの意味がわかりましたか? ではここで終わります。


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